送別会を終え何人かの隊士を別の隊へと見送って、十二番隊は浦原隊として本格的に始動した。
 急ピッチで建設が進む技術開発局の建物が隊舎と奇妙に癒着した状態で建てられようとしていることを最早恒例の事後報告で知ったり(隊長曰くその方が効率が良いから)、浦原隊長が新機関創立に伴ってぶん取ってきた予算を一瞬で蒸発させられないようにひよ里ちゃんと見張ったり、関係書類を作って適宜報告したり提出したり……。

 およそ一月――とんでもなく忙しい期間を過ぎて、やっと十二番隊は技術開発局という付属機関を伴って再編されたのだ。
 今日は、新しく十二番隊所属・技術開発局の局員を受け入れる大事な日である。

君が幸せになるところを見たかっただけ


「乙子サーン、これ人事案なんスけど」
「はい、拝見します」

 この一か月で、浦原隊長の"事後報告癖"はだいぶ改善されたと思う。
 藤さんやあきさん達が異動する直前に言ったことを真剣に受け止めてくれたのか、この一月の間で口酸っぱく「やろうと思ったことは思いつきの段階で良いので相談してください」と隊の財布の紐をきつく閉めていたのがよかったのか。
 今でも私では思いつかないような発想に従って動く隊長は、その都度私に声をかけたり相談をしたりするようになってくれた。
 …そのたびにひよ里ちゃんが「なんで乙子四席には言うてうち副隊長には言わへんのや!!」と隊長に蹴りを入れるのだけど、多分常に隊長に怒っているひよ里ちゃんよりも私を相手にする方が手間だと判断したからだと思う。

「………三席に入る人、この…クロツチさん? 技術開発局要員の方ですね?」
「そっス。涅サンは開発局の方では副局長の座についてもらいます。ボクの死後は局長にもなりますから、できるだけ仲良くしてくださいね」
「隊長の死後って…まだ就任して一月なのにそんなこと言わないでくださいよ…」
「ス、スミマセン…冗談ですからそんな渋い顔しないで……」

 そんなこんなで十二番隊の人事は安定し、とうとう技術開発局運営初日を迎えたのである。
 ちなみに、私は四席のままだ。ありがたい。



「ええと、水月乙子…十二番隊第四席です。私は基本的に隊務の方に回るので、こちらでお仕事はしないと思うんですが、予算等で相談がありましたら隊首室の隣の執務室までどうぞ。できる限りお手伝いさせて頂きます」
「なんや、言ってることが胡散臭い金貸しやないか」
「エッ相談したらお金もっともらえるんスか?」
「隊長の相談は私とひよ里ちゃんが厳正なる審議を行います」
「アッ…そうですか…ハイ……」

 しょんぼりした浦原隊長を尻目に、真新しい開発局施設の中で揃っている局員達の顔をざっと流し見る。
 白いお化粧に深い藍色の髪をした人に目が留まってしまい、何となくその爬虫類じみた顔と数秒見つめ合ってしまった。

「……何か」
「あ、いえ……個性的なお化粧だな、と思って……素敵ですね。ええと、涅さん」

 後で手帳に"涅さん。白いお化粧。多分あの顔はそうそう忘れないから大丈夫"と書き加えようと決意した。
 元々顔は人事案と共に浦原隊長が渡してくれた写真で知っていたけれど、実際に見るととても印象的な人だ。

「涅さんは三席になりますから、私が一番近い部下ですね。何でも言ってください、私にできることであれば、開発局の方でも隊の方でもお手伝いしますから」

 朗らかに笑って差し出した右手をじっと見下ろして、涅さんは微動だにしない。
 頭上にはてなを浮かべた私と動かない涅さんを見比べて、何やら浦原隊長は困った顔をしていた。

「――握手はしない。私は誰とも馴れ合う気はないヨ」
「わ、わぁー……」

 すごい、個性的だ。外見も中身も個性的だ。
 今まで十二番隊には居なかったタイプの人の登場で、驚きと同時に妙な嬉しさみたいなものが湧き上がってくる。

「りょ、了解しました。あくまでお仕事の関係と言うことですね。馴れ馴れしくならないように努めます」
「そうしてくれ給エ」

「あの人好きする笑顔を無感動に跳ね除ける涅サンも涅サンですけど、初対面であれだけ冷たくあしらわれたのに平然としてる乙子サンも乙子サンですよね」
「乙子は誰に対してもああや」

