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眩い光がさくところ

「綺麗だ」

 ぽつり、そうフーゴはわたしの瞳を覗き込んで言った。綺麗だ。そんなシンプルで胸を焦がす言葉を零した彼の瞳が、わたしをじっと見つめている。
 綺麗だ。その音を、もう一度胸の内で反芻させてみた。しかしわたしはフーゴの深く思案した時の表情だとか、今こうして熱の灯った瞳を見ているときに、綺麗だと、そう言うべきなのではないかなと思うのだ。

「変なの」
「変って、なんです」
「だって、フーゴの方がずっと綺麗なのに」

 訝し気な顔をしていた彼の瞳が、酷く苦々しく歪められた。ああ、フーゴは綺麗って言われるの、あんまり好きじゃあないんだった。そう気が付いたけれど、今更発言を撤回することも怒られそうで、だからわたしは彼の頬にそっと手を伸ばした。緩く撫でていると、仕方なさそうにフーゴは息をついて、そっとわたしの手を握る。

「僕は、君ほど美しいものを見たことがない」

 なんだか、今日はいつもよりずっと情熱的だ。繰り返される愛の言葉が面白くて肩を揺らしていると、フーゴはまた眉をひそめて、わたしの頬を、両方の手でそっと引き寄せた。真っすぐと瞳を覗き込まれて、彼の瞳にぼんやりとわたしが映っているのが見えた。

「本当に、」

 本当。切実さを孕んだ言葉が、わたしの耳を撫でつける。本当に。その後に続く言葉は何なのだろう。そんな風に考えて緩く瞼を閉じれば、彼の唇がわたしの目尻に優しく触れたのを感じた。柔らかくて、温かい。生きている人間の唇だった。



 フーゴに出会ったのは、二年前の雨の日だった。
空から時折ぽたりと雫が垂れていき、わたしの髪を濡らしていった。湿気でうねる髪も、水でメイクが崩れるのも嫌だったけれど、その時のわたしは、どうしてもそこから走り去って、屋根のある場所へ行く気にはなれなかった。この国では雨が降るのが珍しかったからだろうか。わたしはぼんやりと肌に落ちる雫を感じながら、道の端で、行き交う車を眺めていたのだ。
わたしの故郷はよく雨が降る場所だったから、だから余計に動けなかったのかもしれない。

「なあ、君」

 わたしの身体を濡らしていた雨が、不意に途切れた。暫く気づくのが遅れて、わたしはゆるりと顔をあげた。
 綺麗な男だった。彼はその瞳に面倒そうで、しかし心配げな色を灯していた。傘をこちらへ傾けながら、男が口を開く。

「どうしたんですか。こんなところで、雨に濡れて」

 道の端で、ぼんやりと雨に濡れているような女に声を掛けるなんて、なんて物好きかお人よしなのだろうか。他人事みたいにそう思ってから、わたしは「なんでもないの、ただちょっと、眠かっただけ」と特に意味も無く嘘をついた。理由になんてなっていない。どうしてこんな可笑しなことを言ったのだろうかと、自分でも思った。わたしはぼんやりとしていたけれど、眠気なんて、ここのところちっとも感じていなかった。

「ついてきて」
「……どこに?」
「暖かい場所へ行こう」

 初めて出会った男にそんなふうに言われて、手を引かれ、ついていったわたしは、多分正常な判断力を失っていた。けれど彼の瞳があまりに優しくて、駄々をこねる妹の面倒をみる兄のように、柔らかい色が灯っていたから。だから、手を取ってしまった。
 わたしは雨が多い故郷からこの町へやってきた。それは生きるためだった。生きるためなら文字通りなんだってした。父と母は良い死に方をしなかったから、ああなりたくないと、心底思って、あまり褒められたものではない仕事をしていた。毎日痛くて、苦しくて、冷たかった。そこからフーゴと、ブチャラティがすくい上げてくれたのだ。


