君はだれのもの?





※このお話は、あくましゅうどうしさんがお相手ですが、視点は魔王城で働くモブ魔物さんとなります。



「なぁ、聞いたかあの噂」
「噂?」

ガヤガヤと騒がしい昼時の食堂。 いつもならその喧騒に掻き消されないように、ハキハキと声を出して会話をするものなのだが… 向かいに座る同僚は、コソコソと意味深に俺に呟きかける。 こいつの言う 『噂』 とやらに全く覚えが無い俺は、一体なんのことだと首を傾げた。 そんな俺を見て、ふぅとひとつ深呼吸したあと、突然、目の前のコイツは何故かグイッと俺の耳元へ口を寄せて来る。

「…ナマエさんに、恋人が出来たらしい」
「はぁ!?!?」

『ナマエさんに恋人が出来た』
唐突に掛けられたその言葉のあまりの衝撃に、俺は思わず大声で叫んでしまう。 何事だとこちらに視線を寄せて来る周りの奴らに、俺たちは咄嗟に何でもないと笑顔で誤魔化す。 そんな俺たちを怪しみつつも、彼らが食事を再開したのを確認したところで、ふたり同時にホッと息を吐き出した。

「声でけえよ、バカ…!」
「わ、悪ぃ…っ! つい…」
「…まぁ、叫びたくなる気持ちも分かるけどよ」
「…マジ、なんだよな?」
「……あぁ、マジらしい」

こくりと頷く同僚を見た瞬間、俺を襲ったのは大きな喪失感。 体中のやる気をごそっと奪われた感覚に、思わずガクッと項垂れる。 机に置かれたラーメンから湯気が昇るのをボーッと見つめながら、俺は放心状態。 …熱々のラーメンが冷めるって? そんなこと、今はどうでもいい。 ナマエさんに恋人……… 考えただけで、胸がめちゃくちゃに締め付けられる。 チラリと目の前の同僚に視線を向ければ、奴も同様らしく。 分かりやすくずーんと落ち込んでいた。

先程から何度も名前が出ている 『ナマエ』 という人物。 勘違いされては困るので先に言っておくが、決して俺たちは彼女を "恋愛対象" として見ている訳ではない。 ならば何故、こんなにも落ち込んでいるのか。 その理由は…

「あぁ…… 俺たちの、癒やしが…」
「……これから、何を糧に頑張ればいいのか」

そう。 彼女は言わば、俺たちの "推し" 。 魔王城で働く者にとっての、アイドル的存在なのである。

誰にでも分け隔てなく接してくれる優しさ。 辛い仕事も弱音を吐かずやり遂げる、責任感の強さ。 疲れた心に響く、穏やかな優しい笑顔。 彼女の良い所を上げ出したらキリがないが、こういったところに皆が癒やされ、気づけば "ひとりのファン" として彼女の虜になってしまうのである。 …もちろん、彼女とどうこうなりたい、という輩も少なくは無い。 しかし彼女はそういった恋や愛だのにあまり興味が無いらしく、無謀にも想いを告げた野郎共は悉く砕け散り… いつからか彼女は "みんなのアイドル" という位置付けになってしまっていたのだ。

そんな経緯があるにも関わらず、どうして今になって "恋人" という存在が現れてしまったのか… それがどうしても腑に落ちない。 もちろん、これが俺たちの勝手な考えだと言うことは分かっている。 彼女もひとりの魔物だ。 こちらが勝手に "推し" だなんだと騒いでいるが、完全に非公式な存在。 そう、彼女はただの一般人。 いずれ恋人が出来て、結婚して、子供が生まれて、幸せな生活を………

「って、そんなの辛すぎんだろぉ…!」
「……お前が何を考えていたか分かってしまうのが辛いところだぜ」
「…っ、くそ…っ! 相手は一体誰なんだよっ?」
「………それが、分からないんだ」
「なっ…!」

ここまできて、それはないだろう…! と、やり場のない気持ちがモヤモヤと心に広がっていく。 そんな俺の気持ちを察してくれたのか、同僚は 『分かる…っ 分かるぜ…!』 と俺に同調。 そして、噂の詳細を話してくれた。

「噂の内容は 『昨夜、ナマエさんが誰もいない広場で通信玉を使って誰かと連絡を取っているところを見た』 というものなんだが…」
「だが…?」
「………その会話内容が、聞いてるこっちが恥ずかしくなるような、とんでもなく甘いものだったらしい」
「……………まじか」
「『早く会いたい』 『さみしい』 『帰ったら、1番に会いに来て』 『部屋で待ってる』 『沢山キス「うわああああ! やめろ!! それ以上は聞きたくねぇ…っ!!!」

次々に放たれる言葉のナイフが俺の心をズタズタに切り裂いていく。 想像したくもなかった真実に、俺の心は悲鳴を上げた。

「…とまぁ、これが噂の中身ってこった。 その現場を見てた奴の話によると、ナマエさんは背を向けていて、通信玉の画面が見えなかったらしく、相手が誰なのか全く分からなかったみたいだ」
「……俺はそいつの精神状態が心配だよ」

