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「ナマエ、先生?」
「あ、エイト先生。 お疲れ様です」

バビルス校内に設置してある喫煙所。 残業で疲れた体を癒すため、ヘビースモーカーであるイフリートはタバコを口に咥えながらその扉を開けた。 しかしそこには先客が。 それは同じくバビルスの教師である、ナマエ。 笑顔を浮かべながら、ひらひらと手を振る彼女。 その反対側の手には、タバコを1本、携えている。

予想外の人物に、イフリートは思わずぽかんと口を開けた。 咥えたタバコがぽとりと床に落ちるけれど、今はそれどころではない。

「…落ちましたよ?」
「えっ? あっ、すみません… ちょっと、驚いちゃって…」

暫し、動きを止めていた彼だったが、ナマエからの問い掛けにハッと我に返る。 床に落ちたタバコを拾い上げ、火をつけると、ふぅ、と一服。 吸い込んだ。

イフリートが驚いた理由ワケ。 それはナマエがタバコを吸うとは思わなかった、というのももちろんあるが、それだけではない。

「ふふっ。 エイト先生のそんなに驚いた顔、初めて見ました。 レアな表情を見れて、ラッキーです」
「っ、」

ナマエは嬉しそうにくしゃりと笑う。 その屈託のない笑顔に、イフリートの胸はドキッと激しく音を立てた。

もうお気づきかと思うが、この男。 ナマエに絶賛片想い中である。 彼があんなにも驚いた理由… それは、ナマエが彼の "意中の相手" だということが、大半を占めていた。

「…ナマエ先生も、タバコ吸うんですね」
「ライトスモーカーですけどね。 …最近忙しいから、ちょっと我慢出来なくなっちゃって」

そう言って、あははと少し照れ臭そうに笑うナマエの表情に、イフリートは性懲りも無く胸を熱くさせる。 こんな表情もするんだなぁ、なんて、彼女の知らない表情を見れた幸せに浸りながらも、返す言葉を必死に頭の中で考えた。

「分かります… 疲れた時ほど吸いたくなりますよね」
「ふふっ。 エイト先生はいつでも吸ってるじゃないですか」
「あはは、バレました?」

こんな風に軽口を言い合えるのが、心地よくて。 これぞ喫煙所マジック。 喫煙者で良かったと、今日ほど思ったことはない。 心なしか、タバコの味もいつもより美味しく感じられて、イフリートの胸は、ほくほくと温かい気持ちでいっぱいになっていく。

「銘柄は、こだわりとかあります?」
「う〜ん、特にはないですけど… 私はメンソールの方が吸いやすいかなぁ」
「後味スッキリしますもんね」

もう少し、このまま話を続けたくて。 イフリートは当たり障りのない話題を振ってみる。 そんな彼の問い掛けに、少し頭を悩ませながらも、あっさりと答えるナマエ。 会話が終わってしまう… そう思ったイフリートだったが…

「エイト先生は、こだわりはあるんですか?」
「僕はいつも "コレ" かな」
「うわぁ… それめちゃくちゃ濃いやつですよね?」
「吸った後の満足感が違うんだよねぇ」

今度はナマエから、同じ問い掛けが。 彼女からの質問に、イフリートは自身の指に挟まれているタバコを持ち上げた。 シガレットペーパーで巻かれた、細長いコイツ。 毎日何本ものタバコを吸うイフリートにとって、もはや相棒と言っても過言ではない。

そんな雑談とも言える会話のあと。 ふたりの間には沈黙が訪れた。 元々、ただの同僚。 イフリートが一方的に想っているだけで、ふたりの間には特段、何かがある訳でもない。 気まずいわけではないが、もどかしい。 ふたりきりになれた今、チャンスだというのに、イフリートの口はタバコを吸っては吐いてを繰り返すばかり。 やり手に見えてこの男、実はかなりの奥手なのである。

「もし…」
「うん?」

ふいに、ナマエがポツリと呟く。 決して大きな声ではなかったが、イフリートの耳にはしっかりと届いていた。 途切れた言葉の先を促すように、イフリートも短く言葉を返す。 ちらりと見たナマエの表情は、いつもと何ら変わりはない。