「綺麗だ」

 また、フーゴがそう言った。懐かしい記憶に身を浸していたわたしは、ゆっくりと瞼を開ける。美しい瞳が、わたしを覗き込んでいる。彼の指先がそっと、わたしの肩をなぞって、身体が少しだけ震える。
 わたしは自分の筋肉のついた身体とか、そこへついた傷跡だとかを見ると、どうしても複雑な心地になる。この身体は皆の役に立つために必要で、傷跡だって今までのわたしが辿ってきたものの一部だから、好きだ。好きだけれど、お世辞にだって綺麗だなんて言えないだろう。きっと大抵の人は顔を歪めてしまうその傷に、フーゴはあまりに愛おし気に触れる。

「あんまり見ていて気持ちが良いとは、思えないけど」

 ぽろりと零れた言葉に、フーゴはわたしの鎖骨のあたりの傷に唇を触れさせながら、ちらりとこちらに目を向けた。艶めかしい筈のその動作は、フーゴがしているだけで、神聖な儀式のように見える。そのまま彼の唇が近づいてきて、軽くわたしの唇へと触れた。彼の長くて美しい睫毛が良く見えた。

「……こういう時は、目を閉じるものでしょう」
「フーゴがキスするときの顔、好きだから」
「…………そうですか」

 その瞳には紛れもなく喜びが写っている。綺麗だと言われるのは好かない癖に、好きだと言えば甘く顔を緩めてくれる彼が、愛おしいと思う。

「綺麗だよ、君は」
「もういいってば」

 何度も何度も繰り返される言葉にそう返しながら、フーゴの髪を撫でつけた。嫌がるかと思ったけれど彼はちっとも反応をせず、その代わりに、わたしの瞼に唇を落とした。

「綺麗だ、なまえ」

 綺麗だと、また言われると分かっていたから少しだけ怒ってみようかと考えていたのに、柔らかな音色で名前を呼ばれ、何も言えなくなってしまった。フーゴに名前を呼ばれると、わたしはいつも心の底から安心して、嫌なことなど全て忘れてしまう。



 なまえはどうにも自己評価が低い。こう言えば彼女は否定するだろうが。ベットに体を横たえて小さく寝息を零す彼女を眺めながら、ぼんやりとそう思う。顔にかかった髪の毛を起こさないように注意しながら払ってやると、首筋が露になり、そこにはしる傷跡がみえた。これはぼくと出会う前についた傷だ。
 彼女は元々傷跡が残りやすい体質なのか、多くの跡がその身体に刻まれている。それがコンプレックスなのか、綺麗だと言われると酷く複雑そうな顔をするが、別に、こちらもお世辞で言っている訳じゃあなかった。彼女が自身の美しさを否定するたびにぼくはもどかしく思う。
 彼女は綺麗だ。ぼくを見つめる時の柔らかな瞳も、照れくさそうな微笑みも、任務の時に見せる真剣な表情も、戦うためについた美しい筋肉も、彼女が今まで生きた証として残る傷跡も。彼女を形成するすべてが、ぼくにとっては美しく愛おしかった。
 二年前にぼくが彼女に声をかけた時のことを話すたび、、彼女は未だに「優しい」やら「お人よし」やらと口にする。ぼくはあの時に、こちらを仰ぎ見た彼女のその表情があまりに美しかったから見惚れていたというのに。その後ついて来いと手を引いたのは、ほんの少しだって、下心があったからなのだと、そう言ったら彼女は幻滅するだろうか。それとも信じられないと笑い飛ばすのだろうか。
 毎日どれだけ心の中を伝えても、言い足りない。愛おしくてしかたないこの感情を、どうしても伝えたくなる。何度だって。

「今はゆっくりお休み、ぼくの愛おしい人」

 とりあえず、彼女が起きた時のために最高の朝食を用意しよう。その後は一緒に海を見に出かけよう。この子は海が好きだから。この国は海が綺麗だと、そう言ってよく笑う。
そういえば、彼女によく似合うワンピースを買った。あまり肌を見せたがらない彼女も気に入ってくれるようなデザインで、深く穏やかなグリーンだ。それを身にまとったなまえを想像するだけで、幸せになってしまうのだから、この感情は不思議だ。
スープに入れる食材を考えながら、幸せを噛みしめて笑う。


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