厄介な恋慕の情





「またやってる…」

ボソッと呟いた私の視線の先。 そこには甲斐甲斐しくも、姫の髪や服についた埃を払っているあくましゅうどうしさまの姿があった。 口では 『またこんなに汚して! 』 なんてぼやいている彼だけれど、その表情からは嬉しさが滲み出ているのが丸わかりだ。

「( 姫のこと本当に、好き、なんだろうなぁ… )」

ちくり。 胸の奥に感じる痛みに、私はこれ以上彼らを見ていられず、急いでこの場を立ち去った。

「( 逃げるとか、かっこわるいなぁ、私 )」

長年の時を経て、積もりに積もった恋心。 どうしてもっと早く。 彼に想いを打ち明けなかったのか。 そんな後悔の念が私を襲う。 私よりも彼に近い異性など他にはいないと現状に満足し、一歩を踏み出さなかった自分の自業自得。 それは分かっている。 分かっているけど…

「( まさか、あくましゅうどうしさまが人質の… それも人間の姫を好きになるなんて。 誰が予想できるの…? )」

この魔王城に人間の姫が連れられてきたと知った、あの時。 こんな可憐な女の子が人質だなんて… と呑気に同情をしていた私はなんと愚かだったのだろう。 最初は孫を可愛がるようにしていたあくましゅうどうしさまが、次第に彼女へ恋愛感情を抱いていくのを感じた時… 私は生きた心地がしなかった。 あんなに嬉しそうで生き生きとした彼の姿を、私は今まで一度たりとも見たことなどなかったのだ。

「( もしかして彼も私のこと… なんて。 ほんと、馬鹿みたい )」

彼に女の影がないことに安堵して胡座をかいていた私と、破茶滅茶だけど自分の好きなことに真っすぐ突き進む魅力的な女の子。 どちらに惹かれるかなんて、分かりきっているというのに。

「( だめ、だ… 涙、でそう )

つーんと痛む鼻の奥。 じんわりと滲んでくる涙を溢すまいと無意識に眉間に力を入れる。 今泣いてしまっては、ダメだ。 今日はまだ仕事が残っている。 涙で腫れた目など、彼に見せるわけにはいかない。

「( とまれ、とまれ…っ )」

自分に言い聞かせるように、心の中で何度も呟く。 だけどそんな気持ちとは裏腹に私の涙は無情にも目尻を軽々と越えていく。 嗚呼本当に。 恋とはなんて厄介な感情なのだろう。 こんなことになるくらいなら、彼を、あくましゅうどうしさまを、好きになんて…

「ナマエちゃん…!」
「っ、!」

突然後ろから聞こえた声に、心臓がドキリと脈を打つ。 ついさっきまで彼を諦めようとしていたというのに、馬鹿みたいに胸を熱くさせている自分が恨めしくて仕方ない。 正直すぎる自分の心から目を背けるように、私は彼に振り向くことなくそのまま歩みを進めようとするけれど、

「っ、待って…! 君が走り去って行くのが見えたから、追いかけて来たんだ! …何か、あったのかいっ!?」
「っ……!」

心底心配しているとでもいうかのように声を張り上げる彼に、私の足は反射的にピタリと動きを止める。

…本当は分かっているのだ。 彼を諦めることなんて、出来ないことくらい。 彼が姫を好きだと分かったその時から、何度も何度も。 彼を諦めようとした。 だけど彼の優しさに触れる度に、好きな気持ちが溢れてしまって… 決心したはずの心は、瞬く間に絆されてしまう。 今だって、息を切らして必死な声で。 私のことを追いかけてきた、って。 そんなの、そんなのさ…

「( …私のこと好きなんじゃないかって、期待しちゃうじゃない )」
「ナマエちゃん…? あ、あの、私で良ければ、話を聞くから、その…」
「あくましゅうどうしさま」
「っ!? ナマエちゃん、君…っ、泣いて、」

溢れる涙もそのままに、私は彼へと振り向いた。 私の涙を見てあくましゅうどうしさまは驚いているけれど、そんなのもう構ってなんていられない。 …私は決めた。 もう、ウジウジと悩むのは止めにする。

「…私、もう、遠慮しません」
「っ、えっ? そ、それは、一体どういう…っ?」

私の突然の宣言に、わたわたと慌て始めるあくましゅうどうしさま。 そんな姿でさえ、可愛いなんて思ってしまう自分は、本当に… かなりの重症らしい。 こんな状態で彼を諦めるなど、到底無理な話だったのだ。

「好きです、あくましゅうどうしさま」
「へっ……?」
「あなたのことが、どうしようもないくらい好きで好きで、堪らなくて… 姫のことが好きだと知っても、諦められなかったんです。 …だから、」
「っ、あ、あの… ナマエちゃ、」
「覚悟、していてくださいね?」
「っ、ッ〜〜!!!!!」

にっこり、笑みを浮かべて宣戦布告。 そこでようやく状況を理解出来たのか、彼の顔は瞬く間に真っ赤に染め上がっていく。 そんな彼の反応に、泣いていたのが嘘のように、私はしてやったりと大満足だ。

「( この反応。 少しは可能性があるって思っても… いいよね? )」

真っ赤な顔で声にならない声をあげるあくましゅうどうしさまを見て、つい先ほどまでとは打って変わり前向きな思考がひょっこりと顔を出し始める。 きっと押しに弱いであろう彼に、これからどうやって言い寄ろうかと、私は必死に考えを巡らすのだった。


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