「今、キスしたら… どんな味がするんですかね?」
「……………………は?」

…何ら変わりはないはずなのだが。 ナマエが発した言葉は、見事イフリートの頭を真っ白に染め上げた。 たっぷりの間を置いて、やっと絞り出した言葉は、たったの一文字。 そんなイフリートの反応にも顔色を変えることなく、ナマエは話の続きを淡々と進めていく。

「友人が言ってたんです。 喫煙者とのキスって、すっごく記憶に残る、って。 匂いが頭の中に刻まれて、忘れにくくなるそうですよ」
「そう、なんだ…」

本当に、他意はないのだろう。 浮かんだ疑問をそのまま口に出しただけ。 ナマエにとっては深い意味のない、ただの雑談に過ぎなかった。 しかし、彼は違う。 意中の相手ナマエの口から発せられた "キス" と言う言葉。 その上、誘っていると思われても仕方ないような物言いに、イフリートの胸はバクバクと鼓動を刻む。 一か八か。 ここは勝負に出るべきか。 揺れる心。 彼が選んだ答えは…

「……試してみる?」
「えっ、?」

彼の答えは "いち" 。 ナマエが賭けに乗ってくれることに期待して、イフリートは大勝負に出た。 予期せぬイフリートからの言葉に、目をぱちくりとさせるナマエ。 ここまで来たら引き返すことなど出来ないと、イフリートは開き直る。 ソッとナマエの頬に手を添えて、甘い声で囁いた。

「喫煙者同士のキスの味、知りたいんでしょう?」
「…もしかしてエイト先生って、こういうことに慣れてます?」

今の今まで、ナマエのイフリートに対するイメージは、"真面目な青年" というものだった。 しかし、流れるように頬に手を添える彼に、つい訝しげな眼差しを向けてしまう。 この男、女慣れしている… そう、思ったのだが。

「まさか。 …ナマエ先生にしか、こんなことしませんよ」
「…あんまりかっこいいこと言わないでください。 ……ちょっと、ドキッとしちゃったじゃないですか」
「っ、…!」

イフリートの真剣な瞳に、ナマエの胸はドキッと跳ねあがる。 彼がどこまで本気なのかは定かではないけれど、ナマエの心は確実に少しずつ、イフリートへと傾いていて。

ナマエはイフリートと "キスをしたい" と、そう思ってしまった。

「っ、んっ…」
「ん…っ」

そしてそれは、イフリートも同じ。 可愛らしい反応を見せるナマエに、我慢など出来るはずもない。 ナマエの頬を両手で優しく包むと、そのまま唇を重ねる。

想像よりも遥かに柔らかいナマエの唇。 その感触に、イフリートの胸は昂るばかりだ。 最初は重ねるだけのキス。 しかしそれは徐々に激しいものへと変わっていく。

舌をねじ込み絡ませたその瞬間、ミントの爽やかな香りが、イフリートの舌を刺激した。

「…んっ、はぁ…っ」
「っ、どうです? 記憶には、残りそうですか?」

たっぷりとナマエとのキスを堪能したあと、イフリートは彼女に問い掛ける。 このキスをすることになったきっかけ。 喫煙者同士のキスの味は、ナマエのお眼鏡にかなったのか。

「…確かに、すっごく苦くて、記憶には残りそうです」
「……」

それは喜んでいいものなのか…? イフリートの頭に、そんな言葉が浮かんでくる。 例え記憶に残ったとして、ナマエが自分に抱く感情が変わらなければ意味がない。 イフリートは彼女の言葉を聞いて、沈黙、落胆する。 しかし、彼女の言葉には続きがあって…

「…でも、」

"嫌いじゃないです"

そう言って、頬を赤らめるナマエの姿に、湧き上がるのは熱い熱い、恋慕の情。 愛おしくて堪らない気持ちがイフリートの胸を締め付ける。

そんな想いをぶつけるかのように、イフリートはもういちど。 彼女の唇を奪った。



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