「 胃袋を掴め 」 / あくましゅうどうし視点


着慣れたエプロンの紐をギュッと結ぶのと同時に、心の中で気合いを入れる。 まさかナマエちゃんに手料理を食べてもらうことになるとは思いもしなかったが、味は何度も食べている姫のお墨付きだし、いつも通り作れば大丈夫。 …うん、大丈夫。 そう自分に言い聞かせたのだが…

「………えっ、えっと、ナマエちゃん? 姫?」
「? どうしたの?」
「…?」

私の問い掛けに仲良く同時に首を傾げるふたりがあまりにも可愛らしくて、きゅんと胸が疼くけれど… 今は呑気に悶えている場合ではない。 しっかりしろと心の中で自分に言い聞かせる私の様子を黙って眺めていたナマエちゃんだったが、ハッと何かに気づいた素振りを見せると、慌てて口を開いた。

「…も、もしかして! 材料が足りないとか…っ」
「えっ!? あっ、いや…! そういうわけじゃなくて…っ」
「…やっぱり、迷惑だった?」
「っ、! ちっ、違うんだ…っ!」

言い淀む私に、不安そうな視線が向けられる。 ソファに座っている彼女の瞳は自然と上目遣いになっていて。 私への効果は、言うまでもない。 しかしっ! 私もここは譲れない…! こんな風に私のソファで、まるで自分の部屋かのように寛がれてしまったら… 正直言って、平静を保ってなどいられなかった。

「ご飯が炊けるまで、私の部屋ここで、待ってるのかい…?」
「えっ? ウン。 レオくんのお部屋、落ち着くし。 …ね? お姉さま」
「もちろん! …本当にとっても落ち着くわ。 特にこのクッションなんて、すっごく優しくて良い匂いがするし…」
「っ、ッ〜〜!! ( そっ、それは…っ! さっきまで私が使ってた…っ!!! )」

ナマエちゃんが気持ちよさそうに顔を埋めるそのクッションは、先程まで読書をしていた私が背もたれにしていたもので。 まるで自分の匂いを嗅がれているような、そんな感覚が私を襲う。 一気に全身が燃え上がるように熱くなる私だったが、更に彼女は追い討ちをかけて来た。

「レオくんさえ良ければだけど… ここで待ってちゃ、ダメ…?」
「っ… ッっ…!!!!」
「…お姉さま、もう勘弁してあげて。 レオくんさっきから、小さい 『っ』 しか言えてないから」

まさに、会心の一撃である。 こてんと首を傾げながら、申し訳なさそうに問い掛けてくるナマエちゃん。 さらに、その腕には私のクッションがしっかりと抱きしめられている。 完全無欠なその姿に、私は完全にノックアウト。 あまりの刺激に言葉を詰まらせる私を、姫がフォローしてくれるけれど… そのフォローでさえも、今は私の残り少ない体力を奪い去っていく。

「…っ、ふっ、ふふ…ッ! それも、そうねっ?」
「っッ〜〜!! ッ…くれぐれもっ! くれぐれも…っ!!! 大人しくしてるんだよっ!?!?」
「もー、分かってるってば」
「ふふっ。 心配しなくても大丈夫よ、レオくん。 私がちゃんと、スヤを見張っているから」
「…どちらかと言うと、心配なのはお姉さまの方なんじゃない? ね? レオくん」
「……ひ、否定はしないでおくよ」
「なっ…! ひどいわ、ふたりとも…っ!」

ぷくっと頬を膨らませながら怒るナマエちゃんの姿に、性懲りも無く、うぐっ…と胸を詰まらせながらも、何とか必死に堪える。 そんな私をジトッと見つめる姫の視線から逃れるように、私は急いでキッチンへと向かうのだった。




