手の平の上でコロコロと





「エイト先生の炎って、すっごく綺麗だよね」
「えっ?」

教師寮、訓練場にて。 鍛錬を行っていたイフリートに、それは唐突に告げられた。 そのあまりに予想外な言葉に、彼はポカンと口を開ける。 そんな彼の間抜けな表情にクスッと笑みを浮かべたあと、その発信源であるナマエは、更に言葉を続けた。

「ずっと思ってたんだけど、私… その紫の炎、好きなの」
「っ、」

"好きなの" その直接的な言葉に、イフリートの胸はドキッと音を立てる。 そしてその瞬間、手の平の上で揺らめく炎の温度はぐんっと急上昇。 慌てた彼は、これ以上温度が上がらないようにと、どうにか自分の感情を抑え込んだ。

ナマエとイフリート。 彼らは、職場の先輩後輩の関係だ。 イフリートがバビルスに新任としてやって来た時、ベテランの教育係とは別に、通常業務のいろはを教えてくれたのが、ナマエ。 歳もそれほど離れておらず、気さくな性格の彼女は、すぐにイフリートの心を掴んでいった。

その心は次第に、"尊敬する先輩" から "愛おしい女性" へと。 イフリートの感情が移り変わっていくのに、そう時間はかからなかった。

「ゆらゆら怪しく揺らめいたかと思えば、透き通るみたいにキラッと光ったり… そんな色んな表情を見せてくれるエイト先生の炎が、本当に大好きなの!」
「っ、あ、ありがとう、ございます…!」

憧れてやまないナマエから告げられたのは、今の今まで知らなかった彼女の胸の内。 自身の誇りでもある炎を、とても愛おしそうに好きだと言ってくれる彼女に、イフリートの胸はこれでもかと熱くなる。

更には "色んな表情を見せてくれる" という言葉。 それはこちらのセリフだと、イフリートは声高々にして叫びたい衝動に駆られるも、何とか抑え込む。

しっかり者のナマエが、時たま見せる抜けたところ。 サバサバした性格のくせに妙に照れ屋なところ。 実はオバケが大の苦手だというところ… 彼女の好きなところをあげだしたら、キリがない。 そんな彼女のコロコロと変わる表情や仕草に、イフリートはぞっこん。 まさに、メラメラならぬ、メロメロだった。

「それなのに、こんなに素敵で綺麗で貴重な炎を… ダリ先生たちってば、タバコの火なんかに使うんだもんなぁ…!」
「あはは… あのひとたちは遠慮を知りませんから…」

ちっとも怖くないナマエの怒り顔に、イフリートは性懲りも無く胸を高鳴らせる。 腰に手を当てぷりぷりと怒るナマエの仕草もまた、イフリートの心を掴んで離さなかった。

「エイト先生は、もっと怒っていいんですよ!」
「僕はナマエ先生がそこまで怒ってくれるなら、それだけで充分です」
「んもうっ! 甘いなぁ、エイト先生は…!」

何故か本人以上に、怒りを見せてくれるナマエ。 そんな彼女を見ていると本当にそれだけで充分だという気になってくるから不思議なものだ。 …そもそも、イフリートはそこまで本気で怒ってなどいないのだが。

「まぁ、でも…」
「…?」

イフリートの代わりに怒りを露わにしたナマエ。 もちろん彼女も、本気で怒ってなどいない。 しかし不満に思っていたのは事実。 胸に溜まったモヤモヤを吐き出したからか、その表情は少しスッキリしているように見えなくもない。 そんな彼女が、今度はポツリと呟いた。

何やら意味深に途切れる言葉。 イフリートは言葉の続きを待ちつつも、その視線はこっそりと彼女へと向けていて…

赤くぽってりとした唇。 きめ細かく美しい白い肌に影を落とす、長いまつ毛。 彼女の全身、どこを見たって愛おしさが込み上げてくるのだから困ったものである。

そうして、きゅんきゅんさせられっぱなしのイフリート。 今日も本当に可愛いなあ、なんて。 呑気に考えていた、そんな時。 途切れていた言葉が、ついに紡がれた。

「そんなふうに、甘くて優しいエイト先生のこと。 私、嫌いじゃないです」
「っ、なッ−−−!?!?」
「…なんちゃって?」

『そろそろ時間ですし、訓練場出ましょうか』 そう言って、何事もなかったように笑いながら帰り支度を始めるナマエ。 そんないつもと何ら変わりない彼女とは裏腹に、イフリートは驚き固まっている。 彼女から告げられた言葉のあまりの衝撃に、彼はその場から一歩も動けずいた。

