きみの明星にふれる | ナノ
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ティースプーンだけの余剰


暫くの間、どうやら女は言葉を探しているようだった。何度か視線が往復し、ようやくぱちり、と合わさる。ついに覚悟を決めたのか、ほんの少し息を落とした女は真っ直ぐとこちらへと向き直った。窓にかかる薄橙のカーテンの向こうから光が差し込んで、その顔を染めている。
く、と喉の奥に力を込めたのが見てわかった。

「あの」

久しぶりに声を出したような、固い声だった。

「ご要件は、なんでしょう」

背すじをぴん、と伸ばし、女は慎重にそう言った。少しの不安や、不信感を瞳に浮かべながらもこちらを見つめている。
耳元に光る赤色のイヤリングが、陽の光を鈍く反射しているのが見えた。小さな丸いそれは、女が髪を耳にかけることで初めて見えたものだった。

「よく似合っているな」
「え、?」

不意をつかれたように女が目を見開き、こちらの視線の先に指で触れている。赤色のそれがついた耳朶を撫でながら、女が目を伏せた。

「赤色が……その、好きで」
「そうか」

会話が途切れ、また辺りを物静かなジャズが満たしていく。古いレコードだろうか。時折混じるノイズが心地良い。

女ーーー森瀬光と出会ったのは数十分ほど前の事だった。こちらが暫く探していた人間であったので、出会ったというのは些か違うかもしれないが。兎も角、休日の昼に食事をするレストランを街中で吟味していたところへ声をかけた。突然声をかけられたことに初めは警戒して黙り込んでいたが、「花京院典明」という名前を出せばあっさりと着いてきた。着いてきたら着いてきたで、未だにどうしてよいか分からずに視線をさ迷わせているのだから、警戒心が強いのか弱いのか、不思議なところだ。

「まずは」
「は、はい」
「何か頼まないか」

メニューを手渡すと少しだけ緊張した様子でそれを受け取ったものの、森瀬は対して目を向けることなく「珈琲にします」と呟くように言った。
手を挙げて店員を呼び、珈琲を二つ注文する。繰り返し確認したあと、恐らく学生の青年はそそくさとその場を立ち去っていった。周りに漂う奇妙な雰囲気でも感じたのだろうか。
森瀬は、第三者が一度傍に来たことで少しは心がほぐれたのか、先程よりは肩から力が抜けているようにも見えた。

「あの」

慎重そうに口が開かれる。先程よりも緩やかに零れた言葉が届いた。

「花京院くんの、お話なんですよね?」

空条さん。森瀬は確認混じりにそう言ったあと、出会い頭に名乗った名を口にした。戸惑いと、警戒心。呼び慣れていない名前は辺りに固く響き、その緊張をありありと伝えているようだった。

「ああ……聞きたいことが幾つかあってな」
「聞きたいこと、ですか」

不意をつかれたような、驚いたような、不思議そうな、そんな顔で僅かに首を傾けている。

この喫茶店にはパソコンを見つめるサラリーマンが二人、そして初老の女性が一人本に目を落とすだけだ。人が少ない場所の方が話しやすいだろうと選んだ場所であったが、騒がしい方が森瀬は緊張しなかっただろうかとも思う。
森瀬はジャズが緩やかに流れる空間で緊張を崩せずいるようだった。……いや、見知らぬ男に突然昔なじみの名を出されたら何処であろうとこうなっただろう。

「……その、空条さんは、花京院くんの……?」

伺うような不安げな瞳を向けられ「友人だ」と答えると、僅かに目を見開いたのが見えた。やや薄く開いた口から言葉が零れることはなく、音にならない空気が漏れていくだけだ。強ばっていた肩からは、いつの間にか力が抜けている。
数拍後に、森瀬の口から「そっか」とささやかな音が落ちた。あまりにも小さなそれは、この静かな喫茶店でなくてはきっと聞き逃していただろう。

「お友達、できたんですね、花京院くん。……良かった」
「…………良かった、という表情でないように見えるが」

喜びのみえない瞳にそう言えば、目を細めて、ふ、と笑う。初めて見せた笑顔だった。友人という言葉に緊張が溶けたのだろうか。寂しさの滲んだ、柔らかな瞳をしている。

「なんというか、痛いところつきますね」
「……すまない」
「ああ、いえ、気にしないでください」

光はまた少しの間言葉を探していたが、「要するに、唯の嫉妬なんです」と照れたようにはにかんだ。

「嫉妬、」

意外な言葉とその表情に、ずっと疑問となっていたことが首をもたげる。

「……花京院とは、」
「ああいえ、違うんです。お付き合いしてた訳じゃなくて」

こちらの言いたいことに気がついたのか、澱みなく、軽い調子の言葉が告げられた。今まで何度も言い慣れたような、そんな様子で。

「……わたし、彼のことが大好きです。昔も今も、ずっと」

瞳を伏せた彼女は、きっと記憶をじわりと辿っていた。瞼の上に想い人を描き、思いを馳せているのだ。そうして細められた瞳は、穏やかな海のように光を少し吸い込んでいる。

「ほんと、他の人なんて目にもはいらなくって、困っちゃうくらい」

眉を下げて、森瀬は微笑んでみせた。息を落とすような仄かな笑い声を漏らして、一度だけ深く深呼吸をすると、真っ直ぐとこちらを見据える。

「……どんなことが聞きたいんですか? もちろん、答えられないことだってありますよ」
「君と、」

君と花京院の話を聞きたい。
ぽかん、と口を開け固まった森瀬は暫くその言葉を自分の中で吟味しているようだった。不思議でたまらない、という顔だ。

「あの、どうしてです?」
「興味がある」
「……な、なるほど」

森瀬は不思議そうに瞬きを繰り返していたが、暫くすると力が抜けたように笑った。はは、と楽しげな笑い声が耳に届く。

「変わった人ですねえ」

純粋な声色で、そう言われた。言い方が悪かったか、とも考えたが、笑顔が零れ始めていたので良かったのかもしれない。
お待たせ致しました。
先程注文を取りに来た店員が、珈琲を2杯運んできた。最初よりもリラックスしているように見受けられる。
森瀬は珈琲にミルクを全て流し入れ、角砂糖を二つ落とした。

「そうですね……何からお話しましょう」

スプーンで珈琲をかき混ぜながら、思いを馳せるように目を細めている。珈琲とミルクは、マーブル模様を描きながらゆっくりと溶け合っていく。記憶の渦に身を投じるように、ゆっくりと。








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