君にぴったりの





「マーくん」
「えっ?」

その言葉は、唐突に。
マルバスの耳に、飛び込んできた。

「マーくん」
「っ、いや、ちょっと…! 突然どうしたの、ナマエ先生…!」

"マーくん" 。

家族や親戚… 自分に近しい者しか知らないはずのその呼び名を、何故。 同期であり同僚であり… 想いびとであるナマエが、呼んでいるのか。 そんな疑問が頭をよぎるが、それも束の間。 その疑問はすぐに彼女の言葉によって、解消されることとなる。

「ふふっ。 ヤバシくんがそう呼んでたのを聞いたから、つい!」
「っ、! ( …ちゃんと口止めしとくべきだったか )」

情報の出どころは、今年入学した1年生、マルバス・F・ヤバシ。 マルバスの親戚にあたる彼が会話の流れでつい、ポロッと。 マルバスを "マーくん" と呼んでしまったようで。

口止めをしておかなかった自分にも非があると、過去の自分の行動を悔やむマルバス。 しかし、そんな彼の心情など知る由もないナマエはニコニコと。 楽しそうに笑顔を浮かべている。

「マーくんってあだ名、すっごく可愛いね!」
「…可愛い、って言われてもなぁ。 …素直に喜べないというか」

今夜、教師寮にて行われる職員会議。 その際に使用する資料の作成に追われていた、マルバスとナマエ。 比較的若手であるふたりが、こういった作業を任されることも少なくはない。

このような雑談と呼べる会話をしながらも、慣れた手つきで次々と。 紙の束をホチキスでパチンパチンと留めていくナマエ。

決して止まることのない、その白くて綺麗な手を視界の端に映しつつ。 マルバスは、つい。 いじけたように呟いてしまう。

ナマエには "かっこいい男" だと、そう思ってもらいたい。 そんな気持ちから、思わず口をついて出た言葉だったのだが…

「えぇ!? どうしてっ? すごく親しみやすくて、良いあだ名だと思うけどなぁ…!」
「っ、確かに、親しみやすさはあるんだろうけど…」

何の変哲もない、どこにでもある平凡な呼び名。 それなのに。 必死になって熱弁するナマエの純粋で素直なところに、マルバスはどうしたって胸を熱くしてしまう。

同期として働くようになってから。 いつだって前向きで明るく、それでいて穏やかで。 まるで陽だまりのようなナマエという存在に、これまで随分と助けられてきた。

そんな彼女をバビルスの教師として尊敬すると同時。 芽生えた淡い感情に気づかないほど、マルバスは鈍感ではない。

そうしてずっと、密かに想い続けていたナマエには、あまり知られたくなかった "マーくんこのあだ名" 。 その理由ワケを、マルバスは端的に語り始める。

「マーくんマーくんって、親しみを込めて呼んでもらえるのはすごくありがたいんだけどさ… 何だか男らしさの欠片も無いと言うか…」

彼がまだ子供の頃。 それはそれは親しみと愛情を込めて、彼をマーくんと呼ぶ、家族や親戚たち。 そう呼ばれることを何の抵抗も嫌悪感も無く、むしろ喜んでさえいたのだが…

思春期を迎えると同時。 親戚の集まりの中でマーくんと呼ばれることが何だか "子供扱い" されているように感じてしまって。 一時期は、その呼び名を心底嫌っていたこともあったほどである。

もちろん、今となってはそんなこともあったなと。 笑い話にできるくらいの歳は重ねてはいるのだが、しかし。

"好きなひとの前で、格好をつけたい" 。
ひとりの男として、当然のように抱く、この感情。

それが、ナマエに "マーくんこのあだ名" を知られたくなかった理由の全てだった。

「確かに男らしさは感じにくいかも…」
「っ、…」
「だけど…」

"男らしさの欠片もない" 。
マルバスのその言葉を、ナマエは決して否定しなかった。 そんな彼女の反応に、マルバスの胸にはチクッとした痛みが走る。 けれど、それも一瞬のこと。

「マルバス先生の優しい雰囲気とか、物腰柔らかなところにピッタリで、私はとっても素敵だと思うけどなぁ…」
「っ、ッ!」

かっこいいと、思われたい。 それは紛れもない事実なのだが…

優しくて物腰柔らかと、自身をそう表現してくれた彼女の表情が、とんでもなく甘くて、可愛くて、愛おしくて、仕方がない。

一瞬にして熱を帯びていく、マルバスの頬。 だけど、そんな自分にはまだ、気づかれたくなくて。

「…拷問学担当の僕相手に、よくそんなこと言えるね」
「ふふっ。 "そっちの顔" もすごくカッコよくて、とっても素敵だけどね?」
「っ、ッ〜〜!!」

思わず悪態を吐く彼だったが、華麗に決まるナマエのカウンター。 さらりとかっこいいと言ってのけた彼女に、マルバスはまたしても赤面する。

この素直さには敵わないなと、心底そう思うマルバスなのだった。



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