「人参に、ごぼう、椎茸、あとは…」
「レオくん、レオくん」
「っ!?」

食材の下ごしらえをしていた私を控えめに呼ぶ、柔らかい声。 つんつんとエプロンの裾を引っ張られる感覚に、思わず驚き、ビクッと体が震えてしまった。

「ご、ごめんなさい…っ! 驚かせちゃった…?」
「いっ、いや、大丈夫…! ど、どうしたの…? それに、姫は…」

すぐさま後ろを振り返れば、申し訳なさそうに眉を下げるナマエちゃんが立っていて、ドキッと心臓が音を鳴らす。 姫が側にいないことを不思議に思い、チラリとソファへと視線を向ければ、すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てていた。 …すっかり夢の世界へ旅立っているようだ。

「ふふっ。 ソファで寝ちゃった。 あの子ったら、よっぽどこの部屋がお気に入りなのね」
「あ、あはは… それは喜んでいいのか、悪いのか…」

苦笑いを浮かべる私だけど、本音を言えば。 この部屋が姫にとって安らげる場所のひとつになっているのだとしたら、それはとても喜ばしいことだ。 困ったことばかりする彼女だけど… やはり可愛いものは可愛い。 ダメだと分かっていながらも、孫のようについつい甘やかしてしまうのだ。

「…何かお手伝い出来ることはある?」
「えっ? …そ、そんな! 君はお客さんなんだから、座っててくれれば…!」
「私が無理を言って作ってもらってるんだもの。 むしろ、その… お手伝い、させてくれないかしら?」

そう言って少し申し訳なさそうにするナマエちゃんからの申し出を断るのは、何だかとても気が引ける。 それに彼女と一緒に料理をする機会なんてそうそう無い。 これは仲良くなれるチャンスなのでは…? そんな考えが私の頭の中をよぎった。

「それじゃあ… お願いしても、いいかな?」
「! もちろん!」

『手を洗うから、待ってて!』 そう言って彼女は嬉しそうにシンクの前に立ち、腕捲りを始める。 うきうきと楽しそうにする姿が何だか小さい子みたいで、思わずくすっと笑ってしまった。

「私は何をすればいいっ?」
「そうだなぁ…」

ナマエちゃんからの問い掛けに、私はチラリと先程冷蔵庫から取り出した食材へと視線を向ける。 まな板の上に置かれた、1枚の油揚げ。 残りの下準備は、この油揚げを細かく刻むだけだ。

「この油揚げを、小さく刻んでくれるかい?」
「油揚げを、小さく…」

私がお願いをした、その直後。 それまで楽しそうに笑顔を浮かべていた彼女の表情が一変。 まな板を視界に入れた彼女は、ピタッと動きを止める。

「も、もしかして、油揚げは嫌いだった…?」
「えっ!? あっ、ち、ちがうの…っ! あの、その、えっと…っ」
「…?」
「…じ、つは、その…」
「…? うん?」
「私…… 料理を、したことが、なくて…」
「えっ……?」

ポツリと呟かれた言葉は、予想外のものだった。 しかし、彼女の生い立ちを考えてみれば、それはごく自然のことだと、納得してしまう。

「( そりゃ、そうだ… どんなに気さくで話しやすくても、王族は王族。 普段から料理なんてするわけ無いよ… )」
「……幻滅、しちゃった?」
「へっ!?」

私が黙っていたのを悪いように捉えたのか、しゅんと、寂しそうに呟くナマエちゃん。 悲しそうに眉を下げ、私の反応を窺うようにこちらを見つめている。

「料理もろくにできないなんて、呆れちゃったよね…?」
「っ、そんなことない…っ!!」
「…!」

自重気味に笑う姿に胸がキュッと締め付けられて、思わず声を荒げて叫んでしまった。 そんな私の声に驚き、目を見開くナマエちゃんに、私は出来る限り優しい声で語りかける。

「得手不得手があるのは、当たり前だよ。 誰だって初めから上手くなんて、出来ないんだから」
「…食材ひとつ、切れないのよ?」
「大丈夫。 私が教えてあげるから。 …ほら、右手で包丁を持って?」
「っ、うん…」

