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あしたになったら


「明日になったら、東方くんがわたしの彼氏になってたりしないかなあ」
「アハハ……」

 康一くんが、困ったように笑っている。わたしは彼が「絶対無理だよ、夢見すぎだよ」なんて言わないことに感謝しながら、さっき購買で買ったオレンジジュースのパックをゆっくり吸った。
 東方仗助くんは、おんなじ学校の、おんなじクラスの男の子だ。ちょっとヤンチャな感じだけど、イケメンだし、優しいし、当然女子には大人気である。わたしは机にずるりと突っ伏して、ぼんやりと二つ前の彼の席を見つめた。そこには彼の姿は無い。なぜなら虹村くんとお昼を買いに教室をさっき出ていったからである。わたしはこれ幸いと願望の言葉を口にした。その内容はいつものことなので、今更康一くんは驚いたりしない。

「告白とかは考えたりしないの?」

 困ったように笑いながら、康一くんはそう言った。わたしは「コクハク」という二文字を聞いた途端に脳みそが爆発して、だらしなく凭れていた机から慌てて起き上がった。なんて恐ろしい言葉を口にするのだろうか、この子は!

「む、無理だよ絶対に無理! 東方君だよ! ヒガシカタジョウスケクン! 無理!」
「そんなに勢いよく否定しなくても……」
「だって、ぜったいに、無理……」

 そうかなあ、と康一くんは言う。そうだよ、とわたしは唸る。
 東方くんは、とっても綺麗な顔をしているし、とってもチャーミングだし、その上とっても優しいのだ。もし、仮に、万一、わたしが彼の隣を恋人として歩くとしたら、きっと顔の造形も股下も違い過ぎて泣きたくなるし、ユーモアのセンスが足りなくてのたうちまわるし、自分より優しい彼に号泣してしまう。わたしだったらそんな恋人は嫌だ。
 だからと言って、もしパーフェクトガールが東方くんの目の前に現れて仲睦まじく並んでいる姿にわたしは一秒も耐えられないだろう。いや、絶対に耐えられない。

「うう……世界が一周したらそんな未来があり得たりするかな……」
「ぼくはお似合いだと思うよ、二人」
「お似合いっていうのは康一くんと由花子ちゃんみたいな感じでしょ……」

 ううう、と唸りながら机に頭を擦りつける。わたしだってもちろん泣き言だけを言っている訳じゃない。日々メイクの研究は欠かしていないし、足があり得ないくらいに伸びます!みたいなマッサージ特集を読み漁っているし、ユーモアのある人間になる為にわざわざ隣町まで漫才を観に行った。東方くんみたいに優しい人にちょっとは近づきたくて、今のわたしの座右の銘は一日一善である。
 けれど、やっぱり限界値があるのだ。ほんの少しだけ進んで一喜一憂しても、いざ東方くんを目の前にするとその美しさに呆けるし、面白いことは全然言えない。康一くんと昔から仲良しであることと、東方くんが優しいおかげで日常会話はできるけど、オトモダチって感じなのだ。いや、トモダチのトモダチ、的な。多分二人きりになったらわたしは言葉を一つだって発せない、緊張で。

「明日になったら、何か奇跡が起こってないかなあ……」
「奇跡?」
「うん、そう、奇跡……」

 あれ。なんだか康一くんよりも低い声が聞こえた気がして、わたしはそろりと顔を上げる。恐る恐る顔を上げたわたしを待っていたのは、不思議そうな顔をしている東方くんだった。心臓がギュエッみたいな変な音をしてねじ曲がった気がした。冗談とかではなく、この痛みは本当にそのレベルの痛みだった。

