恋と愛





恋と愛は違う、なんて。 いつか見たドラマで聞いたセリフに、そんなの似たようなものだろうと、心の中で一蹴していたことを思い出す。 …あの頃の私は、何も分かっていなかった。

「私と別れて、レオ」
「………………………え?」

唐突に切り出された別れ。 彼女が放った言葉の意味を理解したその瞬間。 どくん、と心臓が嫌な音を立て始めた。

「…歯ブラシとか食器とか、レオの部屋に置いてある私の物は全部捨ててくれていいから、」
「っ…どうしてっ!!」

ダンッとテーブルを叩き立ち上がる私と、ただ黙って手元を見つめ続けるナマエ。 交わらない視線が、今の私たちの関係を表しているようで… 言葉では言い表せない感情が、じわりじわりと、私の胸を蝕んでいく。

「……私もう、疲れちゃった」
「、っ」
「もう何年も。 レオの恋人として過ごしてきたけど、」

そこで途切れる言葉。 目を伏せるナマエの表情からは、何の感情も読み取れない。 私はそんなナマエを目の前にして、何も言葉が出なかった。

「………『今のあなた』 を黙って見ていられるほど、私もお人好しじゃないの」
「っ、!」

『今のあなた』 その言葉が示す意味。 それが分からないほど、馬鹿ではない。 だけど、ずっと気づかないフリをしていた。 決して逃れようのない、避け続けていた現実が、今。 私の目の前まで迫ってきている。

「自分でも、分かってるでしょ?」
「っちが、う…! 私は…っ!」
「…何も違わないよ。 姫を見る、あなたの目。 …あれは、恋をしている目だわ」
「っ、」

正面から現実を突きつけられるけれど、私は思わず目を背ける。 認めたくなかった。 認めてしまえば、何もかもが変わってしまう。 そんな確信が、あったからだ。

「…昔、私たちがお互いに向けていた視線と全く同じ。 目が合うだけで嬉しくなったり、切なくなったり… 感情が大きく揺れ動くような、そんな熱を孕んだ視線…」
「…っ、」

黙り込む私に構うことなく、ナマエは口を開き続ける。 その声は心無しか震えているような、そんな気がして… グッと拳を握り、唇を噛み締める。 私はずっと、彼女を… 大切な恋人のナマエを、どれだけ苦しめていたのか…

「ねぇ、レオ。 …私のこと、好き?」
「っ、好きに決まってるだろう…っ! 君のことはっ、ずっと、ずっと、大好きで、大切で…っ」

突然の問い掛けに、反射的に言葉を返す。 これは紛れもない私の本心で。 ナマエを嫌いになったわけでも、ナマエに不満があったわけでもない。 そう伝えたくて、咄嗟に顔を上げる。 だけど、私の目に映った彼女の表情笑顔は、今まで見たことのないほどに、酷く辛そうに歪められていて。 愚かにも、そこで私は初めて、自分が犯した過ちの重さに気がついたのだ。

「…うん。 …うん、そうだね。 ずっと、大切にしてもらっていたわ。 私も、そう思う…っ」
「ッ、ナマエ…っ、ごめんっ、ごめん…っ 私は…っ」
「一時の気の迷いであって、って… 何度も、そう願ったの」
「っ…!」

そこで初めて、ナマエの瞳から涙が溢れる。 ツーっと一筋。 キラキラと反射する涙が、頬を伝い、顎へと流れ落ちていく光景が、場違いにも見惚れてしまうほど美しくて… 私はただ見守ることしか出来ない。 その、たった一筋。 ナマエの瞳から、それ以上、涙が溢れることはなかった。

「…だけど、違った。 すぐに分かった。 …あなたが、あの子に本気だって、こと」
「っ、ナマエ…っ、わたしは…っ!」
「…ふふっ、皮肉なものよね。 あなたのことを知りすぎているせいで、気がつかなくてもいいことに気づいちゃうんだもの」

そう言って力無く笑う姿に、胸がギュッと締め付けられる。 だけど、先程までの悲痛に歪められた表情は形を潜めていて。 どこか吹っ切れたような、そんな雰囲気が感じ取れる。 …嫌だ、離れたくない。 私は、まだ…っ!

「ナマエっ、」
「ばいばい、レオ。 … "大好きだった" よ」
「…っ、待って…っ! ナマエ…っ!!!」

『今まで、ありがとう』 そう言って去って行くナマエの背中がどんどん離れて行く。 追いかけたいのに、私の足はそこに根付いたかのように一歩も動くことは出来なかった。 ぐにゃりとナマエの背中が歪む。 そこで初めて、自分が泣いていることに気がついた。

「( あぁ… そうだ、私は… 私は、ナマエのことを、)」

" 愛して " いるのだ。 恋とは、違う。 何よりも、他の誰よりも、大切な人。 それなのに、私は…っ!

『レオ』
『お疲れ様、レオ』
『いつもありがとう、レオ』
『腰大丈夫? マッサージしてあげよっか?』
『私、レオの炊き込みご飯が1番好きよ?』

柔らかな笑みで。 優しい声で。 いつも私を包み込んでくれていた。 あの木漏れ日のようなぬくもりを、どうして、裏切り、手放してしまったのか。

「っ、ナマエ…っ! ナマエ…っ」

ガクッと膝から崩れ落ち、次から次へと溢れてくる涙を乱暴に拭う。 嗚咽を漏らしながら、何度もナマエの名前を呼ぶけれど、何もかも、もう遅い。

しんと静まり返る部屋に散りばめられた、ナマエとの思い出たち。 写真立て、歯ブラシ、マグカップ… その全てが私を嘲笑うかのように、ひっそりと佇んでいた。


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