星と夢はどちらが重いか

 速く、強く、一対の刀が音を立て咬み合う。
 金切声をあげながら互いの刃を削り合い、拮抗がもどかしいとばかりにどちらともなく距離をとっては、その空白が切ないと再び斬り合いにもつれ込む。
 少しでも遅れをとれば容赦なく頸を飛ばされる、心臓を抉られるという絶対のルールの下で、二人の獣が殺し合いに興じていた。

 獣達が浮かべるのは歓喜の笑み。
 呼吸をする間すらもかなぐり捨てて刀を揮う激しい剣戟に、脳が酸素を欠いていく。
 だと言うのに、二人は三日月を横に倒したような剥き出しの笑みをやめられない。そんな余裕はないと言うのに、時折堪えきれずに笑い声さえ洩れ出した。

 大きな獣――更木が刀を振る、大木のような腕に小さな獣――睦月が短刀を突き立てる。鍛え上げられた筋肉と昂る霊圧に阻まれ、鋒は表面を滑り浅い傷を残しただけで腕から離れていった。
 ならば、ならばもっと力を籠めろと更木は吠える。
 この短時間の濃密なやり取りの中で、睦月は殺し合いを通して"人間の斬り方"と言うものを教え込めば、それを期待以上の強さを以て実践してくれると知ったからだ。
 そのような生温い太刀筋では何も斬れない、何も壊せない、と囁くたび血に染まった美しいかんばせが血眼で微笑む。
 今この瞬間、その笑み以上に美しいものなど他にはないと断言出来るほど、その『強さ』に魅せられていた。

 睦月が短刀を逆手に持ち換える。そして今しがた辿った薄い傷跡に寸分たがわず刃を突き立てた。
 ぞぶ、と肉を裂く特有の感触。数秒前のか弱い鋒とはまるで違う。
 肌を刺し犯すような鋭利な殺意が胸を躍らせる。その小さな身体を振り払う合間、感嘆の息を吐いた。


 はじめに睦月の姿を目にした時、ここまでの血が沸くような戦いは期待してはいなかった。
 どう見ても華奢な両腕。帯刀した刀がひどく不釣り合いに見えるか細い輪郭。勿論女でも強い奴は強い。
 それは充分承知しているうえで、それでも「この女は違うだろう」と初めは落胆した。

 だが、こちらが戦意を見せた瞬間、どこか虚ろだった双眸が唐突に強い光を宿してこちらを見た。
 その瞬間全身を駆け巡った激情を、恐らく更木はこの先も忘れることはないだろう。

 流麗な刀を抜く動作。手元を一瞥もせず、ただこちらを、……こちらの頸や心臓ばかりを食い入るように凝視する鋭利な眼差し。
 人形のような静けさとこれ以上ないほど動物的な碧い瞳。

 そのちぐはぐさに、一瞬で心を奪われたのだ。


 結果、睦月は溢れ出す恐怖を暴力と暗示で塗り替え、見事更木が期待していた通りの化け物に成ってみせた。


 斬り合いの最中に箍が外れたのだろう。はじめ見せていた恐怖に染まった顔はいつの間にやら血に酔い、獲物を求める獣のそれに変貌していた。
 白い首に刃毀れした斬魄刀を走らせる。容易く破れた皮から血が噴き出し、雪のような肌を汚していく様は背筋が震えるほど背徳的だ。
 喉を鳴らしたのもつかの間。致命傷以外の何者でもない傷が穴を埋めるように塞がっていく。
 睦月のこの常人ならざる体質のおかげで、更木は何度でも新雪を踏み躙るような感触を味わうことが出来た。


 睦月は何度、どこを傷付けても再生した。
 それに気付いたのは右腕を斬り落とした時。足場が崩れ睦月の身体が衝撃で吹き飛ばされる最中にもげた右腕が刀を握ったまま諸共飛んでいくのを確かに見た。
 しかし落下していった本体の方を追ってみれば、血の痕跡だけを残して右腕が新しく生えていたのだ。人間には絶対にあり得ない異常。
 しかしそれも、この女は何度殺しても生き返るのだ、という更なる興奮材料にしかなり得ない些事だった。