 隊長副隊長が声を潜めて何か言っていたけれどそちらは無視した。
 どんな人が来るのかと不安だった気持ちが、少しずつ期待に変わっていく。過度に暴力的だったり我儘だったりしなければ、私はどんな人が同僚になっても構わなかった。でもそれは、新しい変化に無関心という訳ではない。
 周りがいくら変わったところで私の仕事は変わらないけれど、変わることによって得られるものもある。
 いつかその気持ちも忘れてしまうとしても、今はその変化がとにかく嬉しかったのだ。




 正午を少し過ぎた頃、開発局の方にいた隊長が隊舎に戻ってきた。

「乙子サン、お昼行かないんスか?」
「午後のお仕事再開と同時に書類を出しに行きたいので…もう少し……」

 今日は浦原隊長もひよ里ちゃんも開発局につきっきりになると思ったので、あらかじめ仕事の大まかな処理計画を立てて仕事をしていたのだけど、途中細々とした収支の計算が合わず、原因を突き止めるに大分時間を食ってしまった。
 机にかじりついて猫背になっていた背筋を伸ばして隊長に手を振ると、あろうことか彼は戸口を越えて適当な椅子を掴むと逆座りして静観の姿勢に入ってしまった。背もたれに顎を乗せて、筆を持つ私を見つめている。

「あの…隊長?」
「折角なので待たせてください。途中で手を入れるとしっちゃかめっちゃかになりそうなので、お手伝いはできないっスけど」
「そ、そうですか……」

 何が折角なのかはわからないけれど、とにかくこの上司は私が仕事に区切りをつけて食堂に向かうまで待つようなので、可及的速やかに計算を終えなければならない。急務である。

 黙々とそろばんを使いながら適宜数字を書き込んで、時折帳簿を見返す。
 そんな作業を数分続けていると、不意に隊長が「"技術開発局"とは上手くやっていけそうですか?」と問いかけてきた。
 随分穿った質問だな。

「ええと、そうですね…これからのお仕事は予想がつかなくて楽しそうだな、とは思いました」
「漠然としてますね〜」
「すいません」
「いえいえ、ボクの訊き方も漠然としてたっスから」

 視線は手元に落としたまま、淡々とやり取りを続ける。

「ボクとしては、とりあえず乙子サンが楽しそうに見えたので成功かなーと思ってるんですけど」
「成功、ですか?」
「そうっス。技術開発局の創設自体はボクがやりたいことでしたけど、最近は十二番隊の皆サンに少しでも恩返しができたらな〜って思ってまして」
「はあ」
「……ボクが隊長になって十二番隊にもたらせた恩恵なんてほとんど無くて、今は皆サンから大切なモノを沢山奪ってばかりっスからねえ」

 自嘲気味に洩らされた、ほとんど独白に近いそれにぱちり、と瞬きをする。
 顔を上げた先の浦原隊長の目は私を見てはいなかった。所在なげに視線を部屋の外にやって、お昼の日差しを一身に受けた髪がきらきらと淡く光っている。

 私は何となく、この人もそんなことを考えたりするものなのか、と不思議な衝撃を受けてしまった。
 部下の顔色なんか一切気にしなさそうなのにな。

「……お言葉ですが、そういうことはあまり言わない方がいいのでは…? 部下全員の様子を窺っていたらキリがないですよ……?」
「ははは。似たようなこと、平子サンにも言われました」

 これは、弱音の部類に入るんだろうか。弱音と思って聞くにはあまりに表情が明るいし、語り口調も淡々といつも通りのペースを保っている。第一、部下に弱音を吐くような人ではないだろうに。そもそも弱音という概念、存在するんだろうか…?
 謎の珍獣がお腹を見せてくれたような奇妙な感覚に囚われながら、そっと手帳を取り出した。

「…え、今のくだりで書き残さなきゃいけないことありました?」
「いえ、ひと段落したので午後の予定を」
「あ、終わったんスね。じゃあ、お昼一緒に行きましょう」

 手始めに予算についてのお話がしたいです、とご飯が美味しくなくなりそうな話題を持ちかけてきた浦原隊長を見て、ほんの少しだけ頭が痛くなってしまった。
 隊長なんだから、本当に必要なら必要な分だけ持っていけばいいのに。隊のお金だし。

「…何度も言いますけど、私を味方につけてもまだひよ里ちゃんがいますからね」
「手厳しいなぁ…」


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