恋知らぬあなたへ
※学パロ
何を考えているのかちっとも分からない、とっつきにくい、苦手な人。それが尾形に対する第一印象だ。まあ、きっと大抵の人はそう感じる。もしくは、怖いとか、堅気じゃなさそう、とか。そういうのもあるんだろう。
だから、わたしは正直驚いた。帰り際下駄箱で声をかけてきた男が息を切らしていることに。わたしの目を真っ直ぐ見ていることに。何かに耐えるように、唇を震わせていることに。
「…………き、な……だよ」
「はい?」
ぼそぼそ、と声が落ちた。えっと、なんて? そう聞き返すと彼の肩がびくりと震える。忌々しげに、顔が歪められた。
数拍間が空いて、クソ、という悪態だけが聞こえてきた。ええ、なに、怖い。心の中でびくついて、恐る恐る彼の表情を観察する。怒っているのか、キレているのか、苛立っているのか。分からない、分からないのだ、全然。どうしてわたしは引き止められているのだろう。
「…………受けるのか」
「何を?」
「告白」
「えっ、」
わたしが零した、えっ、という言葉には、様々な感情が混じっていた。「えっ恋バナするの? ここで?」「えっていうか何故知ってる?」「えっそもそも尾形ってそういうの興味あるの?」えっ?という言葉がぶわぶわと湧いてはわたしの頭をハテナだらけにしてかき乱す。
尾形はぴたりと唇を閉じわたしの瞳を正面から見据えていて、心臓がぎくり、と変な風に動いた。わたしの返答を待っているのかもしれない。というより、きっと待っている。
「えっ、と……」
思わず視線を逸らした。だって、気まずい。そもそも尾形とは、時々話すことには話すけど、すごく仲が良いって訳ではないのだ。ましてや恋バナをしながらキャッキャする関係性では、断じて無い。どちらかと言えば、そういうのは、杉元くんが好きでしょう。
大体、尾形はわたしに何故そんなことを聞くのだろう。たしかに昨日、他のクラスの男の子に告られは、した。「返事は今じゃなくてもいいから」と言われたから、先延ばしにしてしまっている。どうしよう、と今正に悩んでもいる。告白してくれたことは、好意を持ってくれたことは、素直に嬉しかった。でも、よく知らない人だしなあ、どうしよう、と一人悩んでいた。
「な、なんで知ってるの?」
「白石が現場を目撃した」
シライシィ……。わたしは頭を抱えた。一番見られたく無い人間に、見られた。絶対に奴はもう何人かにこの話を振り撒いているのだろう。白石なら、やる。目の前に居る尾形が証人だ。
「……で、」
「え?」
「付き合うのか」
依然として尾形はじっとこちらを見据えている。恋バナをしたい、という雰囲気では無い。どちらかと言うと、尋問、というやつに近かった。この物々しい雰囲気の中では、分からない、なんて中途半端な答えは出来そうになかった。
「付き合ってどうする?」
「ど、どうするって?」
「別に、相手のこと好きじゃないだろ」
「え、ええー……」
ずけずけ。どかどか。そんな効果音が鳴りそうなくらいに、尾形はわたしの心中に足を伸ばしてくる。好きではないのに、どうして付き合うか否か悩むのか。そういうことらしい。
好きでも無い人と付き合うのは、不誠実なのだろうか。でも、そこから始まるものだって、何か、あるのかもしれないし。
わたしの思考を感じ取ったのか、尾形はこちらを馬鹿にするように口元を歪めている。
「確かに、好きかは分からないけど」
「そうだろ」
「でも、嬉しかったよ、好きって言われたのは」
「…………」
尾形の瞳が、また何を考えているのか分からない、色のないものになった。わたしの言葉に黙り込んで、じっとこちらを見つめている。
わたしは心臓に拳銃を突きつけられているような心地だった。そういう圧が、彼にはあった。
尾形が、少しだけ、口を開いた。しかしすぐに迷ったように閉じられる。何度も何度も、言おうとした言葉を飲み込んで、そうして彼は、やっとそれを吐き出すことにしたらしい。すう、と唇が薄く開く。
「…………て、くれ」
「なに」
「断ってくれ」
「はい?」
何を? なんて間抜けなことは聞けなかった。ここまでの流れを考えてみても、完全に告白のことを指しているに決まっているのだ。何で? という言葉が出そうになったけれど、わたしは彼の顔を見て思わず言葉を飲み込んだ。仄暗い瞳が、ぐらぐら揺れているのが分かった。
