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愛を閉じ込める唯一の方法


 はぁ、と息を吐くと、真白になった空気が宙に浮かんだ。剥き出しの指先を擦り合わせる。気づいたら空気がぐっと冷え込んだ。薄暗くなり始めた空には雲一つ浮かんでいない。
会社から少し逸れた大通り。電灯の傍に立ちながら、スマートフォンの画面をぼんやり眺めていた。

「着くまで中で待って、って前に言ったのに」

 ふと、正面から声がかけられた。じわりと耳に馴染む声にそっと顔をあげると、咎めるような、呆れたような顔をした光忠が目の前に立っている。

「今日のお迎え光忠なんだ」
「そうだよ、……もう。冷えたでしょ、身体」

 モノトーンでまとめられた洋服はよく似合っていた。人通りの少ない道で待っていて良かったと改めて思う。知り合いに見られたら面倒どころではない。
 光忠が、わたしの服装を頭から先まで眺めて、自分に巻かれていたマフラーをほどきはじめる。そのまま真っ黒のそれがわたしの首へと巻かれていった。肌触りがさらさらとしているのに暖かい。きっといいマフラーなのだろう。

「光忠が寒くならない?」
「うん。それより薄着の君を見てる方が寒いかな」

 薄着、と言われるほどではない。光忠とだって、マフラーがあるかないかの違い程度しかないだろう。そう言おうとしたけれど、光忠は既にわたしへせっせとマフラーを巻き終えて満足そうな表情を浮かべていた。

「ありがと」
「いいえ。……帰ろうか」

 並んで歩き出す。本丸まではそう遠くはなく、歩くのは決まったゲートまでの間だけだ。
 はぁ、と息を吐き出すと、また白んだ息が浮かんでいった。寒くなると、どうしてもやりたくなってしまう。

「明日も冷えるみたいだから、ちゃんとマフラーして行くんだよ」
「んー、どこしまったかな」
「見つからなかったら僕のつけていっていいから」

 やさしいね。そんな呟きがマフラーの中に埋もれて小さく落ちる。けれど光忠には聞こえていたみたいで、僅かに口の端が緩んだのが見えた。
 はぁ、と息が漏れた。今までとは違って、溜め息に他ならず、疲れ切った色が滲んでしまった。けれど同じように白く染まってすぐに消えていく。

「……光忠さあ」
「うん?」
「……告白断る癖にそういうことするよね」

 文句じみた呟きが、ぽろぽろと零れていく。光忠は何も言わず、ただこちらに顔を向けた。きっと、困ったような顔をしているのだろう。幼子に向けるみたいな、そんな表情を。わたしが彼に好きだと伝える時もいつもそんな顔をする。
 わたしはマフラーの中で顔をうずめて、ただ前を見て歩いた。いつもの表情を見るのが嫌だった。

「ねえ、」
「いーの。慰めたりするのやめてよ」
「何度も言ったけど、僕は」
「君のことは好きにならない、でしょ」
「そうは言ってないよ」

 光忠の声の端々から、困ったような響きが感じ取れる。ああ、言わなければよかったと、後悔が襲ってきた。告白したことじゃない。それを掘り返すのをやめれば良かった。
 けれど、彼の体温が傍にあると駄目なのだ。

「待って」

 いつの間にか、光忠がわたしの前に立っていた。思わず足を止める。ただ顔をあげる勇気はなく、そのままマフラーに口元をうずめ、視線を彼の足先へ落としていた。
 冷えた指先に、熱が触れた。びくりと肩が震える。振りほどこうとしたのに、どうしても動かない。動けなかった。

「顔あげて、……ううん。あげなくてもいいから、聞いて」
「…………」

 柔らかな声に、何も言えず、ただ固まっていた。ほんの少しだけ、空白ができる。光忠が、言葉を選んでいるのかもしれない。わたしを傷つけまいと、言葉を手繰り寄せているのかもしれない。そう思うと余計に何も言えなくなった。

「君が大切だよ。何よりも」
「それはもう十分すぎるくらい知ってる」
「う、うん、そっか……でも君は、僕と結ばれるってことがどういうことか分かってない」

 顔を上げた。違う。そう言いたかった。そう言おうとした。けれど顔をあげた先で、光忠がきゅうと眉を下げて、わたしをじっと見つめているから、言葉がするすると萎んでいく。
 分かってる。そんなこと、分かった上であなたに好きだと言った。あなたとわたしが決定的に違うということは、分かっているのだ。

「君が十分にそれを理解できたら、……理解できた時、同じ気持ちなら、もう一度言って」
「……それ、五年前も聞いた」
「うん。言った」

 唇を噛んで、またマフラーに顔を押し付ける。狡い。なんて狡い。わたしは光忠にそう言われても、それでもずっとこの苦しみに悶えているのに、彼はそれでも足りないと言う。酷い、そう言って詰りたいのに、その相手があまりに優しい顔をしているものだから、わたしはもう何も言えないのだ。


△△△


 沈黙する彼女の旋毛をじっと見つめていた。少しの間下を向いていた彼女は、ぱっと顔をあげてまた何も無かったかのように歩き出す。ただ僕の数歩先を歩く彼女が、とても小さく「ばか」と言うのだけは聞こえて来た。
 優しい子だ。とても。そして僕は彼女のその優しさに付け込んでいる。

 君に初めて好きだと言われた時のことを、今でも鮮やかに思い出せる。けれど、彼女はまだ人間としても若い方で、その瞳にはやはり恋がちりちりと燃えていた。
 僕は喜びを噛み殺して、彼女の想いを嗜めた。僕と君は違う。君は僕と結ばれることがどういうことか、分かってない。そう言って、彼女の言葉をやんわりと溶かした。
 嘘じゃない。僕と彼女では流れる時間も、生きて来た場所も、全て違う。今は同じ場所で笑い合えても、それがいつまで続くかなんて分からない。

「今日の夕飯、ハンバーグだっけ」
「ああ、伽羅ちゃんが成形を手伝ってくれたよ」
「楽しみ」

 隣で僕のマフラーに鼻先をうずめた彼女が、ふと笑う。
 そのとろけたような笑顔は可愛らしい。僕はそれを本当は。本当は、自分のものだけにしたい。
 彼女の想いに頷けば、きっと僕はそれを我慢できないだろう。まだ数十年しか生きていない彼女を囲って、離れないようにして、一生つなぎとめてしまう。いつか彼女自身から、その想いが消えたとしても、離してなどあげられない。
 きっと君は、想いが消えることなんてないと、そう言うだろう。
 でも駄目なのだ。今は、まだ駄目だ。そう思うのに、彼女の気持ちがその間に離れることに耐えられない僕も居る。だから彼女に柔らかな笑顔と、言葉と、温もりを時折落とす。ただの我が儘で、彼女にすればたまったものではないだろう。
 分かってる、分かっているけれど。
 彼女の掌を握ってあげたくなるのを我慢しながら、ただ隣を歩いた。彼女の吐いた息が白んで空に消えていく。それを見つめながら、僕に離してもらえないなんてかわいそうに、と最低なことを思った。




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