Don't look away!





「ナマエ先輩が帰ってくる、だと…?」

悪魔学校バビルスの放課後。 魔界生物学準備室にて。 1日の業務を終えたカルエゴとバラムが魔茶を片手にひと息ついていた、その時だった。

『ナマエ先輩、今夜こっちに帰ってくるんだってね』

唐突にバラムから告げられた言葉に、カルエゴは唖然とする。

「昨日、ナマエ先輩から連絡があったんだけど…」
「……」

"昨日" 。 バラムのその言葉に、すぐさま自身の記憶を辿るカルエゴ。 しかし、いくら思い返してみても。 彼女からの連絡でス魔ホが鳴ることはただの一度も無かったと、再確認したところで胸に広がるのは、モヤっとした不快な感情。

顔には出さないものの、纏う空気と一切口を開かないカルエゴの態度を見れば、例え古くからの友人であるバラムでなくとも、不機嫌であろうことは火を見るより明らかで。

口元のマスクに手を添えながら。 おずおずと、遠慮がちに。 バラムは、その口を開く。

「もしかして… カルエゴくんには連絡、来なかった?」
「……」
「ナマエ先輩、昔からそういうとこあるよね…」

無言の肯定。 カルエゴの反応を見てそう判断した、バラム。 彼が問いかけたことにより、カルエゴの機嫌はさらに急降下。 ずーんと暗いオーラを纏う姿に、慌ててフォローの言葉を口にするバラムだったが…

気を遣われている。 その事実が、さらにカルエゴの苛立ちを膨れ上がらせてしまったようで。 感情を露わにしないよう意識していたはずの彼の表情は、みるみる内に険しいものへと変わっていく。

「こ、今夜、飲みに行こうって話なんだけど… カルエゴくんも、来るよね…?」
「… "俺は" 誘われていないが?」

それはまるで不貞腐れた子供のように。 "俺は" を強調するカルエゴ。 暗に "誘われたのはお前だけだろう" と、嫌味ったらしく遠回しに伝えてくるその姿に、穏やかで温厚であるバラムもついに。 匙を投げる。

「あぁもう、面倒くさい…! そんなことでイジけてないで! せっかくの機会なんだし一緒に…」
「俺も暇ではないのでな。 …彼女がどうしてもと言うのなら、考えてやらんこともないが?」
「よく僕の前で堂々と嘘をつけるね… 本当は、行きたくて仕方がないくせに。 …ほんと素直じゃないんだから」

大人げなくも無意味な意地を張り続ける、カルエゴ。 普段の彼からは想像も出来ないような言動だが、バラムからしてみればこんなもの。 よく見る光景だと、呆れ顔。

こと、 "ナマエ" に関してのみ。 普通の男と何ら変わりなく… いやむしろ。 かなり面倒な男へと。 カルエゴは、変貌を遂げる。

先程からふたりの会話の中に登場している "ナマエ" という女性。 彼らの口ぶりからお察しの通り、彼女はカルエゴたちの "先輩" にあたる存在だ。 あのオペラと、同級生。 学生の頃からそれはそれはとても、優秀な悪魔であった。

バビルス在校時。 オペラを通じて知り合うこととなった、カルエゴとナマエ。

容姿端麗、性格良し。 どんな相手であろうと仲良くなれる… そんなずば抜けたコミュニケーション能力を持つ彼女にカルエゴが惹かれるまで、そう時間はかからなかった。

ナマエと過ごす時間が増えるたびに、育まれていく感情。 それは次第に大きくなり、カルエゴの胸をいっばいにする。

"彼女が卒業をするタイミングで、想いを伝えよう" 。
そう強く決心した、カルエゴ。 しかし。 現実は、非情である。

ナマエが卒業する、直前。 あと数日で卒業式を迎えるという時に、カルエゴはまさかの事実を知らされることとなる。

『私、卒業後は "魔界探検家" になるの!』
『……は?』

その時の。 ナマエの屈託のない、それでいて残酷な笑顔は、一生忘れないだろうと、カルエゴはのちに語る。

"魔界探検家" 。それは魔界のありとあらゆる場所へと赴き、その地を詳しく調査する者のことを指す。 数日… いや、数週間、数ヶ月。 家を留守にすることだってザラにある、そんな職業だ。

今までのように毎日、顔を合わすことも出来ない。 さらには危険を伴う命懸けの仕事に就くと言う彼女に、どうして想いなど伝えられようかと。 カルエゴの決心は水泡に帰す。