「おかえり、億泰くんは?」
「急に腹下したみてェでよ、先帰って来た」

 康一くんと東方くんが話しているときも、わたしの心臓は未だ破裂しそうに痛んでいた。び、びっくりした。そのまま二人は食堂かなんかで食べてくると思っていたから完全に油断していたのだ。変なこと聞かれなかっただろうか、と彼の表情を見ても、いつも通り変わりない。メチャメチャカッコイイ。
 がらがら、とわたしの正面の席が引かれる。えっ、待ってすっごく嫌な予感がする。そう思いながら彼を見つめていたけれど東方くんは何のためらいもなくわたしの目の前に座る。横に康一くんが居るんだから絶対に彼の前に座るって思っていたのに! もう嬉しいのか苦しいのか自分でもよく分からない。

「多分もーすぐ由花子が教室来るぜ」
「ほんとだ! 時間だからもうそろそろ行くね」

 え。わたしは神に祈るような気持ちで康一くんを見たのだけれど、彼はなんだか微笑ましいものを見るような顔でさっさと立ち上がってしまった。確かに由花子ちゃんと恒例のお昼タイムを邪魔する気は毛頭ない。全然、全くない。けれど、わたしを東方くんとわたしを置き去りにするつもりなのだろうか。そんなことしないで。
 わたしの念力も空しく、そのまま康一くんは教室を出て行ってしまった。もう神はいなかったのである。

「みょうじ、昼飯は?」
「え?」
「ひるめし!」
「オベントウ! あるっ、よ、」

 自分がブリキの人形にでもなったみたいだ。関節の動きが鈍い。しかも言葉が全然スムーズに出てこない。もし誰かが居ればここまでじゃあないのに。だって、いきなり二人きりになるなんて思わないじゃないか。
 東方くんは購買で買ってきたらしいパンを既に食べ始めている。もしかして、もしかしてなのだけれど、このままランチタイムの流れなのだろうか。二人きりで話すことすら初めてなのに、彼と食事しながら会話をしろと言うのか? レベルが高すぎる。

「何パン?」
「ん? 焼きそばパン」

 わたしが苦し紛れに吐き出した質問に、東方くんはすごく不思議そうな顔をした。当たり前だ。だってこの世の中で一番見た目のみで判別がつくパンが焼きそばパンなのだ。見たら分かる。コッペパンに焼きそばが乗っていたらもうそれは見紛うことなく焼きそばパンなのだ。それが真理。やらかした。
 気まずくなって、わたしは内心泣き出しながら自分のお弁当箱を取り出した。しかも今日に限ってお弁当箱は小学生から使っている新幹線柄だ。最悪だ。完全にちびっこだ。

「ん? 俺も持ってたぜ、その弁当箱」
「えっ、ほんと?」
「おー、もう俺には入る量少ないから捨てちまったけど」

 え、このお弁当箱家宝にする。毎日使うし、なんなら毎日お祈りする。たとえ今東方くんが持っていなかったとしても、かつて持っていたことが重要だ。もう殆どおそろいと言っても過言じゃない気がする。
 このお弁当箱を掲げて全世界に自慢したい気持ちに駆られながら、わたしはお弁当箱を開く。そこでわたしは思い出した。今日のお弁当の中身は可愛さの欠片も無いということに。昨日の夕飯のから揚げと、卵焼きと、冷食数品と、ご飯。ああ、何故今日の朝わたしはお弁当の色どりを意識しなかったのだろう。美味しいものしか入っていないのが悪い。
 わたしは耳に熱が集中していくのを感じていた。めちゃめちゃ恥ずかしい。

「美味そう」
「え、っあ、食べる?!」
「え」

 あ、間違えた。「そんなことないよ〜」と謙遜するつもりだったのに、彼の「美味そう」の言葉に舞い上がってしまった。間髪入れずに食べる? なんてもう意味が分からない。最悪だ。
けれど東方くんはちょっとびっくりした顔をして、そうしてすぐに「いいのかよ」と嬉しそうに笑ってくれた。うわ、眩しい。

「ショージキ購買のパンだけじゃあ物足りねぇんだよな〜」
「全然いいよ、どれがいい?」
「からあげ」

 うわ、可愛い。なんだかもう、東方くんの口から「唐揚げ」という単語が出ただけで唐揚げが可愛らしく見えてくる。これから毎日唐揚げを食べちゃいそうで怖い。ダイエットも頑張りたいところなのに。

