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かみさまにできないこと


「きみはその色がよく似合うなあ」

 そう言って、美しい鶴は笑った。
 あまりにもその鶴が綺麗に、嬉しそうに笑うので、私はどうして良いか分からなくなってしまう。主である私への、社交辞令かな。そう思おうとしても、鶴の言葉に私はどうしても心が動いてしまうのだ。

「あなたの方こそ、本当に白がよく似合う」

 小さくなってしまったであろう声を鶴はしっかりと拾い、私の頭をくしゃりと撫でた。その顔をちらりとみれば、その金の瞳は真っ直ぐとこちらを見つめていて、心臓がぎちり、と可笑しな音をたてた。
 鶴丸国永が私の本丸へやって来たのは、私が審神者になってすぐのことだ。身体が強い方でない私は、あまり頻繁に鍛刀が出来なかったから、彼が初めての太刀だった。
 鶴丸はよく笑う刀だった。悪戯好きで、皆を驚かせることも好きで。彼の声で、言葉で、笑顔で、思わずつられてこちらも笑顔になってしまうような。そんな彼が私は他の皆と同様に好きだし、頼もしくも思っている。鶴丸が私のところへ来てくれて良かった、心の底からそう思う。
 私は彼が来た時、まだ十代の子供だった。ここでの生活には慣れ始めていても、それでも毎日の恐怖は薄れなかった。だって、私はそれまで知らなかった。血の色も、濃い鉄の匂いも。


 毎日怖かった。今日か、明日か、誰かが傷ついてしまうかも。折れてしまうかも。どこかで歴史が変わったら。消えてしまったら。間違えられない、判断を間違えてはいけない。それはとても当たり前のことだったけれど、それでも私はそれに耐えられる程の心は持っていなかった。
 皆と過ごす毎日は、幸せで。食卓を囲む穏やかな時間ではほっと息をつけた。一緒に他愛無い話をする時は楽しかった。けれど心のどこかでは常に恐怖が根を張っていた。笑っている時も、心臓がどこか少しだけ重かった。恐怖を感じるなんて、私が弱いからだ。そう叱咤しても恐ろしさは消えてはくれなくて。

「なあ、主」

 鶴丸が初めて近侍を務めた日の夜だった。翌日には大きな任務を控えていて、私はその戦場についての資料に目を通していたのだ。何度も何度も頭の中でシュミレーションを繰り返して。鶴丸はそんな折にやって来て、襖の向こうからそっとこちらへと声をかけてきた。

「少しだけ付き合ってくれないか」

 襖から顔を覗かせて、鶴丸は悪戯っぽく笑った。
 鶴丸はどこかから持ち出した日本酒と、私の好きなチョコレートのアイスを持っていた。お酒を飲めない私に、彼は冷たいアイスを差し出して、縁側に座るように促した。
 夏が近づいて、蒸し暑かった。私は現世での生活を忘れたくなくて、この本丸を私の産まれた場所の季節に合わせていたから、私の本丸には四季がある。母はどうしているだろうかと、ぼんやり思いながら、庭の虫の音を聞いた。
鶴丸は何を言うでもなく、私の隣へ座っていた。二人の間では、絶えず鈴のような音が満たしている。彼が口を開かないのはとても珍しく、私は戸惑った。けれど酒を食むように飲むその表情があまりにも穏やかだから、私の心臓は次第に凪いでいった。ぎしり、と重くなっていた心臓が、奥の方で穏やかに鳴っている。

「怖いかい」

 鶴丸が、ぽつ、と声を落とす。静かで落ち着いた声。言葉が、脳へ届いて、意味が回って、私はそうして黙り込んだ。
答えたかったけれど、口に出せるわけが無かった。出してはいけないと思った。私はこの本丸の主だから。弱音を吐くなんて、許されるはずがない。進んでいかなくちゃ、皆を纏めて。たしかにまだ私は経験も何もない子供だけど。それでもこの本丸の主だから。絶対に口にしてはいけない。
唇を噛んで、何も言わない私に、鶴丸がそっと笑う。普段の笑みとは違う、酷く柔らかく穏やかな笑顔だった。私はぼんやりとその顔を眺めて、そうしていつのまにか肩から力が抜け落ちていることに気が付いた。

「怖いっていうのは、何も悪いことじゃないさ」

 穏やかなまま、そっと子供に言い聞かせるように、鶴丸は言う。

「きみは自分のことを、弱いと思っているだろう」

 鶴丸が、酷く優しい顔をして笑う。細められた瞳の奥で、金色が光っている。私の心臓が、ばくりと鳴る。

「よ、弱い、よ」

 ぽろりと、言葉が溢れた。つっかえながらも吐き出したそれに、鶴丸が目を瞬かせた。

「どうしてだ?」
「だって、ここの、主なのに、……」

 ばくりばくりと心臓が鳴っている。怖い、怖くて仕方がない。この言葉を口に出すことすらも。

「こ、……こわ、こわいの」

 声が酷く上擦って震えていた。手をぐ、と握りしめる。

「皆が傷つくのが、居なくなるのが、怖い」
「ああ」
「怖い、怖いよ」

 一度言葉を溢すともうちっとも止められなかった。子供のように怖いと繰り返す私に、鶴丸は呆れるでもなくただ穏やかに笑って、そばに座っている。慰めることもなく、ただ側にいる。
 怖いと一度言葉にしたら、もう戻れなくなってしまうと思っていたのに、側に鶴丸が居てくれるからなのか、案外心は次第に落ち着いていった。
しゃくりあげるように泣いて、そうしてどれくらい鶴が側に居てくれただろう。涙を拭いながら、私は「鶴も、怖いと思うこと、ある?」と聞いた。鶴丸は不意をつかれたように目を丸めて、そうして「ああ、あるよ、もちろん」と答えた。

「そっか、」

 こんなに強い刀にも、恐怖があるのか。私はぼんやりとそう思って、ふと笑った。そうか、怖いことは、悪いことではないのか。ゆるやかに持ち上げられた鶴丸の掌が、私の頭を撫でた。ゆるやかに撫でられて、私は幼い頃に母の手に撫でられた時のように安心していた。
それから私が苦しくて堪らない度、鶴丸は私に「怖いかい」と聞いた。恐怖を口に出さなかった私は、いつしか「怖いよ」と答えるようになっていた。彼の前でだけ、私は「怖い」と口に出した。鶴丸はそのたびに穏やかに笑って、私の頭に触れる。彼の言葉と掌に、私は息をつくことが出来たのだ。不器用な私にとって、鶴丸の存在がどれほど大きかっただろう。


 私は今から、知らない人のモノになる。
 白くて重たい服を着て、化粧をして、一生を捧げることになる。これからも戦っていくために、未来に可能性を少しでも残すために。これは私が選んだ道だ。守るために、決めた道だ。
 鶴丸が笑う。「怖いかい」と、彼が聞いた。私はそっと彼の顔を見上げた。私は「怖くないよ」と答えた。初めてだった、彼にそう言ったのは。
 怖いよ、すごく怖い。ねえ、鶴。怖いよと、いつも通りにそう言えば、彼は私を連れて行ってくれるだろうか。私はそう空想しようとして、すぐにそれを打ち消した。
 鶴丸があの時に、怖いものがあるかと私が問うた時に、あると答えたその時に。ちっとも感情を伴っていないことに気づいたのはいつだったろう。にんげんのような顔をして、優しく残酷な鶴は、美しく、美しく笑っている。私に白が似合うと、そう嬉しそうに笑っている。   
ひどくて、優しくて、暖かい、かみさまだ。私に白が似合うのは、貴方の色だからなのに。





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