Right away





「( また、すれ違ったな… )」

廊下を歩くアスモデウスの視界の隅に映ったのは、さらりと揺れる長い髪。 特段、派手な色をしているわけでも、特殊な髪型をしているわけでもない。 しかし何故か。 気がつけば、己の目を引いていて。

「−−… というわけでね! 今日の放課後はクララも一緒に… って、あれ? アズくん…?」
「っ…! しっ、失礼いたしました、イルマ様…っ! お話の最中だと言うのに、とんだご無礼を…っ」

尊敬してやまない入間と共にしているというのに。 全く無意味な些事に気を取られてしまうなんてと、アスモデウスは自身の失態を恥じ、咄嗟に謝罪を口にする。 そんな彼の畏まった態度にあははと苦笑いを浮かべながらも、入間はずっと不思議で仕方なかった。

心ここに在らず。 近頃、そんな様子が多々見受けられるアスモデウス。 のほほんとしたイメージのある入間だが、意外にも周りをよく見ている。 そんな彼からしてみれば、アスモデウスの変化はそれはそれは著しいものだった。

「アズくん… 気のせいだったらごめんね」
「は、はい! 何でしょうか…っ?」

ジッと真っ直ぐ、アスモデウスの瞳を見つめる入間。 その真剣な表情に、アスモデウスは思わずピシッと背筋を伸ばす。

一体何を告げられるのだろう… もしや呆けていた自分に喝を入れてくださるのでは?

そんな不安と期待を胸に抱くアスモデウス。 しかし、入間の口から放たれたのは…

「もしかして "ナマエちゃん" のこと、気になってる…?」
「っ、な…ッ!?」

まさかのまさか。 彼の口から出たのは、先程までアスモデウスの脳内に居座っていた者の名で。 驚きを隠せず、思わず声を上げてしまう。

しかし、そんな彼を微笑ましげに見つめる入間の柔らかな雰囲気に、アスモデウスはハッとする。 何もかもお見通しかと、入間の観察眼に敬服すると同時、観念するようにフゥと息を吐き出し、素直な気持ちを吐露しはじめた。

「やはりイルマ様には、隠し事は出来ませんね…」
「…! それじゃあ、やっぱり…!」
「…お恥ずかしながら、おっしゃる通りでございます」

入間が口にした、 "ナマエ" という名の少女。 アスモデウスが彼女をこんなにも気にしている理由。 それを語るには少し、時間を遡らなければならない。




「アスモデウスくん、ちょっといいかな…?」

それはとある日の、放課後。 入間と共に王の教室ロイヤル・ワンから出てきたアスモデウスに、ひとりの少女が声をかけた。

基本的に他人に興味がないアスモデウスに、彼女との面識などあるわけがない。 そんな見知らぬ女子生徒からの突然の呼びかけに、入間との下校時間を邪魔されたアスモデウスの表情は見るからに不機嫌なものへと様変わり。 しかし彼は礼節を重んじる悪魔。 女性を無視することは、彼の信条に反していた。

「…何の用だ?」
「えっと、ここじゃちょっと…」
「ならば、話はここで終わりだ」
「あっ、ちょっと…!」

仕方なく、渋々と。 不機嫌な表情を隠すことなく、ぶっきらぼうに返事をするアスモデウス。 何の用だと問うた自分に返ってきたのは、あまりにも面倒な返答で。

入間から離れること。 今の彼にとって、それは最も行いたくない愚行。 呼び止めようとする彼女を華麗にスルーして、『行きましょうか!』 と、満面の笑みで入間へと振り返る。

「あ、アズくん… ほんとにいいの? あの子、何か用があったんじゃ…」
「イルマ様との時間よりも大事な用などございません! せっかくの楽しみを邪魔されるなんてもっての外です…!」
「で、でも…」

彼女の纏う雰囲気から察するに、あれはおそらく告白をするための呼び出しだろう。 アスモデウスと共に行動し、今まで幾度となく同じような場面に出会していた入間は、そう確信していた。

アスモデウス本人もそのことに気がついた上で、あのような冷たい態度を取っている。 中途半端な優しさは相手をつけあがらせるだけだと彼は言うが、それにしても。 あまりにも冷淡すぎるのではないか… と、何故か入間の方が申し訳ない気持ちになっていて。

