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燃えたらおしまい


 お露、っていうお化けが居る。彼女はとある男性と恋に落ちて、その時「また来てくれないと、死んでしまうわ」なんて言う。けれど愛おしい人は会いに来てくれなかった。彼女は焦がれて死んだ。そうして死んだ後、彼女はその足で愛おしい人に会いに行く。からん、ころん、と下駄の音を響かせて。初め彼は喜んでくれた。喜んで、合瀬を重ねてくれた。愛おしいと囁いてくれた。抱きしめてくれた。けれど彼はお露が死んでしまっていることを知ると、途端に拒絶する。お札を貼って、お経を唱えて、恐ろしいと言う。あんなに喜んでくれたのに、愛おしいと言ってくれたのに、柔らかな指で触れてくれたのに。

「それって、おかしいんじゃないかなあって思う」
「どうして?」

 わたしが温かいココアを啜ると、典明くんが困ったように首を傾けた。さらり、と前髪が垂れたのが面白くて、それに手を伸ばして触れる。指先ですくと、柔らかな毛の感触が確かに指先に触れた。
 だって、愛しい人が自分に死んでも尚会いに来てくれるなんて、そんな幸せなことってある? 毎夜毎夜、自分の足で、自分の元まで来てくれる。愛を囁いて、触れてくれる。そんなに心躍ることなんて他にない。

「そうかな。怖くない? 死んでいるんだよ」
「怖くないよ。好きな人だもん」

 典明くんはちょっと目を細めて笑った。こんなささいな話をしっかり聞いてくれる典明くんがわたしは好きだ。
 お露は別に、愛した人に酷いことをしたわけじゃない。毎夜通って、愛を交わしただけだ。想いは通じ合っていた筈だ。それなのに、ただ、死んでいるというだけで、その想いが消えてしまうものだろうか。お露のこと、見えるし触れるのに。まあ、実際には彼女はもう骨になってしまっていたけれど、それは些末なことだった。

「典明くんは、わたしがお露になったら嫌?」
「うーん、どうだろう」

 ここで「そんなことないよ。骨になったなまえでも一も二もなく愛してみせるさ」なんて言わない辺り、典明くんは真面目だ。少し悩む素振りをみせた彼は、わたしの手を取って、緩く指を絡ませた。その存在を確かめるように、ぐ、と握りこまれて、じんわりと温かさが伝わってくる。

「会いに来てくれるのは嬉しいけど、死んでも僕なんかに縛られて、君が可哀そうだと思ってしまうかも」
「ええー、可哀そうじゃないよ。嬉しいもん、死んでも一緒に居れるなんて」

 典明くんが、仕方のない子供に向けるような、困った顔をしながらも、その瞳の奥には隠せない喜びが見えた。なんだかとても愛おしくなって、わたしは彼の肩に頭をのせる。典明君の香りがする。やさしい香り、落ち着く、香り、穏やかな香り。心臓を穏やかに鳴らして、わたしの肺を心地よく満たす。
 そこでわたしは、ふと、気づいた。この落ち着く香りは、どんなものだったっけ。


▽▽▽


 ぴぴぴ。そのアラームの音で目を覚ます。緩やかに意識が覚醒し、自分が眠っていたことに気づく。喉の奥から呻きか呼吸か分からない音が漏れ出していった。冷たい空気が、足の先に触れている。布団を引き延ばして隠しても、その冷たさは消えてくれなかった。
 窓の外から漏れてくる明かりに目を向けて、壁にかけられた時計に目を向けると、10時を過ぎたところだった。ああ、休みか。そう思うと、もう一度夢の世界に沈み込みたい気持ちが溢れてくる。溢れてくるけれど、目はもう冴えてしまっていた。目覚ましの設定を切っておくべきだったかもしれない。そうすれば、もう少し怠惰に眠れたのに。
 すん、と鼻を鳴らす。何の匂いもしない。わたしの部屋、見慣れた家具、冷たい空気。何も特別なものなどない。けれどそれにどうしようもないくらいに涙が溢れそうになった。喉がぎゅうと縮んで、目の奥だけが熱い。あーあ、最悪だ。そう思って、枕に顔を押し付ける。