こうして、告白のタイミングを完全に逃してしまったカルエゴ。

あれから十数年。 彼は健気にも。 日々魔界を忙しなく駆け回るナマエをひとり、想い続けているのである。

…そう、想い続けてはいる、のだが。

「そんなんだからナマエ先輩、君の気持ちに気づかないんじゃないの?」
「……」

学生の頃のように頻繁に会えなくとも、今回のようにナマエが帰ってくるタイミングには必ず。 顔を合わせている彼ら。

何度も忘れようと、カルエゴは考えた。 現に、教師という多忙な仕事に就いてからは、彼女のことを考える時間は確実に減っている。 …それなのに。

頭の片隅に追いやった途端、ふらりと。 自身の目の前に、姿を現す彼女。

会ってしまえば必ず、萎んだはずの彼女への想いは瞬く間に膨らみ始めるのだから、たまったものじゃないと。 カルエゴは心の中で悪態を吐く。

もういっそ、想いを伝えた方が楽なのでは? そんな考えに至った回数はもう数えきれないほど。 しかし歳を取るにつれて、大きくなる意地やプライド、羞恥心、その他諸々… そんな感情がいつも、彼の考えの邪魔をする。

「もういい大人なんだし、いい加減素直になればいいのに…」
「…あのひとは、俺のことなど眼中にないだろう」
「まーた、そんなこと言う…!」
「現に俺には連絡のひとつも寄越さない。 そんな彼女を相手に、どう素直になれと?」
「一途な恋も、ここまで拗らせたら困りものだね…」
「…ふん」

バラムからの呆れた物言いに、カルエゴは思わず。 ふんと鼻を鳴らし、そっぽを向く。 バラムの言葉は正論も正論、ド正論。 何をこんなに意地を張っているのかと、自分自身思うところはあるけれど。

そんなにも簡単に素直になれるのなら苦労はしないと、カルエゴは心の中でため息をひとつ。 これも歳のせいなのか。 今さら素直になったところで、何が変わるのだろうと、そんな夢のない考えばかりが彼の頭をいっぱいにしている。

今の関係を保つ方がお互いの為になる。 そんな言い訳を脳内で呟いては自分に言い聞かせる… カルエゴは、ナマエが帰ってくると知る度に、そんなことを繰り返していた。

まさに、バラムの言う通り。
恋を拗らせに拗らせている、不器用な男−− カルエゴ。
それはバラムのみぞ知る、彼の意外な一面だった。

そうしてしばらくの間、ナマエについて話し込んでいた彼らだったが、カルエゴの手がテーブルの上の湯呑みへと伸ばされる。

この話は終わりだと言わんばかりに魔茶をすすり始めるカルエゴを視界に入れた、バラム。 今回も発展は無しか… と、彼も湯呑みへと手を伸ばした、その時だった。

「たっだいま〜!!」
「「っ、ッ−−!?!?」」

バァン! と大きな音を立てて勢いよく開かれる、準備室の扉。 そしてその直後。 元気いっぱいの明るい声が、室内に響き渡る。

あまりに突然の出来事に、情けなくもその大きな体をビクッと震わせるカルエゴとバラム。 ふたりの湯呑みからは、バラム特製ブレンドの魔茶がこぼれてしまったが、今はそんなことなどどうでも良いと。 ふたりは慌てて扉へと、視線を向ける。

「はぁ〜っ、疲れたぁ…! シチロウ! さっそくで申し訳ないけど、いつもの魔茶いれてくれない…っ?」
「「っ…、ナマエ先輩…!!」」

両手いっぱいに抱えていた沢山の荷物を床におろしながら、何とも呑気な事を言う、ひとりの女性。 それは紛れもなく、先程まで話題に上がっていた、ナマエ本人。

まさかのご本人登場に、驚きの声をあげるカルエゴとバラム。 しかしそんな彼らの声も特段気にすることなく、またしても彼女は呑気に挨拶を口にし始める。

「久しぶり! 元気だった… って、あれ!? カルエゴくん!? わぁ…っ! まーたしばらく見ない内に、色っぽくなっちゃって!」
「っ、−−…ッ!?」

そこで初めて、カルエゴの存在に気付いた様子のナマエ。 彼を視界に入れた途端、それはそれは嬉しそうに。 綻ぶ、彼女の表情。

自分を完全に年下扱いしている発言が少し気にはなるが、それでも。 その笑顔の破壊力に、カルエゴは思わず赤面する。

そんな彼に呆れた視線を向けつつも。 話を本題へと移すべく、バラムはその口を開いた。

「どうしてナマエ先輩がこちらに? 帰るのは夜になるはずじゃ…」
「それが思ったよりも早くコッチに着いちゃってね? 夜まで時間あるし、シチロウのとこ寄っていこうかなぁと思ってさ!」
「その言い方じゃまるで、僕が生物学準備室ここに住んでるみたいじゃないですか…」

