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オーマイダーリン



「泊っていくかい? 今日」

 ばさばさ、と持っていた雑誌類が落ちて床に無残に散らばる。思考の隅で「付録、アイシャドウだから先にとっておいてよかった」なんて考えが浮かんですぐに消えた。
 露伴は床にばらばらになった雑誌に見向きもせずに、馬鹿にするでもなく、あたしのことを真っすぐに見つめている。

「えっと、それは、あれですか」
「何だよ」
「そういう、あれですか」
「あれ、あれって、日本語すら話せないのか、きみは」

 呆れたような顔の中にも、どこか大人びた表情が見えてしまうあたしは可笑しいだろうか。心臓がありえないくらいに脈打っていて、指先が冷えているような、熱いような不思議な感覚になる。

「……ええと、その、なんていうか、する、つもりなの、かな」
「…………そうだよ」
「な、なるほど」

 情けないあたしの問いかけにも、露伴は落ち着いた表情を崩さない。おかしい、だっていつもなら、あたしがこんなに慌てふためいていたら目一杯馬鹿にするくせに。
 露伴とは付き合ってから暫く経つ。こうやって泊まることを考えたことが無かったわけではない。けれど、あたしは恋愛経験がそう多くないから、普通の恋人がどうやってステップを踏んでいくのかてんで分からないし、あたしはそもそも甘い雰囲気が苦手だった。落ち着かないのが嫌だった。
 それなのに、露伴は突然、あたしの腕をぐっと握って、真剣な顔をしている。

「それで、泊まるのか、泊まらないのか?」
「と、とまり、ま…………」

 息が詰まる。心臓が苦しい。すう、と息を吸った。震える声を、絞り出す。

「……せん」
「却下」
「はぁ?!」
「うるさいな。泊っていけよ」

 本当に心の底から「うるせえなあ」という顔をして、露伴はそう言う。
 何だっていうのだ、とあたしは叫ぶ。だって最初は彼にしては控えめに、疑問として聞いてくれたじゃないか。

「最初あたしに判断委ねたじゃん!」
「気が変わった」

 変えないでよ。なんだか情けない気持ちになってくる。
 だって、こんな突然言われてもちっとも落ち着かないし、きっと露伴が期待しているようなこと、一つもできない。入社初日で何の前置きも無く急に仕事に放りこまれたみたいな感じだ。

「やかましいなァ、きみ。……何だよ、嫌なのか」

 う、と息が詰まった。ちょっと眉をひそめて、機嫌の悪そうな顔をした露伴に参ってしまう。そんなちょっと傷ついたふうにしないで欲しい。

「い、ッ嫌では、ない、」

 ばくばく、と鳴り続ける心臓をいなして、絞り出す。そう、嫌ではないのだ。嫌ではないけれど、でも、怖い。不安だ。そんな気持ちが、喜びよりもずっと勝ってしまうのだ。けれど露伴はあたしの嫌ではない、という返答に「じゃあ、いいだろ」となんてことない風に言う。

「でも、心の準備とかしたい……」
「きみなんかの心がキチっと準備終わるのなんて待ってられないだろ。何年かけるつもりだ」
「う」

 図星だった。あたしの性格上、準備期間にどれだけ大量の時間を要するか分かったものではない。気まずくなって、両手の指先をすり合わせた。視線がゆらゆら泳いで、露伴のほうから逸れていく。

「ぼくはもう充分待ってやってると思うけどな」

 揺れていた視線が、驚きでぱっとあがった。あ、待ってたんだ、この人。そんな間抜けな考えが口をつきそうになって、こんなこと言ったら怒られることに気が付いて辞めた。
 口を開けたり閉めたりしているあたしを、露伴は呆れた顔で見下ろしている。

「まだ言いたいことが?」
「……げ、幻滅しない?」
「なんでだよ」

 露伴の顔が、全く理解できない、という顔になる。
 けれど怖いのだ。彼にとってつまらない結果にならないか、とか、面倒だって思われないかとか、怖いのだ、あたしは。
 暫く間を置いて、「初めてだから、そういうのが」と絞り出すと、露伴はただ「へぇ」と声を漏らしただけだった。彼女がこんな不安な気持ちを零してみせたのに、あまりにも反応が薄すぎる、ありえない。

「別にぼくも初めてだし問題無いだろ」
「え!?!? うっそ」
「何なんだよ失礼だろう!」
「い、いや、露伴って、“リアリティの為だから〜”とか言ってとっくにさっさと経験して、何なら経験豊富そうだなって思ってた……」

 露伴のじっとりとした視線が突き刺さった。とんでもなく失礼なことを言った自覚はあるのだけれど、本当にそう思っているのだ。仕方ない。苛立ちを押し込めるように露伴がうう、と息をついて、あたしのことを白けた目で見下ろしている。

「きみはぼくのこと一体何だと思っているんだ?」
「漫画にかける情熱が異常で自尊心とプライドが高い人」
「よし、もう決めた、絶対に待たない、今日抱く」
「だっ、」

 事実なのに癪に障ったらしい。あけすけなもの言いになった露伴がぐっと距離を詰めてきて、思わず後ずさる。何よりも焦りが勝って、「なんで」と慌てて同じことを繰り返すことしかできない。後ろにあったソファの背もたれに、腰が当たった。逃げられない。「きみが舐めたこと抜かすからだろ」と吐き捨てるように露伴が言って、あたしの後頭部にさっと手を添える。わ、嫌な予感。

「ちょ、待っ、どこでスイッチ入って、る、…………う、」

 ズキュウウン、みたいな効果音が入った気がした。なんだかんだ優しく唇が触れ合っただけなのがむしろムカついて、胸板をどんと勢いよく叩く。しかし露伴は鍛えてしまっているのでビクともしなかった。ムカつく。
 もう一度露伴の胸を叩くと、やっと唇が離れていった。普通にちゅーするよりも数倍恥ずかしかった。

「ホントに嫌だって、言ったらどうすんの……」
「なまえが本気で嫌がってたらとっくにぼくのこと殴り倒してるだろ」

 いきなりキスされたのに何だかムカついてそう言ったのに、露伴はけろりと返してきた。確かに、そう、だけれど。もたもたと言葉を漏らしたわたしに、ふんと鼻で笑って「じゃあ嫌じゃあないんだろ」とまで言う。なんなんだ。
 あたしがムッとすると、露伴の腕が伸びてきて、わたしの両脇を通って、そのまま後ろのソファに手をついた。囲まれた。ソファと露伴に挟まれている。最悪だ。

「…………何を不安がっているのか知らないが、ぼくはきみが処女でとんでもなく臆病なことくらいで嫌いになったりしない」

 突然、優しい声を出さないで欲しい。
 露伴はあたしをじっと見下ろして、こちらが口を開くのを待っている。急に泊まっていけなんて言い出して、帰してもくれない癖に。嫌ではない、嫌ではないけど。でも、やっぱり。

「……駄目か?」

 怖い。そう言いそうになったところで、露伴が小さく、その言葉を重ねた。う、と息が詰まる。心臓に刺さった気分だ。

「今更そんなふうに確認するの狡い……」
「でもきみ、ぼくのそういうところ好きだろ」

 さいあく。




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