「( 嫌いじゃ、ない…? それって、逆を言えば… 好きって、こと…? いや、それはさすがに、飛躍しすぎ…? でも…っ )」

脳内であれやこれやと思考を巡らせるイフリート。 ナマエからの何やら意味深なメッセージに、ドキドキと胸は高鳴るばかりだ。 考えれば考えるほど "もしかすると…" と、期待が膨らむ一方で。 イフリートはついに、決心する。

「っ、ナマエ先生…!」
「? はーい、どうしたの?」

鍛錬用のタオルや水筒を片付けるナマエに、イフリートは思い切って声を掛ける。 その声は少し上擦り、何とも情けないものだったが… ナマエはいつもと変わらない態度で返事をしてくれた。

名前を呼ばれ、振り返るナマエ。 そして、かち合う視線。 大きな瞳に見つめられ、イフリートの胸の鼓動は更にドキドキと加速する。

今の心地良い関係が壊れてしまうのが怖くて、中々一歩を踏み出すことが出来なかった。 だけど… ナマエがくれた言葉に背中を押されたような、そんな気がして。

「もし、ナマエ先生さえ良ければ、その…」
「? うん?」
「今度一緒に、食事でも…!」
「…!」

他の同僚たちを含んだ複数人での食事会は、もちろん経験済み。 しかし、ふたりきりで出掛けたことはただの一度もなかった。 ずっとこうして、自分から彼女を誘いたかったイフリート。 だけど、 "もし断られてしまったら?" "他の人も誘おうと言われたら?" そんな臆病な自分が、ひょっこりと顔を出し、ずっと言えずにいたのだが…

「それは… ふたりきりで、ってこと?」
「っ、…! はい…!」

念を押すように確認してくるナマエに、イフリートは覚悟を決める。 ハッキリと "はい" と答えたイフリートに対し、ナマエは少し驚きの表情を見せた。 そして…

「なぁんだ… 私、てっきりそういう対象じゃないのかと…」
「えっ…?」

小さな声で何かを呟く彼女に、イフリートは疑問を浮かべるけれど。 『ううん、こっちの話』 そう言って笑みを返す、ナマエ。 その姿はどこか色っぽく、イフリートは思わず見惚れてしまう。 そんな惚ける彼を見たナマエはクスッと笑いをこぼし、悪戯な笑みを浮かべながらイフリートに問い掛けた。

「予定は、いつにしよっか? なんなら私は今夜でも…」
「ッ、今日が、いいですっ!!!!」
「! …っ、ふっ、あははっ、すっごく良い返事!」
「っ、〜!!!」

ナマエからのまさかまさかの提案に、食い気味で返事をしてしまうイフリート。 そんな彼の必死な姿に、ナマエは面食らう。 しかしそれも束の間。 込み上げる笑いを堪えられなかったのか、嬉しそうに声を出して笑う彼女。 その笑顔の破壊力に、イフリートは思わず赤面する。

先程からコロコロと変わるナマエの表情や仕草に、やはりイフリートは振り回されっぱなし。 それが少し悔しい反面、こういうのも悪くない、なんて感じている自分に呆れてしまいそうになるけれど…

「ふっ、ふふ…っ! OK、りょーかい! 今夜ね。 それじゃあ…」

"楽しみにしてる"
すれ違い様に耳元で。 優しい声で囁かれ、体が一気に熱を帯びていく。 思わず炎を出してしまいそうなほどに高揚する胸をどうにか抑え込もうと、イフリートは咄嗟に俯いた。

そんな彼に気づいているのかいないのか。 ナマエはそのまま、鍛錬場を出ようと出口へと向かって行く。 少しずつ離れて行く彼女の背中を一瞥したあと、心を落ち着けようとイフリートは深く息を吐き出した。

「( っ、ほんと、とんでもない小悪魔だ… でも、ああいうところも、全部… ナマエ先生の魅りょ… ん? )」

ナマエの魅力を改めて実感した、イフリート。 心の中で彼女への溢れる想いを再確認していた彼だったが、彼の視線の先。 先に鍛錬場の出口に向かっていたナマエは、突然くるりと後ろを振り返る。 そして…

「( ま た あ と で )」
「っ、ッ−−−−!!!!!」

口をぱくぱくと動かして、何かを伝えようとするナマエ。 その口元をジッと見つめたイフリートは、その声のない言葉の意味を瞬時に理解する。 そして理解したその瞬間、一体何度目なのか… ドキンと激しく音を刻む心臓。 愛おしくて仕方ない感情が、一気に彼の心の中を埋め尽くした。

本当に、狙っているのかいないのか… それはナマエのみぞ知る事実である。 しかし彼女の愛らしさを前にすれば、そんなものは些細なことだと、イフリートはまたナマエにのめり込んでいく。 彼女になら手の平の上で転がされても構わないと、心底そう思う、イフリートなのだった。




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