イジけたように呟くバラムに対し、『ほとんど住んでるようなものじゃない!』 そう言って、ケラケラと無邪気に笑うナマエ。

カルエゴとはベクトルの違った感情だが、バラムもまた。 彼女を先輩として尊敬し、慕っている者のひとり。

身の危険が間近にある "探検家" という職業に就くナマエ。 そんな彼女のいつもと変わらない姿を見たバラムの胸には、ホッと安堵の気持ちが溢れ出す。

それはそれは穏やかに。 互いに微笑み合う、ナマエとバラム。 元来、温厚で柔和な性格であるふたり。 バラムはナマエの無事を素直に喜び、ナマエもそれを素直に受け入れる。

そんな仲睦まじいふたりの姿を、面白く思わない男がひとり。 それはもちろん、ナベリウス・カルエゴ、この男である。

バラムのそれが恋愛感情でないことを頭では理解しつつも… 彼の心はままならない。

自分も彼のように素直になれたなら… カルエゴは柄にもなく、そんなことを考えてしまう。

しかしそんな彼の葛藤など露知らず。 ハッと何かを思い出す仕草を見せたあと、ナマエはカルエゴへと向き直る。 そして…

「そうだ、カルエゴくんも! 今夜は一緒に飲みに行くでしょう?」
「……」
「あ、あれ? もしかしてあんまり乗り気じゃない…?」

先程、バラムからも聞いた今夜の予定。 それは "自分には無かった" 誘いの連絡。 まるで今思いついたかのように。 その場の流れで自身を誘うナマエの言葉に、カルエゴの苛立ちは一気に膨れ上がる。

「…俺は "ついで" ですか」
「えっ?」

吐き出した言葉は思いの外、低く冷たいもので。 そんなカルエゴの声と言葉など、予想もしていなかったナマエは目が点。 驚きの表情を浮かべている。

「シチロウには "今夜帰る" と。 連絡を入れたそうじゃないですか」
「…!」

自分でも随分と、大人げないことをしているという自覚はある。 だがしかし、今の彼にはそれを止める余裕は1ミリも存在しなかった。

これではまるで。 嫉妬していますと、言っているようなもの。 普段の彼からは想像も出来ない言動に、ナマエも戸惑いを隠せないのか、言葉が出てこない様子。

そんな彼女に気づきながらも、カルエゴの言葉は止まらない。

「連絡を寄越さないということは、俺とは会うつもりも飲みに行くつもりも無かった。 …そういうことでは?」
「ち、違うよ! 私、そんなつもりは…!」
「…俺も暇ではないので。 今夜は遠慮させていただき−−」

連絡をしなかったことで、まさかこんなにも。 カルエゴが怒りを露わにするなど思いもしなかったナマエ。 次々と放たれる冷たい言葉を、彼女は慌てて否定する。

もちろんナマエには、カルエゴの言うような考えなど一切なかった。 彼女の頭の中の予定にはしっかりと。 共に酒を飲むカルエゴの姿がある。

バラムも含めた3人で。 楽しい時間を過ごそうと、それはそれは楽しみにしていたのだ。

「っ… ダメ!!」
「っ、ッ…! なっ、何を…っ、ッ!?!?」

この場を立ち去ろうとするカルエゴの腕を、ナマエは咄嗟に掴む。 そしてそのまま手繰り寄せ、ぎゅっと彼の腕にしがみついた。

突然襲い来る、柔らかな感触。 さらには、ふわりとすぐそばから香るナマエの匂いに、カルエゴはピシリと体を固まらせる。 それだけでも充分すぎるほどの刺激だというのに。 彼女はカルエゴを惑わすかのごとく、さらに追い打ちをかける。

「カルエゴくんは "ついで" なんかじゃない…っ! 一緒じゃなきゃ、イヤなの…!」
「っ、ッ〜〜!!!」

それはまさに、殺し文句。 自身をこれでもかと悶えさせるその言葉と表情に、カルエゴは為す術もなく。 上げた腰はそのままソファへと逆戻り。

そんな彼らの様子を、黙って見守るバラム。 今回はふたりの関係が進展するかも… ほんの僅かだが素直になれたカルエゴを見て、そんな期待を胸に抱く彼なのだった。




「どうして俺には連絡をくれなかったんですか」
「えっ…? だってカルエゴくん、いつも返事が遅いし…」
「…っ、!?」
「だから直接、誘えばいいかと思ってたの!」
「( 何て返事をすればいいか、毎回めちゃくちゃ悩んでるんだろうなぁ。 きっと… )」



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