その現場に居合わせてしまった運の悪い人物に 『ご愁傷様…』 と心の中で呟く。 間接的に聞いた俺でさえこのダメージなのだ。 彼女の声でそんな甘いセリフを、しかもどこの誰かも分からない相手に囁いているところを、直接聞いてしまったとしたら… 俺は発狂していたかもしれない。
くそ…! あのナマエさんにそこまで言わせる男がいるなんて… と、そこではたと気づく。 今の話から察するに、相手の男って…

「お、おい、今の話が本当ならよ、」
「ん?」
「…相手の男は 『昨日、魔王城に居なかった』 ってことだよな?」
「!」
「『部屋で待ってる』 とか 『帰ったら1番に』 とか… その言葉からしても、普段は魔王城で暮らしてる誰かってことじゃねぇの…?」
「……確かに、そうだな。 …あまりのショックにそこまで頭が回らなかったぜ」

盲点だった… と項垂れる同僚。 俺も偶然気付いただけなので、偉そうなことは言えないが…

「…昨日、出張していた男を調べれば、」
「ナマエさんの恋人が誰か、分かる… かも」
「「………」」

お互いに目を合わせての沈黙。 どエラいことに気づいちまったとでも言うように、俺たちの間には未だかつてないほどの緊張感が漂っている。 …まずはどこから探りを入れようか。 そう口にしようとした、その時。

「…あくましゅうどうしさまっ」
「「…っ、」」

俺たちの耳に飛び込んできた、鈴のような声。 俺たちが、この声を聞き間違えるわけがない。 今の今まで話題に上がっていた、張本人。 ナマエさんの声が、すぐ近くから聞こえてきた。

「やぁ、ナマエちゃん。 お疲れ様」
「あの、ランチ… ご一緒しても、いいですか?」
「もちろんだよ! それじゃあ… ちょうどそこのホリ=ゴ・ターツが空いてるし、ここにしようか?」
「はいっ!」

どうやら彼女は直属の上司である、あくましゅうどうし様と、俺たちの隣のホリ=ゴ・ターツに座ったようだ。 何も悪いことなどしていないのに、息を潜めるようにして黙り込む俺たち。 衝立を挟んで向こう側に、ナマエさんがいる… そう思うと何故か緊張してしまって、そわそわと落ち着かない。 チラリと同僚に視線を向ければ、奴も俺と同じく落ち着かないのか、水の入ったコップをギュッと握りしめていた。

「ナマエちゃんは、今日は日替わりランチかい?」
「はい! ハンバーグが美味しそうだったので! あくましゅうどうしさまは…」
「私はサバの味噌煮定食にしたよ。 …あはは、年寄りくさかったかな?」
「そんなことないですよ! サバの味噌煮、美味しいですよね!」

盗み聞きは良くないと思いつつ… 隣の会話につい、聞き耳を立ててしまう。 昨日の噂の手掛かりはないかと、注意深く聞いていた俺たちだったが、これといった情報のない世間話が続く。 これは何のヒントも得られそうにないな… と、少し体の力を抜いた。 …その時だった。

「やっぱり、食堂のごはんは美味しいなぁ」
「あくましゅうどうしさま、昨日まで出張でしたもんね…」
「「………えっ?」」

まさかの、タイミングだった。 普段なら聞き流すような、日常的な会話。 だけど今の俺たちには、衝撃以外の何物でもない言葉が、そこには混じっていて。 思わず 『えっ』 と、声が漏れてしまったが、幸いにも。 その声が隣の彼らに届くことはなかった。

「お疲れじゃないですか? …無理しないでくださいね?」
「ふふ。 お気遣いありがとう、ナマエちゃん」
「っ… そ、そんな、部下として! 当然です…っ」

『噂』 の前情報が無ければ… 何の違和感も抱く事なく、隣の会話を聞いていたことだろう。 『上司まで気遣って… なんて優しい子なんだ…!』 と感動すらしていたに違いない。 だけど、今は… 『噂』 の内容が頭をよぎり、俺の中で疑惑が生まれている。 ナマエさんの通話の相手。 そいつは昨日、魔王城にいなかった。 …そう、今彼女と話している、 "あくましゅうどうし様" と同じように。

「確かに出張の疲れはあったけど…」
「? …けど?」
「……1番に君に会えたから。 お出迎え、嬉しかったよ」
「っッ〜〜!!!」
「「………………」」

そこで俺たちは確信した。 彼女の恋人が誰であるのかを。 これ以上、彼女たちの会話を聞く気にもなれず、俺は冷めて伸びきったラーメンをズズッと一気に吸い込んだ。 同僚も同じく、食べかけだったカレーをガツガツと口に放り込んでいる。

「……いくか」
「…おう」

空になった食器をトレーに乗せて、俺たちはホリ=ゴ・ターツを出る。 隣の席を通り過ぎる瞬間、チラリと見たナマエさんの表情は、誰が見ても、恋する乙女そのもので。

「ちくしょー……今夜は、ヤケ酒だっ!!!」
「…俺も付き合うぜ」

彼女のあんな顔を見てしまっては、文句を言うのも憚れた。 だけど、心に負った傷が、完全に無くなるわけもなく。 この大きな喪失感を埋めるには、少し時間がかかりそうだけど… ヤケ酒に付き合ってくれると言う同僚の優しさに感謝しながら、俺は仕事に向かうのだった。


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