尾形が、数歩分空いていた距離を、一気に詰めた。目の前まで来ると、わたしのことをじっと見下ろす。やっぱり、何を考えているのか、全然わからない。
「……告白の、話だよね?」
「そうだ」
「その……」
どうしてそんなこと言うのか、とは聞きたくても言葉が出なかった。しかし、尾形はわたしの言いたいことを、なんとなくでも察したらしい。ぐ、と眉間に皺が寄っていた。
「……みょうじが」
尾形の表情が忌々しげに歪められる。みょうじ、と彼の口から溢れたわたしの名字は、まるで他人のもののように実感がない。別の人が呼ばれたみたいだ。わたしはこれから続く言葉が気になって仕方なくて、けれど聞きたく無かった。だって、こんなにも怖い顔をした同級生が、告白を断れなんて言う理由、絶対に良い理由ではないのだから。
「お前、……お前が、」
また間が出来た。放課後の学校に殆ど人なんて居ないから、不自然なくらいに静かで、わたしはごくりと唾を飲む。
尾形は中々言葉を続けず、ただひたすらに顔が強張っていくだけだ。そうしてわたしは、彼の顔を見ているうちに、その額に汗が光っていて、唇が小さく震えていることに気がついた。
「……っ、き、なんだ、よ……お前が」
「え?」
「好きだ。好きなんだよ、……問題あるか……?」
クソ。舌打ち混じりにそう言う尾形の瞳が、ぐっと細くなる。「好きだ」と、そう言ったはずの顔にはそんな色は全く見当たらなかった。むしろ、「嫌いだ」とか「顔も見たくない」だとか、そういう音声をくっつけたほうが自然だ。
「は、……え? わたしが……?」
「他に誰が居る」
「いや、え、っと……」
ギシリ、と心臓が変な風に曲がった。好き、って、何だっけ。そんな問いを自分に投げてしまうくらいには、わたしは戸惑っていたし、理解ができなかった。尾形が、わたしを、好き。言葉にするとさらに分からない。
頭の中がぱっとまっさらになってしまったような心地だった。軽くパニックになりながら、彼の顔を仰ぎ見る。
「……だから、断れ、告白」
「は、はい……?」
「そうか」
はい、というのは聞き返す意味のそれだったけれど、尾形にはYESと、そう取られたらしい。しかしわたしには、もう訂正する気がちっとも起きなかった。尾形が、笑ったからだ。ふ、と息を落とすように、心の底から安心したように穏やかな息を漏らして、尾形は笑った。
他の人の笑顔とは、少し違う。柔らかでささやかな、微笑みと言うにはかなり味気ないものだった。でも、それは笑顔だった。尾形が笑うところは、そりゃあまあ、おんなじクラスだし、何回か見てきている。でも、彼が今まさに浮かべたその笑顔は、初めてのものだった。いつもの人を馬鹿にするようなそれでは無いのだ。だからわたしは驚いてしまって、ただ間抜けに固まった。
「……なら、明日断れよ、ちゃんと」
「…………」
「……おい、」
「え、あ、うん、はい」
こくこくと、何度も頷くと、尾形は満足したらしく、こちらにあっさりと背を向けた。さっきまでは、是が非でも動かない、とでも言いそうなくらいに、そこに立っていたのに。
じゃあな、とか、また明日、とか。そんな挨拶は一切なく、尾形は去っていく。そこにはただ、間抜けな顔をしたわたしだけが残った。
何が起きたのか、理解が出来ないが、ただ一つ、尾形の笑顔だけがわたしの脳裏にこびりつき、どうやっても離れそうに無い。ふら、とよろけて、すぐそこの下駄箱にぶつかった。そのままよりかかると、ひんやりと冷たい。
「……なんか、どっと疲れた」
そう言おうとして、しかし言葉になりきれなかった音が、響かずに消えていく。頬が熱いのは、気の所為だ。胸がざわついているのは、気の所為だ。だって、尾形だもん。何を考えているのかちっともわからない、あの、男。だから、今わたしの胸の内に燻っている何かは、まやかしだ。
ぎゅう、と目を強く瞑って、尾形のあの表情を、声を、消し去ろうとする。しかしそうする度に色は、光景は、声は、濃くはっきりとこびりついていく。ああ、どうしよう。
……まあ、とりあえず、今は落ち着いて、息をしよう。なるべく平常通りで。深く考えてはいけない。そうしてまずは明日、白石を締めよう。
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