妬いて妬いてジェラシー





「カルエゴ先生に嫉妬させたい、だって?」
「っ、ちょ、ちょっとダリ先生…! 声が大きいですってば…!」

人気ひとけのない廊下の隅っこで。 何やらコソコソと面白そうな話をしている、揃いの教師服を着たふたりの男女。

ひとりは、ミョウジ・ナマエ。 ここ悪魔学校バビルスの教師となってまだ日の浅い、新米教師。 誰にも聞かれないようひそひそ声で話す彼女の顔には、焦りの表情が浮かんでいる。

「あはは、ごめんごめん!」
「ごめんごめん、じゃないですよ…っ! こんな恥ずかしい話、誰かに聞かれでもしたら…」

一方、もうひとり。 軽い調子でごめんごめんと笑う男、ダンタリオン・ダリ。 言わずと知れた教師統括である彼は、焦るナマエを見て、これまた楽しそうに口を開いた。

「そんなに焦らなくても大丈夫だって〜! それでそれで? "カルエゴ先生に嫉妬させたい" ってことだけど… 具体的にはどうするつもりなの?」
「ダリ先生… この状況、楽しんでません?」

年甲斐もなくワクワクと乗り気なダリを見て、ナマエは思わずジトリとした視線を彼へと向ける。

常日頃から、周りをよく見ているダリ。 何やら元気のないナマエにいち早く気がつき、 "どうしたの" と声をかけたのが、今回の事の始まり。

"カルエゴに嫉妬させたい" 。 まさにその言葉通り。 ナマエは、恋人であるカルエゴに嫉妬してもらうにはどうすれば良いだろうか、と。 自身の悩みをそれはそれは馬鹿正直に、打ち明けてしまったのだ。

こっちは真剣に相談しているというのに…! という気持ちを込めて。 イジけたように不満をぶつければ、彼は大袈裟なほどの身振り手振りでオーバーリアクション。

心外だとでも言いたげに、またしてもその口を開く。

「そんなまさか! 可愛い部下のおもしろ… 深刻な悩みを解決するために! 全力で協力したいだけだって!」
「今の絶対!! わざと言い間違えたでしょう!?」
「いやぁ〜 実を言うと、ナマエ先生をからかうのほんと楽しくって、つい!」
「っ、もうっ! こっちは真剣に悩んでるんです、よ……って、ダリ、先生…?」

あくまでふざけた態度のダリに、ナマエはハァとため息をひとつ。 真面目に話した自分が馬鹿みたいだと、後悔の念が頭をよぎる。

さらには、からかうのが楽しいとまで言われてしまって。 これにはナマエも不満が爆発。

もっとちゃんと話を聞いてほしいのに、と。 抗議しようとした、その時だった。

「ナマエ先生が僕を頼ってくれて、嬉しいんですよ」
「っ、ッ…!」

先程までのヘラヘラとした笑みはどこへやら。 それはそれは穏やかな笑みを浮かべるダリ。 さらには、そっと頬に添えられる、大きな手。 驚くほど優しいその手つきに、ナマエの胸は思わず。 ドキッと鼓動を刻んでしまう。

「何ならこのまま。 カルエゴ先生から僕に、乗り換えてくれても構わないんだけど?」
「っ、な…ッ!? なに、言って−−」
「ダリ先生」

何を馬鹿なことを言い出すんだ、と。 ナマエがダリの言葉を否定しようとした、その時だった。

"ダリ先生" と呼ぶ、低く抑揚のない声。 そのあまりに聞き覚えのある声に、彼女の思考回路は完全に停止。

たらりと、背中に冷や汗が流れ落ちるのを感じながらも、ナマエは恐る恐る。 後ろへと、振り返る。

彼女が、振り返った先。 そこに立っていたのは…

「っ、! かっ、かか、カルエゴっ、先生…っ!?」
「…頼まれていた書類が完成したので、報告にきました」
「おっ、了解! ほんと助かったよ〜! ありがとう! 今すぐ確認に向かいますね! …それじゃあ、ナマエ先生! さっきの話、考えておいてくださいよ!」
「っ、えっ!? ちょっ、ダリ先生っ!?」

