押してダメなら





「カルエゴせーんせっ!」

悪魔学校バビルス、放課後の職員室。 自身のデスクに向き合い書類を整理するカルエゴの元にやって来たのは、ひとりの女生徒。 可愛らしく横からカルエゴを覗き込み、愛らしい笑顔を見せる彼女はナマエ。 今年入学してきたばかりの、ひよっこ一年生だ。

そんな彼女を視界に入れたカルエゴは、ハァと大きなため息をひとつ。 そして心底うんざりとした表情で、その口を開いた。

「何の用だ。 …回答次第では、お前を粛清せねばならんが」
「可愛い生徒にそんな怖いこと言わないでくださいよ〜! 私はただ、先生に会いに来ただけなのに!」
「その答えは即粛清対象だな。 痛い目を見たくなかったら、さっさと帰れ。 仕事の邪魔だ」
「んんん、辛辣…っ!」

『でもそんなところがまたイイ…!』 そう言って、きゃあきゃあと騒ぐ彼女。 これ以上、このような子供ガキに構っている暇はない。 彼女を冷めた目で一瞥すると、カルエゴはすぐさまデスクへと向き直った。

自分のような愛想の無い男のどこが良いと言うのか。 毎日毎日飽きもせず、自分に会いに来る目の前の彼女に、カルエゴは内心そんなことを思う。 担任でもない。 担当した授業も片手で数えられる程度。 最近まで話したこともなかった彼女が、自分にここまで熱を上げる理由が、カルエゴには皆目見当もつかなかった。

「それでは! 私はこれで失礼します!」
「…本当に、何も用が無かったのか?」
「はい! 本当にただ先生に会いに来ただけですから!」
「……やはり本物の馬鹿だな、貴様は」

自分に会うためだけに。 その考えに1ミリも共感できないカルエゴは眉間に皺を寄せ、まるで珍獣でも見るかのような眼差しで、ナマエに視線を向ける。 そんな彼の素っ気なさすぎる反応が可笑しくて、ナマエはあははと声をあげて笑った。

「馬鹿で結構です! カルエゴ先生を一目見れただけで私は満足ですから! …今日も素敵な仏頂面、ご馳走様です!」
「余計な言い回しをするな! 話がややこしくなる!」
「あはは、ごめんなさーい」

ここは職員室。 周りには何人もの教師たちが自分たちの様子をこっそりと窺っているというのに。 誤解を招くようなことがあっては面倒だと、カルエゴはズバッとナマエに言い放った。 しかしそんなカルエゴもなんのその。 ナマエは呑気に笑いながら、職員室の出入り口へと向かっていく。

「カルエゴ先生! さようなら!」

扉を出る直前、カルエゴに別れの挨拶を告げながら、今日1番の笑顔を振りまくナマエ。 何がそんなに嬉しいのか、ぶんぶんと手を振り去って行く彼女を、カルエゴは相変わらずの仏頂面で見届ける。

「いやぁ、可愛らしいですね、彼女」
「……ただの阿保ですよ」

ほら来た、と。 カルエゴは内心、辟易とした。 先程までのカルエゴとナマエのやり取りをこっそり見ていたひとり。 カルエゴのすぐ後ろにあるデスクから、スッとダリが近づき声を掛けてくる。 一応上司である彼を無視することはカルエゴとしても本意ではない。 嫌々ながらも返事を返せば、返ってきたのは、あははと楽しそうな笑い声だった。

「カルエゴ先生も、満更じゃなかったりして?」
「…それ以上、馬鹿なことを言うなら、その首噛みちぎりますよ」
「おぉー、怖い怖い!」

わざとらしく怖がる素振そぶりを見せるダリに、苛立ちが込み上げるカルエゴだったが、何とか抑え込む。 …あのような子供相手に本気になるなどあり得ない。 カルエゴはダリの言葉を胸の中で一蹴した。

「何にせよ、彼女も大事な生徒です。 …深く傷つけることだけはしないでくださいね」
「…善処します」

ダリの言葉に、カルエゴは渋々ながらも頷いた。 確かに彼の言う通り。 どれだけ鬱陶しくても、生徒は生徒。 自分が守るべき存在なのだ。 例え彼女の気持ちに応えられなくとも、教師である自分には彼女を守る義務と責任がある。

「あんまりツンツンしてると、愛想尽かされちゃいますよ〜? たまには飴をあげてはどうです?」
「…ふん。 私がそんな生ぬるい事をするとお思いですか。 相手が誰であろうと厳粛に公正に、対応するまでです」
「ふ〜ん。 相変わらず、お堅いなあ〜 カルエゴ先生は」

