嫉妬なんかよりもずっと





「ナマエ先生、今度ふたりで飲みに行かない?」

授業と授業の合間の休憩時間。 そんな僅かな時の間に、聞こえてきた俗な話題。 普段ならば、無視を決め込み関わろうともしないカルエゴだったが… その話題の中に出てきた "ナマエ" という名前に、思わず足を止める。

「ごめんなさい、エイト先生… 私、あんまりお酒が飲めなくて…」
「あんまりってことは、少しは飲めるってことでしょ? それに飲めなくても全然いいよ。 美味しいごはんだけでもさ、どう?」
「え、えっと…」

飲みに行こうと誘ってくるイフリートに対し、断る意志は感じられるものの、何とも弱々しい返答をするナマエ。

元来、強い物言いは出来ない性格である彼女。 そんなことは重々分かってはいるが、それにしても。 ここまで下手に出る必要はないのではないか。 そんなどっち付かずな彼女の対応に、カルエゴの苛立ちは膨れ上がる一方で。

自分の意志とは裏腹に、勝手に動き出す体。 未だ誘い文句をつらつらと口にするイフリートと、彼に対しモゴモゴと言葉を濁らせるナマエの前へと、カルエゴはズンズンと躊躇なく向かっていく。

「校内での "業務に関係のない話" は控えるよう、伝えてあるはずですが?」
「「っ、!」」

彼らの前に立って、開口一番。 カルエゴが口にしたのは、全く抑揚のない、とてもとても冷たい言葉で。 突如現れたカルエゴを見て、ふたり揃って驚きの表情を浮かべている姿でさえ、今の彼の癇に障る。

見るからに怒っている彼の姿に、ナマエの体からはサァッと血の気が引いていく。 生きた心地がしないその感覚に、彼女の頭は真っ白になっていた。

「あちゃー… これまた面倒なひとに見つかったなぁ」
「…イフリート先生?」
「あはは、すみません。 …ナマエ先生! さっきの話、考えておいてくださいね」
「…えっ? あっ、ちょっと…!」

軽く手を上げ、それじゃあと。 足早に去って行くイフリート。 無惨にも。 この場に残ったのは、ナマエとカルエゴ、ただふたり。

普段から寄せられた眉間の皺は、更に深く溝を作り、発するオーラはどこかどす黒いものを感じる。 そんな明らかな怒りを抱えたカルエゴが、すぐ隣に立っていて。 ナマエはどうしたものかと、頭を悩ませた。

「……」
「……あ、あの」
「……」
「……お、怒ってる、よね?」

先程からカルエゴが怒りを露わにし、ナマエがこんなにも焦っている理由。 それは至極、単純な話である。

カルエゴとナマエ。 ふたりは以前から、交際をしている仲だった。 しかしその事実を知る者は、ごく少数に限られていて。 そしてもちろん、イフリートにはふたりが恋仲であることを知らされていない。 まさかカルエゴとナマエが付き合っているなんて、彼にはきっと想像もつかないことだろう。

それほどまでに、普段はドライな関係を保っているふたり。 カルエゴの性格上、仕事に私情を持ち込むのは許されないと、考えてしまうのも無理はないが… ナマエからしてみれば、ただただ "寂しい" 。 そのひと言に尽きた。

たとえプライベートな時間となったところで、仕事中とさほど変わることのないカルエゴの態度。 特段、甘い雰囲気になるわけでも、愛を囁いてくれるわけでもない。 もちろん交際している以上、キスやその先もすでに済ませてはいるのだが。

"どうして私と付き合っているのだろう…"
そんな疑問は常日頃から、ナマエの心の片隅にずっと居座っていた。 だけど今、怒りを露わにする彼を前にして、真っ白になっていたはずのナマエの頭は全く別の思考を巡らせる。

"もしかして、嫉妬してくれてる…?"
ナマエの胸に芽生えたのは、そんな淡い淡い、少しの期待。 しかし。

「怒ってなどいない」
「……うそ」
「嘘じゃない」
「っ、それじゃあ… 私がエイト先生と飲みに行っても、いいってこと…っ?」
「別にかまわん。 お前が行きたいのならば、止めはしない」
「っ、…!」