アスモデウスが自分を優先しているという負い目から、罪悪感を感じる入間。 チラリと彼女へと視線を向ければ、俯き黙り込んでいる姿が目に入る。

"もしかして泣いているんじゃ…"
入間がズキっと胸を痛めた、その直後。

「アスモデウスくん、好きです!! 私と付き合ってください!!!」
「「「「…っ、!?!?」」」」

周りには、入間たちの他にも問題児アブノーマルの面々が、ちらほらと様子を窺っていて。 多数の目撃者が存在する中、それはそれは大きな声で。 堂々と恥ずかしげもなく愛の告白をする、彼女。

そんな彼女の突拍子のない言動に、さすがのアスモデウスもこのまま無視をすることは出来なかったようだ。

「な、何を言うのだ貴様…! 突然そのようなことを…っ」
「だってアスモデウスくん、私の話聞く気なかったじゃない」
「っ、そ、それは…っ」

腕を組み呆れた表情で、強気な発言をする彼女。 そんな彼女の正論に、アスモデウスも返す言葉が見つからず、タジタジとなっている。

今まで、アスモデウスに告白をする女子生徒は数えきれないほど存在したが、誰もが彼の冷たい態度に涙したり、その場からすぐに立ち去ったり。 相手に同情せざるを得ない結果ばかりだったのだが… 今回のようなパターンは、初めてだった。

泣いているかもだなんて、とんでもない。 アスモデウスの冷酷な態度にも怯むことなく、むしろ果敢に立ち向かうその姿に、入間は思わず見入ってしまう。

「それで、返事は?」
「…っ、き、気持ちはありがたいが、私は誰とも交際する気はない。 …悪いが、諦めてくれ」

女性にここまで言われてしまっては、適当な返事などするわけにはいかないと、アスモデウスは殊のほか丁寧な言葉で彼女からの告白を断った。

"見事にフラれたが、一体どんな反応を示すのだろう…"
周りの者がそんなことを思いながら、興味津々で見守る中。 彼女はあっけらかんとした態度で、口を開く。

「うん、まぁ… そうなるよね」
「は?」
「告白したところで、付き合えるとは思ってなかったもん。 …OK貰えたらラッキーだなぁくらいの下心はあったけど」
「……本気では無かったと?」
「っ! いやいやそうじゃなくて…!」

告白をした直後だと言うのに、淡々としたこの態度。 挙げ句の果てに、付き合えるとは思ってなかったなどと言う彼女に対し、アスモデウスの胸に湧き上がるのは不快感。

このような色恋沙汰の悪ふざけは、面倒なことこの上ない。 自身を揶揄うつもりだったのかと、ギロリと疑いの目を向ければ、彼女は慌てて否定の言葉を口にする。

「言い方が悪かったね。 アスモデウスくんのことは本気で好きだけど、あなたが恋愛に興味ないってことは何となく分かってたから…」
「…そこまで分かっていて何故、想いを告げたのだ」

叶わない恋だと分かっていながら、想いを告げたその理由。 人生において愛の告白など一度もしたことのないアスモデウスには、想像することすらできなかった。

彼からの問いかけに、うーんと考える素振そぶりを見せる彼女。 暫しの沈黙。 しかしそれも束の間。 彼女はアスモデウスの瞳を真っ直ぐ見つめ、柔らかく微笑む。 そして…

「何だか無性に、"好きだ" って… 言わずには居られなくなっちゃったんだよね」
「っ、…ッ!」

特別、容姿が整っているわけでもない。 言い方は悪いが、どこにでもいる普通の女子生徒。 彼女を一目見た印象は、そんなものだった。 …それなのに。

目の前でこんなにも。 自身を見つめ、愛おしげに笑う彼女の姿に、見入ってしまっている自分がいる。 その事実に、アスモデウスは戸惑いを感じずにはいられなくて。

思わず詰まる、言葉。 何と言葉を返せば良いのか、アスモデウスには正解が分からなかった。

そんな彼の困惑した様子にも、いち早く気がつく彼女。 これ以上、アスモデウスを困らせてはいけないと、話を締め括りにかかる。

「もちろん、しつこく付き纏う気はないから安心して。 だけど、すぐに諦めるのは無理だと思うから… ひっそりと想うのだけは許してね?」
「……あ、ああ」

これまた淡々と。 言葉を紡いでいく彼女。 そして続けざまに 『私、ミョウジ・ナマエっていうの。 1年のBクラス。 興味ないと思うけど、一応名乗っておくね』 そう言って、ニコリと笑ったあと、彼女はじゃあねとこの場を去っていく。