 自分と同等かそれ以上の相手と永遠に殺し合いが出来る。自分が斃れない限り、心地よい剣戟は永遠に続く。
 それは夢にまで見た理想の好敵手。普段誰と対峙する時も加減をしてきた更木にとっては願ってもない愛すべき怪物性。
 睦月の傷は治る。更木の傷は治らない。
 自分の裁量一つ、選択一つで生き死にが決まるこの時間。愉しい。愉しい。愉しい。

「―――!」

 更木の手が睦月の小さな顔に影を落とす。その僅かな翳りを察知した瞬間、睦月は反射的に握っていた短刀で手のひらを斬り上げる。噴き出す鮮血。
 銀の一閃は更木の指を斬り落とし、その動きを停止させるには至らなかった。
 痛みなど意にも介さず更木の手が拳を作り、睦月の頭を横から殴りつける。ごきり、骨が砕ける音。睦月の身体が斜めに傾く。

「――は、はは、はははっ」

 狂気的な笑い声を上げながらぐるりと睦月が顔を上げる。すんでのところで踏み留まり、無意識に額の血を拭った。
 更木が手加減なく粉砕した側頭部の骨は瞬時に再生していた。
 睦月にはもう、自分がどの程度の負荷を負いどの程度疲弊しているのかすらもわからなくなっていた。


 元々睦月に同じ攻撃は二度と通用しない。
 睦月の肉体が供える死の拒絶機能による特異な進化による強みであったが、目の前に相対する更木にはそれが通用しなかった。
 更木は常に手加減をしていたから、何度睦月が更木の太刀筋、力加減、霊圧を記憶しても別のパターン、知らない攻撃が次々襲いかかってくる。
 本来なら長い戦いにおいて常に怪我が直る睦月の圧倒的有利は覆らないはずだった。
 しかし、更木の底なしの強さがその有利を打ち消し、同等の殺し合いを実現させている。

 睦月は、何度も食らい『覚えた』はずの剣が何度も己の肉体を破壊し蹂躙することが心地よかった。
 更木は、どれだけ出力を上げても食らいつき、逆にこちらを飲み込もうとしてくる化け物の殺意が心地よかった。
 学習を繰り返し絶えず進化する肉体と、無意識下で抑制していた力を少しずつ解放していく行為によって均衡が保たれる命のやり取りは、他に邪魔するものもないまま永遠に続けられると思われた。
 少なくとも、二人は忘我のなかですらこれが永遠に続けばいいと心の底から願った。

 荒い呼吸が重なり合う。鼓動や瞬きの瞬間すらも重なっている気がした。


 愛おしい、愛おしい。この痛みが愛おしい。
 まだだ、まだだ、この病熱のような昂りを鎮めるには早すぎる。

 倒錯的なまでの強さが心地いい。加減も遠慮もない進化は気分がいい。
 どこまでもひたむきな殺意に応えたい。自己本位な歓喜が抑えられない。

 まだ、この底の知れない怪物と斬り合っていたい。
 まだ、この強さに飢えた化け物と殺し合っていたい。


 理解と思考を超えた剣戟。それに追いつくために狂気的に出力を上げていく殺意。
 永遠を願うあまり愛と錯覚しそうなほどに、互いの命と向き合い、慈しんですらいた。


 ――けれど終わりは呆気なく訪れる。
 許容量を超えた恐怖で一時的に睦月の枷は吹き飛んだが、それでもそこにあった感情がすべて無になったわけではない。
 知覚出来なくなっただけで、奥底には明確な死への恐怖があった。

 意識が朦朧とするほどの熱と痛みのなかで理性を失くし狂っていただけ。
 睦月の根源的な恐怖心を思い出させる足音が、すぐそこまで迫っていた。




「――敷島!!」

 唐突に訪れた終わりは、何より尊ぶべき"生"の声をしていた。
 眼前に剣八の刃毀れした斬魄刀が迫る。このままでは頭蓋が割られる。骨が砕ける。動けなくなる。
 応えなければ。身に余る殺意で応えなければ、わたしは内側から破裂してしまう。

