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えいぷりるふーる事変


「なまえ、結婚しよう」
「はい?」

 口をぽかんと開けて固まることって、実際人生に何回くらいあるのだろう。小説だとかではよく見る表現だけど、口を間抜けに開けたまま静止することなんてそうそう無い。そう思って生きていたのだけれど、わたしはこの時、確かに口を開けたままにして動かなくなった。

「結婚?」
「ああ、結婚」

 露伴はいつもの通り、なんてことない顔でそう言っていた。間違っても人に求婚する顔じゃあ無い。わたしは視線だけをやっと動かし、そこでカレンダーに目を止めた。脳がぐるぐる回る。そこでわたしは気づく。今日の日付に。今日は、四月一日だ。

「くそ野郎じゃん……」
「何だって?」
「いいや、何でもない」

 ぼそ、と呟いた言葉は露伴の耳には届ききらなかったらしい。助かった。
 しかし、それにしても、この男。タチが悪い。エイプリルフールの嘘に、結婚のネタを使うなんて、いくらなんでもあまりにも、酷すぎるのではないだろうか。
 わたしには分かる。この男、結婚しようなんてキラキラした言葉で慌てふためいたわたしにネタバラシして、その時の悲しみの表情を嬉々としてスケッチするつもりだ。わたしには分かる。揶揄って遊んで楽しんで、わたしをお人形だとでも思っているのだろうか。猛烈に腹が立つ。
 だからわたしは、敢えてこの男に乗ってみることにした。

「いいよ」
「……いいのか?」
「うん。結婚しよう」
「は、はは。そうだよな。そうか」

 露伴はそこで、ちょっと息をついて、口の端を緩めて笑った。え、ここでそんなふうに笑うなんて、予想外だ。
 わたしの予想では、ここでわたしをしこたま馬鹿にするように嘲笑うと思ったのだけれども。

「……なんか、嬉しそうだね」
「は? 当たり前だろ。プロポーズが成功したんだから。ぼくだって嬉しくもなるさ」
「へ、へえ

 すごい演技力。わたしは一周回って感動した。次は恋愛ものの漫画でも描くのかな。可愛い女の子描くのは苦手だって言っていたけど、露伴の描く恋愛ものって凄そうだ。リアリティにこだわっているから、多分すごく人間味があって生々しい。そこがいいところだけど。
 新作への期待を膨らませていたら、露伴は急に棚を漁りはじめ、そうして一枚の紙切れを引っ張り出して戻ってきた。ついにスケッチでもするのか。そう思って待っていたのだけれど、彼の手の中にはとても見覚えのある……いや、実際に見るのは初めてなのだけれど、それでも馴染みのある紙が握られている。婚姻届、と書かれている。わたしは一度だけ頬をつねった。婚姻届、と書かれている。瞼を擦った。婚姻届、と書かれている。首を勢いよく振った。婚姻届、と書かれている。

「……それは?」
「婚姻届だよ」
「だよね。……え?」
「誰でも無いきみが結婚を承諾したんだろ?」

 露伴はムッときた顔で婚姻届をこちらへ突き出している。そこには岸辺露伴、と丁寧に名前が書いてあった。彼が書くべき欄は全て埋められている。

「……まじか……」
「なんだよ」
「いや……」

 この男……嫌がらせにかける熱意がそこらの人の比じゃあない。嘘でしょ、といっそ笑いそうでもあるのだけれど、この男にはそれほどまでの大掛かりで非常に性格の悪い嫌がらせをやらかしそうな危うさがあった。
 婚姻届、なんて勿論のことだけれど、書いたことがない。今の今まで、一度だって。そもそもプロポーズだって今この男にされたものが一番なのだ。……はじめてのプロポーズがドッキリじみた嫌がらせって、なんだか泣けてくる。

「……分かった」
「ああ」

 ここまで来たなら、最後まで騙されてやろう。そしてネタバラシされた時に彼の望む表情を浮かばないことが、わたしの一番の仕返しだ。わたしは頷いて婚姻届を受け取った。ふと触れた露伴は何故か手汗がすごい。緊張しているのだろうか。ドッキリとか結構焦るタイプなのだろうか。