「ホントにもらっちまって良い訳? 飯足りる?」
「ぜんっぜん足りる、朝ごはんもいっぱい食べちゃったし」

 わたしの言葉に東方くんが笑う。また失言した気がする。朝からわたしが食事をお腹いっぱいしてきたことは要らない情報だった気がする。
 東方くんはわたしのお弁当箱からひょいっと唐揚げをつまんで口の中に放り込んだ。意外と一口がおっきい。もぐもぐと口を動かしながら、東方くんはちょっとだけオーバーに親指を立てた。ごくりと飲み込んで「スゲー美味い、ごちそうさま」と言う。幸せの供給が多すぎてそろそろ死んでしまいそうだ。

「そうだ、一口食べるか?」
「え、」
「まだコロッケパン残ってるからよ」

 そんなの悪いよ、と言おうとしたけど、東方くんからお返しでパンを一口もらえるなんて正直嬉しい。悩んで、悩んで、わたしは誘惑に負けた。じゃあ、ちょっとだけ。そう言うと、東方くんは快く頷いてコロッケパンを一口くれた。しかも彼はコロッケパンを二つに割って、わざわざ真ん中のコロッケ分が多いところをちぎってくれた。やさしい。ほんとうに。

「ん、おいしい」

 東方くんがくれたものだから余計に美味しい。この世の何よりも美味しい。一生噛みしめていたい気持ちになりながら、わたしは先程東方くんがやってくれたように親指をぐっと立てた。本当に美味しい。ごちそうさま。
 それを見て、東方くんが目を細めて笑う。待って、何その顔すっごく可愛い、そしてかっこいい。わたしは思わずぽけっと彼の顔を眺めていた。

「おーい仗助ェ」

 呆けていると、教室の扉ががらがらと開いて、聞き覚えのある声が入ってくる。
 帰って来た虹村くんは、わたしたちのところまで来ると「腹減ったぜ」とわたしの横にどっかりと座った。そっちに座るんだ。
 それにしても、彼はお腹を痛めていたから今の今まで居なかったのではなかったか。わたしと同じく、東方くんは呆れているのかなんなのか、微妙な顔で「腹痛ェんじゃなかったのかよ」と言う。虹村くんはけろりとした顔で「完全に治ったぜ」と言うと、わくわくした様子で自分の分のパンを頬ばり始めた。リスのようにもぐもぐ咀嚼する姿が可愛くてちょっと笑った。
 ふと思いついて、お弁当箱の中を見る。唐揚げは残り一つだけれど、わたしのお腹はコロッケパンでなんだかんだ満たされてきたし、さっき東方くんにあげて虹村くんにあげないのは、ちょっと不自然かもしれない。

「ねぇ、虹村くん、良かったらこれ」
「お、いいのか?!」
「え?!」

 残り一つの唐揚げを差し出すと、虹村くんはその瞳をきらきらと輝かせた。すごく嬉しそうだ。ここまで喜んでくれるとあげ甲斐があるなあ、なんて思っていたら、何故か東方くんもえらいくらいに驚いていた。
 不思議な気持ちで東方くんを見る。もしかして彼はまだ空腹で仕方がないのだろうか。でも唐揚げは残り一つだ。えっと、どうすれば。
 わたしがそんなことを考えているうちに、嬉々として虹村くんが最後の唐揚げに手を伸ばす。

「ストップ!」

 しかしそれを止めたのは東方くんだった。彼は勢いよく手を伸ばし、虹村くんが摘み上げようとした唐揚げを横からかっさらっていく。驚く間もなく、彼の口に唐揚げは放り込まれた。
 一瞬呆けた顔をした虹村くんが「なにすんだよォ! せっかくの唐揚げをよォ!」と憤慨した。唐揚げがよほど食べたかったらしい。パンだけの昼食にお肉が一つでもあるのは思っているよりも魅力的なのかもしれない。