まるで突き放すかのようなその言葉に、ナマエの期待は儚くも砕け散る。 あまりに冷たいその態度に、彼女の胸はついに悲鳴をあげた。

彼が怒っているのは、間違いない。 だけどそれは私情を挟んだ "嫉妬" なんかではなく、ただ単純に。 "業務中にも関わらず、あのような会話をしていた自分" に対する怒りなのだと、ナマエはそんな考えに辿り着く。

やはりカルエゴにとって自分はその程度の存在なのだと、真正面から突きつけられた、そんな気がして。 ナマエにはもう、彼と会話を続ける勇気も気力も。 微塵も残ってなどいなかった。

「…教師として常識を欠いた行動を取ったこと、深く反省します。 今後、同じような過ちを犯さないよう、気をつけてまいります」

ナマエが口にした反省の言葉に、嘘偽りはなかった。 いくらイフリートから持ちかけられた話題であったとしても、すぐさま注意をすべきだったのは事実である。

私情を持ち込むのは、もうお終い。 ナマエは "教師として" カルエゴに向き合い、頭を下げて謝罪をした。

「…それでは、私は業務に戻ります。 お時間を取らせてしまい、申し訳ございませんでした」

気丈に振る舞ってはいるが、ナマエの心は限界だった。 とにかく今はすぐにでもここを立ち去りたい。 そんな気持ちが先走り、カルエゴの返答も聞かぬまま。 くるりと背を向け歩き出す。

そんな彼女の背を見つめながら、カルエゴは一歩も動けずにいた。 どんどん遠ざかっていく、ナマエの背中。 小さくなる彼女の姿に、カルエゴの胸には不安がよぎる。

「( …………何をしてるんだ、俺は )」

先程までの怒りの感情は瞬く間に消え去り、残ったのは焦燥感。 このままでは、本当に。 ナマエが自分の元から離れてしまうんじゃないか、そんな考えがカルエゴの頭を支配する。

「( 嫉妬に狂って怒りを露わにして… 挙げ句の果てには、意地を張って彼女を傷つけて… )」

"怒っていない" などというのは、もちろん建前で。 本心では、グツグツとはらわたが煮えたぎるほどに怒りを感じていたカルエゴ。

普段から、ナマエに対して随分と冷たい態度を取っているという自覚はあった。 仕事とプライベートをきちんと分けることが出来れば、何も問題はないのだが。 カルエゴにはそれが出来る自信がなかったのだ。

一度でも、彼女をどろどろに甘やかしてしまえば。 もう後戻りは出来ない。 カルエゴには、そんな確信があった。 だがしかし、そのような自分勝手な考えのせいで、ナマエを深く傷つけてしまっている。

彼に襲いかかるのは、後悔の念。 馬鹿みたいに感情を露わにして、"飲みになんて行くな" と。 そう言えたなら…

「( ……本当に彼と、飲みに行ってしまうんだろうか )」

自分のようなつまらない男より、気さくで明るい気の利いた言葉を言えるイフリートの方が。 ナマエには合っているのではないか。 そんな馬鹿な考えがカルエゴの中に生まれてくる。

脳裏に浮かぶのは、楽しそうに会話をするふたりの姿。 洒落たバーでふたり、美味しそうに食事をしながら、酒を飲む姿を想像し、痛む胸。 そのまま夜の街へと消えていくふたりが頭の中に浮かんだ、その瞬間。

カルエゴの足は、動き出していた。

「っ、ナマエ……っ!!!」
「……っ、!」

遠ざかっていくナマエの背に向けて、片手で数えられる程しか呼んだことのない彼女の名を、カルエゴは思い切り叫ぶ。

そんな彼の感情のこもった声に、ナマエは無意識のうちに足を止める。 くるりと振り返った、視線の先。

辛そうに表情を歪めたカルエゴが、ナマエを見つめていて。

「…っ、行くなっ! 俺以外の男とふたりきりになるなど、絶対に許さない…っ!」
「っ、か、るえごせんせ…っ」

その悲痛なまでの心叫びは、ナマエの胸をこれでもかと熱くさせた。 嫉妬なんて、生温いものじゃない。 これは言わば、独占欲。 これほどまでに大きな感情を初めてぶつけられて、嬉しくないわけがなかった。

