余裕などありゃしない



「あ、あの… この状況は一体…?」
「……」

すっかり日も暮れた、放課後の時間。 人気ひとけのない廊下の片隅で、向かい合うふたりの男女の姿があった。

女−− ナマエの背中には、壁。 彼女の目の前には何故か不機嫌な表情を浮かべる、職場の同僚且つ、恋人であるカルエゴ。 そんな通常ではあり得ない状況に、ナマエの顔には困惑の表情が浮かび上がる。

「か、カルエゴ先生…?」
「……誰だ」
「え?」

ジッと見つめてくる双眼に、居心地は悪くなる一方で。 ナマエは戸惑いながらも目の前の彼の名を呼ぶ。 すると返ってきたのは "誰だ" という、そのたったひと言。

その突拍子の無さすぎる言葉に、ナマエは目が点。 一体彼が何を伝えたいのか、理解出来なくて。 ナマエの口からは間抜けな声が飛び出してしまった。

そんな彼女の反応が気に食わなかったのか。 カルエゴの眉間には、更にこれでもかと深い皺が寄っていく。

「…昨日、一緒にいた男は誰だ」
「き、昨日…?」

昨日。 そう言われて、ナマエは休日であった昨日の出来事を思い返してみる。

カルエゴには他に予定があるとのことで、昨日はひとりショッピングへと赴いていた。 以前から気になっていたショップを巡ってみたり、新しくオープンしたカフェへと足を運んでみたり。

その全てが、ひとりきりの時間であったはず。 いくら思い返してみても "一緒にいた男" という存在など思い当たらない。

「人違いじゃ…?」
「…新しく出来たカフェの前で、男とふたりで話し込んでいただろう」
「カフェの前……? あ、」

そこでようやく。 彼が見たと言う男性が何者なのかを、ナマエは理解した。 そして、その直後。 思わず、ふふふと笑いが込み上げる。

「ふっ、ふふっ…」
「…何を笑っている」

くすくすと可愛らしく笑うナマエ姿に、ほんの一瞬。 面食らい表情を和らげるカルエゴだったが、すぐにまた眉間の皺は逆戻り。 彼女が笑っている理由が自分にはてんで想像も出来なくて、イライラは募るばかりだ。 しかし。

「ふふっ、ごめんなさい。 あれはただ道を聞かれていただけですよ」
「…は?」

彼女の口から発せられた真実に、カルエゴはまたしても面食らう。 ぽかんと間抜けにも口を開けながら、固まる様子を見せる彼に、ナマエはもう一度柔らかく。 ふふと笑みを浮かべる。

「カルエゴ先生って、意外と可愛いところあるんですね」
「っ、! …ニヤニヤするな、馬鹿者」

自分の勘違いに気がついた彼の頬は、ほんのりと。 赤く染まっていて。 いつものような大人の余裕などありゃしない。

だけどそれがどうしようもなく。 愛おしくて堪らない、ナマエなのだった。



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