「……ちょっと緊張するね。書くの」
「あっ、ああ、ぼくも緊張した」
「えっ」
「なんだよ、ぼくだって緊張くらいするさ」

 露伴の顔をまじまじと見つめ返したけれど、露伴の真意は読めなかった。ちょっと照れたように見えるのが何とも言えない。え、なんていうか、え。露伴でも照れることあるんだ、少し意外だった。

「きみの文字って、ちょっと斜めだよな」
「あ少しだけね、」
「きまの性格をそのまんま表してるな」
「それ露伴が言う?」

 軽口を叩き合っていても、内心やはり緊張していた。震える手を誤魔化しながら、わたしは自分の名前を書き終え、露伴の方にそっと婚姻届をすすす、と押し出した。
 露伴がまじまじと婚姻届を見つめて、ほ、と息をついた。安心した、みたいな。そんな、息を。

「あとは康一くんにここの欄を書いてもらって、明日提出しに行くか」
「え、明日?」
「なんだい? 都合が悪いのか?」

 露伴が首を傾けて、不思議そうに言う。わたしは明日に先延ばしにしてはエイプリルフールの意味がないんじゃ、と思って、そのまま固まっていた。
 急に黙り込んだわたしの所為で、室内に無言の時間ができた。カチ、カチ、カチ、と無慈悲なくらいに正確な針の音がする。

「明日じゃあ、その、意味がなくない?」

 わたしは口を開いた。露伴が意味が分からない、という顔をする。わたしだって意味が分からない。これじゃあ彼の嘘にわたしが協力しているみたいだ。

「どうして明日じゃあ駄目なんだ?」
「だ、だって今日一日が……」
「大体、四月一日に婚姻届を提出するなんて、馬鹿みたいじゃあないか」
「え、ええっ?」

 露伴はそのまま「明日都合が悪いんなら、明後日でもいいから」なんて言う。わたしは混乱して混乱して、そうして「ネタバラシを明日にするつもりなのね」と気づいた。そうだ。きっと市役所に到着してウキウキのわたしをみて、ひとしきり馬鹿にするつもりなんだ。なんてひどいやつ。
 そう考えて、わたしは脱力感と共に椅子に吸い込まれるように腰を下ろした。なんて疲れるエイプリルフールなのだろう。ああ、ひどいやつ。岸辺露伴。

△△△


「……で、なまえさん、ホントに結婚したんスか?」
「そう。笑っちゃうでしょ」
「いや、笑えねえって」

 仗助くんが口をあんぐり開けている。まあ、そうですよね。そういう顔に、なりますよね。
 婚姻届。そう、あの婚姻届はなんの滞りもなく市役所に受理された。わたしは一体どこでネタバラシされるのだろう、と考えている間に人妻になっていたのである。おそろしや。
 市役所を出て、なんだかそわそわとしている露伴に、わたしは、思わず「え、これ、現実だよね?」と言った。言葉通りの意味だったのだけれど、それを聞いた彼、なんて言ったと思う?「こんなに幸せだからそう思うのも無理ないな」なんて、ちょっと微笑んで言ってみせたのである。心底嬉しそうな顔で。わたしはそこでぶわっと涙が溢れ出て、市役所の前でわんわん泣いた。正直嬉しかったのである。いや、当たり前でしょ。大好きな人にプロポーズされていたんだもん。タイミング最悪だったけど。

「それ、露伴センセーに言って……」
「ない」
「その方がいいぜ、ホントに」

 わたしは実は婚姻届出すまでタチの悪い冗談だと思ってた、なんて口を滑らして、ブチギレる露伴の姿を想像した。背筋をひんやりしたものが撫でていって、頭を抱える。まあ、秘密がある人のほうが、ちょっと魅力的に見えるって言うし、ね。このことは最後の最後まで、彼には内緒にしておこうと思う。もしかしたら、我慢できなくなって、いつかのエイプリルフールに言ってしまうかもしれないけど。勝手に嘘だと思うでしょう。きっと、きっとね。




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