「………………あー」

 意味のない声が喉から零れる。何か、音が無いと、どうにかなってしまいそうだ。揺れる視界の中で、テレビのリモコンを探して、赤いボタンを押し込んだ。数秒経ってテレビが点く。難しい顔をした研究者がニュース番組で意見する声を聞きながらのっそりと起き上がった。
 とりあえず、珈琲でも淹れよう。ぼんやりとしながら、お湯を沸かしていると、夢の内容がじわりと思い起こされる。高校生の頃の馬鹿みたいな話。愛しい人の元に通い詰めた幽霊の話。

 典明くんは十年前に死んだ。遺体はぼろぼろだったのか、見ることは叶わなかったけれど、確かに死んだ。遠い国で死んだ彼は冷たくなって帰って来た。わたしは信じられないくらいに泣いた。学校に居る時も彼の顔を思い出すと碌に立てなくて、通うことも難しくなった。ふさぎ込んで、泣き続けた。けれど、どんなに泣いたって典明くんは来なかった。
 愛おしい人に死んでも尚会いに行く。そんなことを夢に見ていた。素敵だと思った。死んでも尚愛をかわせるなんて、そんなに幸せなこと無いって。そう思っていた。けれど、典明くんは灰になるとそのまんま消えた。

 電話が鳴る。見ると恋人からだった。やさしい人だ。友達の紹介で出会って、何度かデートを重ねて、付き合ってくださいと真面目に言われて了承して。絵に描いたような合瀬。
 出ようか、と思って迷う。きっとわたしは今声を出したらきっと情けないものになってしまう。上擦った震える音が出てしまう。彼は聡い人だから、すぐに様子が違うと気づいてしまうだろう。それは嫌だった。どうして泣いているの、嫌なことがあったの、大丈夫、話を聞かせて。そんな風に言われるのがなんだか嫌でたまらなくて、気づかないふりをした。
 今は寝ていることにしたい。

「…………あち、」

 沸いたお湯をマグカップに注ぐと少しだけ手の甲に跳ねた。インスタントの粉がお湯に混ざって溶けていく。珈琲の香りは落ち着いた。あの夢をかき消してくれそうだった。
 お露は、死んでやっと愛しい人と毎夜逢うことができた。けれど愛しい人は、彼女が死んでいるからと拒絶した。今のわたしは、どうだろう。もし、もし、典明くんが、わたしのところに会いに来てくれたとして、その分の愛を返せるだろうか。彼の骨を腕に抱きながら、愛を囁けるだろうか。今の生活全て自分から捨てて、彼だけを見つめられるだろうか。
 瞳を閉じる。もう彼の顔は殆ど思い出せない。ただその困ったように細められた瞳だけが、ぼんやりと思い出せる。でも彼を思い出すと、その愛おしかったという感覚だけははっきりと沸き上がってしまう。でも、笑ってしまうくらいに時は過ぎて、わたしは彼を忘れようとしている。忘れたいと思っている。今付き合っている彼はいい人だ、とても、良い人。大切な人だ。

 お露は、愛おしい人に拒絶されても、彼の元に通う。そして、最後には結ばれた。彼を自分側に引きずり込んで、死してなお共にありたいと願った。愛おしい彼は、お露が死者であるから恐れた。それなら、自分も死者になったのなら、その後は幸せだったのだろうか。
 彼が逢いに来ても、わたしはきっともう愛を返せないだろう。今の日常に安心感を抱いてしまっているから。愛おしさを抱いてしまっているから。
だから、来るのなら、いっそわたしを引きずり込んで欲しい。おんなじ存在にしてほしい。わたしは狡いから選べない、選べないから、無理やりにでも連れて行ってほしい。
 ぼうっと、そう思って、思った後には、あはは、と乾いた笑い声が漏れる。典明くんはきっと、そんなことしてくれないだろうな。典明くんは、逢いに来てくれないし、連れて行ってくれない。だって、優しい人だから、薄情な人だから。だから、きっとそう。絶対にわたしに無理を強いることはしてくれない。
 中途半端に、今も彼のことを想ってしまっている。ひっそりと、どろりとした気持ちと一緒に。彼のものになってしまいたい。そうずっと、考えている。でもわたしには勇気が無いし、典明くんは、わたしが出会った中で一番優しい人だから。だから多分、わたしはこのままだ。しわくちゃのおばあさんになるまで生きるかもしれないし、明日にでも事故に遭って死んでしまうかもしれないけれど。でも多分その時まで。きっとわたしは、わたしが息を止める時までずっと、典明くんが迎えに来てくれないだろうかと考えている。墓にこの思いが、埋められる時まで。




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