それではッ!! と、機嫌良くこの場を去っていく、ダリ。 最後の最後に余計なひと言を残した挙句、まさかの "丸投げ" である。

「………」
「………」

沈黙が、ただただ痛い。 ナマエは今の状況を理解するに連れて、段々と焦りを覚え始めていた。

カルエゴが声をかけて来たタイミングからして、ダリに頬を撫でられていたところは完全に目撃されている。 何もやましいことはないのだが、このままでは誤解されかねない、と。 どうにかここまでの経緯を上手く説明しようと口を開くが…

「え、えっと… 今のは、その…っ、あの…っ」
「ナマエ先生」

もちろん。 今のこの状況で、"あなたに嫉妬してもらいたくて、上司に相談していました" と馬鹿正直に話すわけにもいかない。 …とはいえ、目の前の厳粛な男の目を欺くほどの話術など持ち合わせていないナマエの声は、焦りと緊張から途切れ途切れのしどろもどろだ。

そんな彼女を見兼ねたのか。 カルエゴはまたしても、低く落ち着いた抑揚のない声で、ナマエの名を呼ぶ。

「っ、! は、はい…っ! 何でしょうか…っ!」
「…今日の業務が終わり次第、ウチに来るように」
「……へっ?」

先程のダリとのやり取りを問いただされるのだろうとばかり思っていたナマエは、思わず拍子抜け。 そして何故か、仕事終わりの約束を取り付ける、カルエゴ。

ぽかんと間抜けにも口を開けたままのナマエを一瞥し、そのまま彼女のすぐそばを通り過ぎる際、彼はそっと口を開く。

「ちなみにお前に拒否権はない。 …拒むようなら無理矢理にでも連れ帰るから、覚悟しておけ」
「っ、ッ…!!!」

カルエゴの声には、明らかな怒りの感情が含まれていた。

今この場で終わらせることなく、ゆっくりじっくりと。 話をしようじゃないか。

そんな彼の意志をひしひしと感じ、ナマエはサァッと血の気が引いていく。

今日の仕事が終わるまで、およそあと数時間。 短いようで長いその時間に、生きた心地がしないナマエなのだった。




「それで?」

そして現在。 所変わって、カルエゴの自宅では。 テーブルを挟んで向かい合う、カルエゴとナマエの姿があった。

長い足と腕を組み、"それで?" と問いかけてくる彼からは、ただならぬ威圧感を感じる。

"尋常じゃないほど、怒っている… "

今のカルエゴに対して、余計な発言は一切出来ないと、彼女は慎重に、慎重に。 言葉を選ぶ。

「は、はい… なん、でしょうか…?」
「…本当に、ダリ先生あのひとに乗り換えるつもりなのか」
「っ、!! そ、そんなわけありません…! あれは本当に! ただの冗談で…!」

"あのひとに乗り換える" 。 カルエゴから飛び出したまさかの言葉に、ナマエは驚き目を見開く。 そんなことあり得ない! と、すぐさまそれを否定するけれど。

それだけでは納得がいかないのか。 カルエゴの眉間の皺は、どんどんと深くなっていくばかり。 しかし、それも無理はない。

カルエゴは、自身の目でハッキリと。 ダリがナマエに触れているところを目撃していたのだ。 さらには、その前後で交わされていた会話の内容も、彼はしっかりと耳にしている。

とても "ただの冗談" とは思えない。 それがカルエゴの本心だった。

「…仮にお前が冗談だと思っていたとしても。 向こうは全くの冗談というわけでは、無さそうだったがな」
「えっ、?」

あの時のナマエを見つめる穏やかなダリの表情を思い返し、膨れ上がるのは腹立たしい気持ち。 もしあれが演技だと言うのならば、大した名役者だな、と。 カルエゴはつい、本音をポロリ。

そんな彼の言葉が意外だったのか。 驚きの表情を浮かべる、ナマエ。 しかし今のカルエゴには、ナマエのその反応でさえ、気に食わない。 "彼女の頭の中をダリが占領している" 。 そう考えるだけで、じわりじわりと、怒りが込み上げてくる。