カルエゴの反応がいつもと変わらないことに興味が薄れたのか、ダリは自分のデスクへと戻っていく。 やっと邪魔者が居なくなったと清々したカルエゴは、すぐに書類整理の続きに取り掛かった。




「いやぁ〜 すっかり来なくなっちゃいましたね。 彼女」
「くだらない事で口を動かしてる暇があるなら、手を動かしてください」

師団バトラの活動が耳に心地よい、放課後の時間。 相変わらず、デスクに向かい作業をするのはカルエゴとダリ。 黙々とお互いに作業を続けていたが、徐にダリが口を開き始める。 その内容を耳にしたカルエゴは、ピシャリとダリの言葉を一刀両断。 雑談をしている暇はないと、話の腰をへし折った。

ナマエが職員室に顔を見せなくなってから、すでに2週間が経とうとしていた。 元より、彼女の担任でもなく、彼女の授業の担当を持っていないカルエゴが、校内でナマエに会う確率は極めて低い。 それでも毎日顔を合わせて会話ができていたのは、彼女が足繁く、職員室に通っていたからだ。

「そんなこと言って、実は気になってるんじゃないですか? 彼女こと」
「…そんなわけ、ないでしょう」
「( おっと…? この反応は… )」

それは、なんだかんだと長い付き合いであるダリにしか分からないほどの、小さな小さな変化。 まさかカルエゴがこのような反応を見せるとは思いもよらず、ダリは内心、面食らう。

毎日鬱陶しいほどに、カルエゴに会いに来ていたナマエ。 その行為がパタリとやんだことを、カルエゴが気にしなかったといえば、嘘になる。 初めは気にも留めなかった。 来ていないことにも気づかなかった程だ。 だけど、3日目を過ぎた頃。 ふいに、ナマエを思い出すようになった。

『カルエゴ先生!』と何がそんなに嬉しいのか笑顔で自身を呼ぶ柔らかい声。 ひょっこりと顔を覗き込み、目が合えば嬉しそうに目を細めるあの仕草。 ふとした瞬間に、そんな彼女のことを思い出している自分がいる。 そんな状況がかれこれ1週間以上続いていて、それがカルエゴには何ともむず痒く、居心地が悪くて仕方がない。

「…さっさと終わらせますよ。 ただでさえ忙しいのに、あなたの無駄話に付き合うなんて真似したくないので」
「ほっんと、辛辣だなぁ〜! …まぁでも、確かに。 今日は早く終わらせたほうがいいかもしれないですね」
「は?」

今の今まで無駄話を叩いていたダリの、手のひらを返す発言に、カルエゴは思わず呆気に取られる。 これだからこのひとの言うことは、信用ならない… 内心、ハァとため息を吐き、自分はさっさと作業に戻ろうとした、その時だった。

「職員室の扉、見てください」
「? …っ、!」

ダリに言われ、反射的に視線を扉へと向ける。 そんなカルエゴの視界に入ったのは、つい先程まで、思い出していたナマエの姿。

「いやぁ〜 タイミング良いですね、彼女。 もしかして狙ってやってる…?」
「…ふん、だとしたらとんだ性悪女ですよ」

相変わらずの仏頂面。 不機嫌を隠そうともせず、眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように呟くカルエゴ。 しかし、その口元は、いつもよりほんの少し。 緩められていて。

「カルエゴ先生にそんな顔させるなんて… やるなぁ、ナマエちゃん」
「…余計なこと言うと、本当に首を噛みちぎりますからね」

そう言って、カルエゴはデスクチェアから腰を上げる。 そんな彼の背中を見つめるダリ。 カルエゴの向かう先。 そこには顔を真っ赤にして、今にも泣き出しそうな、それでいて心底嬉しそうに笑う、ナマエの姿が見える。

「( やれやれ。 一体、どんな表情してるのやら… )」

きっと、ナマエだけにしか引き出せない表情をしてるのだろう。 覗くなんて野暮な真似はできないなと、ダリは諦めて自身のデスクへと向き直る。 その直後、わんわんと泣き出すナマエの声が職員室に響いたのだった。




「それにしても、どうして職員室に来なくなったんだい?」
「えっと、それは…」
「…何だ。 ハッキリしろ」
「…押してダメなら引いてみろって、よく言うじゃないですか」
「っ、ぶっ、っくっ、あははっ! これは一本取られましたね! カルエゴ先生!」
「………とんだ性悪女だったか」
「えっ? えっ?」



短編一覧へ戻る




- ナノ -