 心からそう思うのに、…思っていたのに。
 わたしの名前を呼ぶ声を聴いた瞬間、それまで異常なほどに拍動していた心臓が静まり返り、急に四肢が竦んだ。


 わたしを心から案じる声だった。
 何よりも優先すべきだったのに、わたしがつかの間の狂気に身を浸して裏切ってしまった仲間の声。
 完全に失っていた正気を取り戻すには充分すぎる合図。


 ――ざん、と振り下ろされた大きな刃が脳天に直撃する。
 それまで斬り合っていた更木の声のない絶望の叫びを聞いた気がした。



 避ければよかった。避けるべきだった。
 迷いなくこちらに駆け寄ってくる黒崎の声で動揺して、完璧に剣八と重なっていた思考に僅かなタイムラグが生じた。
 その瞬間が訪れるまでわたし達は苦しいくらいに通じ合っていたから、きっと剣八もわたしがこんな形で脱落するだなんて予想だにしていなかっただろう。

 互いに一瞬の遅れも許さないほどヒートアップしていたぶん、与えられた傷は大きい。普通の人間だったらこれだけで即死だ。
 けれどわたしの身体はこんなどうしようもない致命傷ですら――むしろ致命傷であればあるほど死を回避する為に直そうとしてしまう。
 この世の終わりのような酷い頭痛に苛まれながらも意識があった。

 不明瞭な視界で、血の気を失った黒崎の声が遠い。

「て、めえ……よくもやりやがったな!!」
「……そりゃこっちのセリフだ。余計な水差しやがって」

 黒崎に言い返す剣八の声は本気で不機嫌だ。そりゃそうだ、と内心反省する。
 けれど、たとえ今の直撃を避けていたとしても、黒崎が現れた時点でわたしはこの殺し合いを中断していただろう。茶渡が来ても、石田が来ても、井上が来てもそれは同じだった。

 彼らの存在を思い出せば、連鎖的に本来の目的を思い出すからだ。
 ここに来た目的や、わたしがこの旅にかけた意味を。
 剣八と斬り合うことで夢を見続けることと、黒崎達と共に朽木を救い出すこと、そのどちらもわたしにとっては大切だったけれど、片一方しか選べないのなら後者をとるべきだとはっきり思う。
 尊ぶべきなのは仲間達の命と願いであって、わたし個人の愉しみではないのだから。
 それは正しい人間の生き方ではないのだ。今までわたしが学んできた正しい生き方に反することは、出来ない。

「いや、待てよ……てめえ、黒崎一護か」
「なんで……俺の名前………!」

 ……音が遠い。
 視界が暗くなっていく。やけに傷の直りが遅い。ずっと熱かった体から熱が失われて、急に寒さを感じるようになった。
 どう抗っても眠ってしまいそうだ。

「てめえも強いんだってな。なら、コイツ以上に楽しませてくれよ。お前をぶっ殺したあとで、また治った睦月と殺り合う…完璧な布陣じゃねェか、おい」

 愉しげな剣八の笑い声に黒崎が「ふざけんな!!」と怒鳴る。けれどわたしの時と同じく、斬り合う相手の意思は剣八にとって重要ではない。がんばれ黒崎、死ぬな黒崎……。
 「やちる、睦月連れて離れてろ」という剣八の言葉と共に、体が持ち上げられた。ずりずりと引き摺られた先で雑に地面に降ろされる。
 距離が開いたせいで、剣八と黒崎のやり取りはもう聞こえなくなってしまった。

「むっちゃん、ありがとね! 剣ちゃんすっごい楽しそうだった!」

 子供の声が頭に響いて、小さな手に頬を撫でられる感触があった。
 鋭利だった全身の感覚も、どこか遠い。
 もう何も見えず、なにも聞こえない。

「また元気になったら、剣ちゃんと遊んであげてね」

 ああ、眠い。


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