「……うるせー、いいだろ、あとでオーソンでなんか奢るからよ」

 もぐもぐと唐揚げを咀嚼して飲み込むと、東方くんはそう言った。その言葉を聞くと、虹村くんはたちまち機嫌が直って「じゃあいいぜ」とまたパンを頬張りはじめた。いいんかい。それはそれでなんだか複雑だ。
 東方くんはちょっと機嫌を損ねた感じの顔をしていたのだけれど、もう一度「スゲー美味い、ごちそうさま」と言った。わたしは呆けながらもゆっくりと頷く。

「そんなに食い意地張ってたかァ? ジョースケ」
「うるせーって」
「そんなに唐揚げ好きなの?」
「……そーデス」

 未だにむすっと顔をしかめて、東方くんは頷いた。怒っているって感じの顔ではなくて、なんていうか、拗ねているって感じの顔。そんなに唐揚げが食べたかったのか、と驚きながらも、わたしはなんだか嬉しい気持ちになってへらへら笑ってしまった。多分今わたしは信じられないくらいにだらしない顔をしている。

「また唐揚げ作ったらあげるね」
「……オウ」

 東方くんはまたちょっとだけ複雑そうな顔をしたけれど、頷いてくれた。
 あ、わたしいま、東方くんとまたお昼を食べることができる口実を作り上げたのではないだろうか? 最初は緊張やらなんやらで逃げ出したかったのに、今は幸福が溢れ出て堪らない。今わたしと東方くんの間には地球一周分くらいの距離があるのだけれど、きっと一歩くらいは近づいたはずだ。嬉しいな、嬉しいな。浮ついた気持ちでわたしは残っていたオレンジジュースのパックを飲み干した。


▽▽▽


「昨日お昼ご飯一緒に食べたんでしょ?」
「おー、康一」

 ニコニコ笑って、康一が俺の隣に座る。俺はなるべくなんてことない顔を貫いた。しかし康一は生温い視線をそのままに笑っている。

「良かったね」
「まァ、な」
「なまえさんのこと気になるって言ってたもんね、仗助くん」

 さらり、と言った康一にギョッとする。一体何を考えているんだコイツは! ここは俺の家でも康一の家でもましてや億泰の家でもカフェでもなく、教室なのである。未だ話の彼女当人は登校していないとはいえ、なんて恐ろしいことをするのだ。間違っても彼女に聞かれるわけにはいかないというのに。
 俺の焦りに慌てて謝った康一は、しかし話を続ける気であるらしく、「あの子も楽しかったって」と言う。

「……でも、正直よォ、落ち込んだぜ」
「どうして?」
「最初スゲー気まずそうだしよォ、唐揚げあげるって言われて舞い上がったら億泰にもあげようとしてたし、脈無しってやつだよなァ……」

 はぁ、と深く項垂れる俺を康一は微笑ましそうに見つめていた。自分に彼女が居る故の余裕と言うやつなのだろうか。頬杖をつきながら昨日の彼女を思い出す。二人きりになった時はかなり気まずそうにしていたが、次第に笑ってくれるようになったし、唐揚げとコロッケパンの交換までした。コロッケパンを頬張ってグーサインをしてみせるあの子は信じられないくらいに可愛かった。
 そう、あの子は可愛いのだ。可愛くて、意外と面白いところもあって、そしてあり得ないくらいに優しい。きっと不良に分類される自分よりは、もっとまじめな奴の方がお似合いというやつなのだろう。しかし実際に完璧な奴があの子の隣を歩いているとしたら俺はちっとも耐えられる気がしない。
もちろん、彼女に怖がられないように努力しているが、きっと昨日の二人きりのときの反応を見ると確実にビビられている。昨日のことを思い出してまた項垂れた。

「明日になったら彼女になってくれてたりしねーかな」
「あ、あはは……」

 康一が苦く笑う。項垂れる俺には、康一の「ホントにお似合いだと思う……」という言葉は聞こえていなかった。




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