それは驚くほど清々しく、あまりにも潔くて。 思わずぽかんと呆気に取られるアスモデウス。 周りで静かに様子を見ていた問題児アブノーマルの面々も同様に。 突然行われた公開告白を前にして、間抜けな表情を浮かべることしか出来なかった。




と、いうことがあったのが、つい先日のこと。

それ以来。 アスモデウスの視界には、彼女が映り込んでくることが日に日に増えていった。 登下校の道中、教室移動をする廊下、校内の食堂… そんな何気ない日常の中に、"彼女" が存在している。 それが何だかむず痒く、気恥ずかしい。 だけど不思議と嫌な気持ちにはならなくて。

そんな自身の胸の内を、正直に話すアスモデウス。 今まで抱いたことのない感情に、彼は戸惑いを隠せないようだった。

そうして、ポツリポツリと語られるアスモデウスの心情。 それを聞いた入間は、あるひとつの答えに辿り着く。

「それってさ、つまり… ナマエちゃんのこと、"意識してる" ってこと、だよね…?」
「っ、!?」

恋愛ごとに関してあまり詳しくない入間でも分かる。

彼女は決して、アスモデウスの視界に映り込もうとしているわけではない。 "アスモデウスが無意識のうちに" 彼女の姿を探しているのだ。

「僕… アズくんといつも一緒にいるけど、ナマエちゃんに気づくことなんて、滅多になかったよ?」
「っ…! そっ、そうなのですか…?」

入間の言葉に、本気で驚きの声をあげるアスモデウス。 そんな彼の反応に、入間は思わずあははと苦笑い。

アスモデウスの様子がおかしくなり始めた当初。 その原因は何なのか… 全く想像も出来なかった入間だったが。

アスモデウスが心ここに在らずとなった時、必ず。 彼の視線の先には、ナマエがいることに気がつく。 そこで初めて、彼の心を乱しているのは彼女なのだと、入間は確信をしたのだ。

「きっと、アズくんは気づかない内に… ナマエちゃんのことを見つけちゃってるんだよ」
「っ、け、決して! そのような、こと、は………」

入間の言葉を否定したアスモデウスの、視線の先。 さらりと揺れる長い髪。 特段、派手な色をしているわけでも、特殊な髪型をしているわけでもない。

だけどやはり、彼女は。 アスモデウスの心を、これでもかと惹きつけていて。

「…! ほら、やっぱり! アズくんは、ナマエちゃんを見つける天才だね!」
「っ、ッ〜〜!!!」

カアッと一気に熱くなる頬。 ドクドクと速くなる胸の鼓動に、思わずギュッと拳を握りしめる。 さすがのアスモデウスも、ここまで来れば認めざるを得なかった。

「( 私は、彼女のことが… )」





「ミョウジ・ナマエは、いるか?」

それはとある日の、休憩時間。 Bクラスの教室の入り口にて、ナマエの名を呼んだのは…

「アスモデウスくん…?」
「っ、…!」

学年主席。 アスモデウス・アリス。 彼の存在にいち早く気がついたナマエもまた、思わずポツリと彼の名を呼ぶ。 しかし、彼にはもう付き纏わないと宣言していたことを思い出し、慌てて視線を背ける彼女。

そんな彼女を前にして、アスモデウスは思う。

「ミョウジ・ナマエ… 私は、お前が好きだ…!」
「っ、…ッ!!!」

無性に、想いを伝えたくて仕方がないと。

それはまるで、どこかで見たような。 ムードもへったくれもない、真っ直ぐすぎる告白で。 だけどナマエの心には、アスモデウスの想いが痛いくらいに伝わってくる。

ざわざわと騒がしくなる教室内。 だけどそんなもの構ってられないと、ナマエは彼の元へと駆け出していく。 そして…

勢いよく彼の胸の中へと、飛び込んだ。



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