恐る恐る、包丁を握りしめるナマエちゃん。 一生懸命にまな板に向かうその姿に、何だかほっこりと胸が温かくなる。 彼女が怪我をしてしまわないよう、隣で見守りながら、私たちは炊き込みご飯の準備を進めていったのだった。




ピーピーピー

「「出来た…っ!!!」」

準備を終え、ご飯が炊き上がるまで、姫を起こさないように小声で雑談をしていた私たち。 まだ少し緊張はするけれど、彼女との会話は本当に楽しくて。 時間を忘れて話し込んでいた、その時。 炊飯器が出来上がりを知らせる音を鳴らし、私たちは同時に振り返る。

「それじゃあ、開けるよ…?」
「うん…っ」

一国のお姫様であるナマエちゃんが、炊飯器の前で未だかつてないほど真剣な表情を浮かべている。 その姿がとても微笑ましくて、思わず笑いそうになるけれど、グッと堪えた。 …ナマエちゃんにとっては、初めて作った手料理なのだ。 これほど真剣になるのも頷ける。

「わ、ぁ…っ!」
「うん。 ちゃんと炊けてるね」

カパッとフタを開けたその瞬間、白い湯気がふわりと立ち昇る。 そんな湯気と共にやって来たのは、出汁の効いた香ばしい香り。 その普段と変わらない香りに私は、ホッと胸を撫で下ろした。

「すっごく美味しそうな香り…っ!!」
「ふふっ、姫はまだ寝てることだし、先に食べちゃおうか?」
「…! ご、ごめんなさい、私ったら…! あんまり美味しそうだったから、つい…!」

炊き立てのご飯を前に、ナマエちゃんは興奮冷めやらぬ様子ではしゃいでいて。 そんな姿を見てしまっては、今すぐ食べて貰う以外の選択肢はない。 私は食器棚からお茶碗を取り出し、ホカホカのご飯をよそう。 そして、彼女の前へと差し出した。

「はい、どうぞ」
「…っ、いい、の?」
「もちろん。 …君のために、作ったんだから」
「…!」

私の言葉に躊躇っていた心が薄れたのか、そっとお茶碗を受け取るナマエちゃん。 そのあとすぐに箸を渡してあげれば、ゴクッと喉を鳴らす音が聞こえた。

「ふふっ。 温かいうちに、召し上がれ」
「っ、いただきます…っ!」

礼儀正しく挨拶をしてから、彼女は箸でご飯を掬い上げる。 そしてゆっくりと口元へ運び、パクっとひと口。 口の中へと放り込んだ。

「ッ、っーーーー!!!」
「…どう、かな?」
「……すっっっっっっっっごく! 美味しい…っ!」
「っッ〜〜〜!!!」

返ってきたのは、キッラキラの眩しい笑顔。 心の底から美味しいと言ってくれているのが伝わってきて、嬉しさのあまり胸がぎゅんっと締め付けられる。 パクパクと箸を止めずに平らげていくナマエちゃんの様子に、私はもうお腹いっぱい。 大満足である。

「………レオくん」

ナマエちゃんが美味しそうに食べてくれているという事実だけで胸がいっぱいの私は、もぐもぐとご飯を頬張る彼女の様子をただ見守っていたのだが… 彼女は唐突にその表情を真剣なものへと変え、私の名をポツリと呟く。

「? どうしたの? ナマエちゃん?」
「………………おかわりって、してもいいかしら?」
「……… ふっ、くくっ、」
「っ〜〜! もう…っ! 笑わないでっ!?」

代わり映えしないただの休日だったはずなのに。 今の私の脳内を埋め尽くしているのは、とんでもない充足感。 彼女が、こんなにも沢山の表情を見せてくれることが、嬉しくて仕方ない。

顔を真っ赤にしながら、ムウッと膨れっ面になる彼女には悪いけれど。 もう少しだけ。 この楽しい時間を堪能させて貰うことにしよう。 空になったお茶碗にご飯をよそいながら、そんなことを思うのだった。


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