「 ひとめぼれ 」 / あくましゅうどうし視点


「( 全く…! 魔王様は一体何を考えているのか…! )」

魔王城内の長い廊下を歩きながら、主への不満を心の中でぼやく。 言葉には出さないものの、その苛立ちは思いのほか行動に現れていたようで… 手にしていた書類がくしゃりとシワを作っているのが目に入り、思わず足を止めた。

「( …まさか、こんなことになるなんて )」

"こんなこと" それはもちろん、目の前のしわくちゃになった書類の末路などではない。 私の怒りの理由… それは先程まで行われていた緊急会議の内容にあった。

数時間前、緊急の用件があると魔王様に呼び出され、向かった会議室。 私が到着した頃にはすでに他の十傑衆の面々が揃っていて、その空気の重さに何事かと思わず固唾を飲む。 そんな緊張感が漂う中、魔王様に告げられた言葉、それは…

「( 人質が増えた、って… しかもそれが、姫の 『実のお姉さん』 だなんて… そんな馬鹿な話があるか…! )」

ぐしゃり。 思わず力を入れてしまう。 手の中の書類はさらにシワを増やしてしまったが、今はそんなことに構っている余裕など、微塵もなかった。

「( これは人間界にも魔界にも、強大な影響が及ぶ案件だぞ… 調査によれば、人間界の王は娘を溺愛しているという話だったし、それに… )」

ブツブツとこれからの対応について考える。 魔王様は 『彼女には魔王城でしばらく暮らしてもらう』 などと口では簡単に言っていたが、それが罷り通るはずがない。 すでに妹の方を拐っているという事実がある以上、今回の件で人間界が全面戦争をしかけてくる可能性だって、完全に否定出来ないのだ。

「( 一刻も早く、人間界に帰すべきだ…! 王族を… しかも大切に大切に育てられたお姫様を、ふたりとも、なんて… そんなこと許されるわけ… )」
「あ、レオくん! こんなところにいた!! もうっ、探したんだからね!」
「…えっ?」

ひとり立ち尽くし考え込む私の耳に届いたのは、ぷりぷりと怒りを露わにした、聞き慣れた声。 突然の呼びかけに、反応がワンテンポ遅れてしまう。

「おばけふろしきが溜まってきたの。 回収、お願いね」
「ひ、姫? 突然何かと思えば… 私も暇じゃないん、だ、よ…………」

人質とは思えない態度に苦笑いを浮かべつつ、振り返りながら返事をする。 くるりと向きを変えた私の視界に映ったのは、

「スヤ、おばけふろしきって、何…?」
「ふろしきの魔物だよ。 倒すとすっごく質の良い布になるの。 寝具の素材にピッタリなんだよ」
「ま、魔物を素材にするって… それってもう、冒険者と変わりないんじゃ…?」

姫の言葉に苦笑いを浮かべる女性。 彼女を目にしたその瞬間、私の胸はドクンと激しく音を鳴らした。

絹のようにツヤがありつつも、ふわふわと柔らかそうな、美しい銀色の髪。 長いまつ毛に縁取られ、キラキラと星が光る大きな瞳。 凛と澄んだ、耳馴染みの良い清らかな声。 すらりと伸びた手足は、雪のように白くたおやかで… その全てに、視線を奪われる。

「お姉さま、紹介するね。 こちらはレオくん。 私が死んだ時、いつも蘇生してくれるの」
「死んだ時…? それは、どういうことなの、スヤ…?」
「…あ〜、えっとぉ… ( 余計なこと言っちゃったな )」
「今の話が本当なら… まるでよく死んでるような、そんな言い方…」
「そ、それはね、えっと… あ、ほらっ! レオくん! このレオくんの超高性能な蘇生術のおかげで、何ともないの! ねっ! レオくん!」
「………」
「………レオくん?」
「っ、へっ!? あっ、」

姫の訝しむ声にハッと我にかえる。 何やら騒いでいたようだが、全く話を聞いていなかった。 否、全く耳に入ってこなかった、という方が正しいのだけど。

「( この子が、オーロラ・名前・リース・カイミーン… 姫の、おねえ、さん… )」
「……あの、」
「っ、ぅえっ!?」

完全に無意識だった。 またもや不躾に視線を向ける私に、姫のお姉さんは怪しげな表情を浮かべる。 控えめな声で呼びかけられ、そこでまたハッと我にかえった。

「…私の顔に、何かついてますか?」
「ッ!! あっ、いやっ!! 違っ…! えっと、その…っ!」

あたふたとみっともなく慌てる私のなんと情けないことか。 言い淀む私の姿に、怪しむ表情は更に深くなる。 こ、このままだと、印象は最悪だ…っ!

「お姉さま」
「…? どうしたの? スヤ?」

何とか挽回しようと必死に方法を考えるけれど、良い案などすぐに思いつくはずもなく。 だらだらと冷や汗を流す私に気づいているのか、いないのか… 姫が徐に口を開いた。

「きっとレオくん、お姉さまに見惚れてたんだよ」
「え?」
「へっ!?!?!?」
「お姉さまってば、しばらく見ない内にまた綺麗になってるんだもん。 こんなに間近で見たら、男の人ならそりゃあ見惚れちゃうよ」
「もう、スヤったら。 いくらなんでも魔族の方が、私相手に見惚れるわけ…」

姫の言葉を否定しながら、彼女は苦笑いを浮かべて、チラリとこちらに視線を向ける。 キラキラと輝く綺麗な瞳にジッと見つめられ、私は……

「っ、ッ〜〜!!!!」
「「………」」

カアっと一気に熱くなる頬。 大きな瞳をキョトンと瞬かせる彼女と、呆れたような視線をこちらに向ける姫。 そんなふたりの姿に、今度は冷や汗ではなく、暑さで全身から汗が噴き出るような、そんな感覚が私を襲う。

「…あの、」
「っ! ひっ、ひひ姫っ、わ、私、急用を思い出したから…っ!!! お、おばけふろしきはっ、あとで、取りに…っ」
「……あ〜、ウン。 分かった分かった」
「そっ、そそそれじゃあ、また、あとで…っ!!!」

遠慮がちに話しかけてくる彼女の声を遮って、私は慌てて口を開く。 これ以上の失態を見せるわけにはいかない…! そう思った私は、早口で言い訳を捲し立てると、くるりと方向を変え、急いでこの場から立ち去った。

「( なんっ、なんだ、これ…っ、胸がっ、詰まって…っ )」

どっくんどっくんと、激しく脈打つ心臓。 いつまで経っても治らない動悸に、息が詰まりそうになる。 痛いくらいに音を鳴らす心臓のあたりを、ギュッと握り締める私の後ろから聞こえたのは 『ね。 言った通りでしょ』 『…可愛らしい方なのね』 そんな会話で… 私の胸のドキドキは、更に悪化。

この時にはもう、彼女を人間界に帰す、なんて考えはとっくに頭の中から消え去っていたのだった。


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