「…何だ。 "冗談じゃない" と分かって、嬉しいのか?」
「…! ち、違います! そうじゃなくて…っ」
「どうだかな… それほどまでにあのひとが良いと言うのなら、もう−−」

この先は、言うべきではない。 頭では分かっているのに。 止まらない言葉。 もし、本当に。 ナマエがダリを選んでしまったら… そんな嫌な考えが、カルエゴの頭をよぎる。 しかし−−

「っ、私は…! カルエゴ先生じゃなきゃダメなんです…っ!!」
「っ、ッ…!」

力強く、ハッキリとした口調で。 ナマエは思いきり叫んだ。 "カルエゴでなければダメだ" というその言葉は、彼の嫌な考えを、一瞬にして拭い去っていく。

「私…っ、すっごくすっごく…! カルエゴ先生のこと、好きなんですっ!」
「っ、…」
「だけど、カルエゴ先生は私のこと、そこまで好きじゃないのかも、とか… 私ばっかり重いな、とか… そんな風に考えるようになっちゃって…」
「……」
「そうやって悩んでいた時に、ダリ先生が声をかけてくれたんです。 "どうすればカルエゴ先生が嫉妬してくれるのかな" って正直に話したら… 突然あんなことになっちゃって、それで…っ」

初めて知った、ナマエの胸中。 これほどまでに自分を想ってくれていたなんて、と彼女からの愛を実感すると同時。 カルエゴの中で膨らんでいた苛立ちや不満は、いつの間にか綺麗さっぱり無くなっていて。 残ったのは、愛おしくて愛おしくて堪らない… そんな気持ちだけだった。

「……ナマエ」
「っ、はい……」
「…今日の俺を見て、どう思った?」
「えっ? ど、どうって…」

カルエゴからの唐突な問いかけに、戸惑いつつも。 ナマエは今日1日の、彼の姿を思い浮かべた。

ダリとの一件があって以降。 いつにも増して、眉間の皺が増えていたな、とナマエはそんなことを考える。 発する声は低く、ピリピリとした空気を常に纏っているように感じて… ナマエにはあの数時間が、地獄のように思えたのだ。

「馬鹿なことをした私に、呆れて怒ってるんじゃ…?」
「……ハァ」

カルエゴが怒りを感じているのは確かだ、と。 それだけは確信していた、彼女。 そんな自分の考えを正直に伝えれば… 返ってきたのは、盛大なため息。

額に手を当て、呆れたように。 首を左右に振る彼を見て、ナマエは戸惑いを隠せない。 怒っているわけではないのだとしたら、一体なんだというのか… そんな疑問が、ナマエの脳裏に浮かんでくるけれど。

「…お前とダリ先生の思惑通り、俺はまんまと "嫉妬した" 」
「……………えぇぇっ!?」
「……やはり気づいてなかったのか」

ナマエの疑問は、カルエゴのひと言によって瞬く間に解消される。

まさかのまさか。
"あの" カルエゴが。
"嫉妬した" と、発言したのである。

これにはナマエも驚きを隠せない。 大きな声で叫ぶ彼女の姿に、カルエゴはまたしても呆れ顔だ。

しかし、カルエゴはそこでふと考える。

ナマエが不安になっていたことに気づいてやれなかったのは、自分の未熟さ故だ、と。 自身の愛情が上手く伝わっていなかったことを真摯に受け止めた彼は、少しでも自分の気持ちが伝わるようにと、その口を開く。

「…俺以外の男の元へなど行かせるわけないだろう、馬鹿者」
「っ、ッ〜〜!!!」

それはカルエゴなりの、精一杯の愛情表現。 やはり恥ずかしさがあるのか、少し不貞腐れたように呟くその姿に、案の定。 ナマエはズキュンと胸を撃ち抜かれる。

こうして図らずも、 "嫉妬してもらいたい" というナマエの願いは、無事。 叶えられたのだった。




「もしかして、ダリ先生… こうなることを予想してたんじゃ…?」
「あのひとのことだ… 十中八九、そうだろうな」
「だ、ダリ先生… おそろしや…!」
「( …半分は本気だったかもしれないが )」



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