自然と溢れ出す涙を拭うことも忘れて、ナマエはカルエゴの胸へと勢いよく飛び込んでいく。 そんな彼女をしっかりと受けとめて、カルエゴはナマエを胸の中へと閉じ込める。

「…俺を置いてどこにも行くな、わかったな?」
「っ、うん… どこにも行かない…っ」

耳元に唇を寄せ囁かれたのは、どろどろに甘くて重い言葉。 その言葉のあまりの衝撃に、ナマエは思わず頭をクラクラとさせてしまう。

ギュッとキツく。 決して離れないようにと、痛いくらいに抱きしめてくるカルエゴが愛しくて愛しくて堪らなくて。 ナマエもまた、強く。 彼を抱きしめ返した。




「何々? 痴話喧嘩の末に、無事仲直りして? それが理由で授業に遅れたと?」
「「……はい」」

呆れた表情を浮かべながら、面倒臭そうにボヤくのは、教師統括であるダンタリオン・ダリ。 彼の目の前には、申し訳なさそうに縮こまるナマエと、バツが悪そうに視線を逸らすカルエゴの姿があった。

「もぉ〜… 頼むよ、ふたりとも! 次はないですからね?」
「はい…」
「以後、気をつけます…」

カルエゴが嫉妬に狂い、すれ違いそうになったが、何とか無事に仲直り。 熱く抱擁を交わしていたふたりだったが、そこで校内に鳴り響いたのは、チャイムの音で。

その後、慌てて自分たちの持ち場へと移動したものの、遅刻したことには変わりない。 カルエゴとナマエが遅刻してきたとの報告を受けたダリは、ふたりに事情を聞いていたのだが。

まさかのまさか。 完全に私情を持ち込んだ話の内容に、ダリが呆れるのも無理はなく。 ふたりの関係を知っている数少ない人物である彼は、これまた面倒臭そうに。 その口を開いた。

「もう面倒だしさ〜 みんなにバラしちゃえば?」
「えっ?」
「その方がカルエゴ先生も安心じゃない? …ナマエ先生が人気者なのは知ってるでしょ?」
「……確かに。 一理ある」
「っ、えっ!?」

わざわざ自分たちの関係を公表する必要はないと、最初に言い出したのはカルエゴだった。 他の者たちに気を遣わせたり、何かと面倒なことが起こるのが目に見えていた彼は、他人にバレないよう、徹底していたのだ。

校内でふたりの関係を知っているのは、ダリとバラムのふたりのみ。 …サリバンにはバレていたかもしれないが、それはひとまず置いておく。

そんな彼がまさか。 自分たちの関係を公表すると言ったのだ。 ナマエがこれほどまでに驚くのも頷ける。

「あははは! これは中々に面倒な男を "覚醒" させてしまいましたね! ナマエ先生!」
「だ、ダリ先生…! 笑ってる場合じゃないですよ…!」

ナマエとしては、自分たちの関係を他人に言おうが言わまいが、どちらでも構わなかった。 カルエゴが自分のことをちゃんと想ってくれている… それが分かっただけで、彼女の心は満たされたのだ。

「あ、あの、カルエゴ先生…? 本当に、バラしちゃうんですか…?」
「何か問題があるか? …もしお前が嫌だと言うなら、無理強いはしないが」
「っ、…!!」

問題があるから、今まで黙っていたのでは? そう思わずにはいられないナマエ。 しかしそれ以上に、こちらを気遣うような言葉を告げるカルエゴに、ナマエは驚きを隠せなかった。

「まさかここまであからさまに態度が変わるなんてねぇ… ナマエ先生、一体何をしたんです?」
「わ、私は何もしてませんよ…!」

まるで何かが吹っ切れたかのように、目に見えてナマエを大切にし始めるカルエゴ。 そんな彼の姿に、ダリは目が点。 彼をこんな風にしてしまうなんてと、ナマエの手練手管に興味津々の様子。

しかしナマエからしてみれば、どうしてこうなったのか。 強いて言うならイフリートのおかげかも… なんて。 そんな風に思っている自分は中々現金な奴だと、自重気味に笑う。

「…あとでエイト先生に、ちゃんと断りを入れなきゃなぁ」
「…その時は、俺も着いていくからな」
「っ、ッ−−!!」
「あははは! 見事なまでの過保護っぷり! 良かったですね、ナマエ先生!」
「ッ、もう…っ! からかわないでください、ダリ先生…っ」

後日。 職員室にて。 交際をしていると報告をする、ナマエとカルエゴの姿があったそうな。




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