おかえり、ただいま。 / トン吉様リクエスト



「あれ? カルエゴ先生、もうお帰りですか?」

悪魔学校バビルス放課後の職員室にて。

授業も雑務も全て。 自身がすべき業務をさっさと終わらせたカルエゴが帰り支度を始めていた、その時。 教師統括であるダリが、わざとらしくカルエゴに問い掛ける。

カルエゴがいそいそと帰り支度をする理由にもおおよそ見当のついているダリだったが、まさにそこが彼の悪魔らしいところ。

少しからかってやろうと口にした言葉だったが、カルエゴは意外にも。 すんなりとその理由ワケを話してくれた。

「"妻" が待っていますので」
「…! そ、そうですか… それはそれは、お熱いことで…」

面食らったダリの顔を見て溜飲が下がったのか、カルエゴはニヤリと口角を上げるとそのまま職員室を後にする。

そんな彼の後ろ姿を見つめる、ダリ。 カルエゴのあまりの変容ぶりに、彼は思わずポツリと呟いた。

「まさかあのカルエゴ先生が、"愛妻家" になるなんてねぇ」
「ダリ先生も人が悪いですよ… カルエゴ先生が早く帰りたい理由にも気づいてたくせに…」
「いやぁ。 だって、ねぇ…? あんなに嬉しそうにしてたら、からかってやりたくもなるじゃないですか」

そう言って、ダリはあははと軽い調子で笑い声をあげる。 そんな彼に呆れつつも、マルバスは確かになと、先程のカルエゴの様子を思い浮かべた。

"妻が待っていますので"
その言葉通り、カルエゴには自分の帰りを待つ、妻がいる。 それもつい最近、結婚をしたばかりの新妻だ。

いつもこれでもかと寄っている眉間の皺は、随分と和らいでいたように思う。 カバンに荷物を詰め込んでいる姿は、まるで鼻歌でも歌い出しそうなほど、機嫌が良く見えた。

普段のカルエゴからは想像できないような穏やかな姿に、周りの教師陣は何事かと目を見開き二度見ならぬ三度見までする始末。 いくら新婚とはいえ浮かれすぎでは? と、呆れ半分、羨望の気持ち半分… いや、羨望の方がもう少し、割合的には多いかもしれないが。

「まぁ、確かに… 独り身の僕らからしたら、羨ましい以外の何ものでもないですけど…」
「ナマエちゃん… 学生の時から美人で人気あったもんなぁ」
「ほんとにね〜 あの子がまさか、カルエゴ先生と結婚するなんて」

彼らがこれほどまでにカルエゴを羨ましがるのには、理由がもうひとつ。 カルエゴの新妻… それはかつて、カルエゴがバビルスにて担任を務めていたクラスの "生徒のひとり" だったのだ。

その名も、ミョウジ・ナマエ。 今の姓は、ナベリウス・ナマエとなっているが… それはさておき。 彼女が生徒としてバビルスに通っていた当時のことを知る、イフリートとダリは、しみじみと語り始める。

女性としての魅力はもちろんのこと、悪魔としての素養の高さ、バビルスでも優秀な成績を残し、無事に卒業していったナマエ。 卒業してしまえば、たとえ教え子だろうが関係ない。 ひとりの女性悪魔として、ナマエにはとてつもないほどの魅力がたっぷりと詰まっている。

そんな彼女の心を見事に射抜いたカルエゴに対し、教師陣が羨ましく思うのも無理はない話だろう。

「確か、同窓会で再会されたって話でしたよね…」
「あーあ、僕の教え子も同窓会開いてくんないかなぁ」
「あはは、たとえ開いてくれたとしてもそう上手くいくとは思えませんけどね!」
「ダリ先生、手厳しいなぁ…」
「ほんと人生って何が起こるか分かりませんよね…」
「こらぁ!!! 大の男が集まって、何無駄口叩いてるのよ! 口じゃなくて、手を動かしなさい! 手を!」

放課後の、少し気の抜けたこの時間。 何とも虚しい彼らの雑談は、ライムのひと声によって強制的に終わりを告げる。

『はぁ〜い』とだらしない返事をし、皆が散り散りに自身のデスクへと戻っていくのであった。




一方、その頃。 カルエゴは。
大きな羽で風を切り、大急ぎで帰宅。 しかしそんな余裕のない姿など愛しい妻に見せるわけにもいかず… 乱れる息を整えてから、玄関の扉を開けた。

バタンと扉が締まる音が響いた直後、パタパタと。 スリッパの可愛らしい足音が聞こえ、カルエゴの視線は自然と音のする方へと向けられる。

「おかえりなさい、あなた!」
「…っ、あぁ、ただいま」

心底嬉しそうな表情で自身を迎えてくれたのは、ナマエ。 そんな彼女の愛らしい姿に、カルエゴは顔には出さないものの、胸をこれでもかと高鳴らせる。

少し照れ臭そうに "あなた" と呼んでくる彼女に、愛おしさが溢れて止まらない。 押し寄せる感情の昂りを何とか抑えつけながら、カルエゴは "ただいま" と、優しく囁いた。

「やっぱりまだ "あなた" って、言い慣れないなぁ…」
「…直に慣れるだろう。 夫婦にもなって "先生" と呼ばれるのは、さすがにな。 恐らく、私が周りの目に耐えられん…」
「ふふっ、わかりました。 早く慣れるように、いっぱい "あなた" って呼びますね」
「っ、あぁ… そう、してくれ」

はにかみながら、再度 "あなた" と口にするナマエに、カルエゴは性懲りも無く胸を熱くさせる。 慣れないのは、自分も同じ。 辿々しくも、妻であろうとするそのいじらしい姿に、カルエゴはすでに何度も、心を揺さぶられていた。

「晩ごはん、作ったんですけど… 先にお風呂にします? それとも…」
「っ、…」

そのセリフには、聞き覚えがあった。 ドラマや映画でよく見るあれだと、カルエゴは直感的に身構える。 その言葉の続きを期待してしまっている自分が何とも情けないが、彼もひとりの男。 もしかすると… と思ってしまうのも無理はない。 しかし…

「肩、凝ってますよね…? マッサージ、しましょうか?」
「ッ、… いや、大丈夫だ」
「? そうですか? それなら、先にお風呂ですね! もう沸いてるので、入って来てください!」
「…っ、わかった」

『すぐに食べられるように、準備しておきますね!』 そう言ってまた彼女は、パタパタと足音を鳴らしながらリビングへと消えていく。

「……全く、こちらの気も知らないで」

帰宅して早々。 可愛らしい言動を連発するナマエ。 そんな彼女に振り回されていることに気づきながらも、それを心地良いと感じている自分がいて、カルエゴは思わずポツリと呟く。

そんな彼の表情は、いまだかつてないほどに穏やかなものだった。




「あっ! お湯加減、どうでしたか? もうすぐ夕飯の準備が終わりますから、座って待っていてくださいね」

風呂から上がりリビングへとやって来たカルエゴ。 彼に気づいたナマエは、笑顔で言葉をかけた。

ナマエの言葉に従い、カルエゴはいつもと同じ席に着く。 目の前のテーブルの上には、所狭しと並べられた料理の数々。 昼食以降、何も食べていない彼の腹はぐぅと音を鳴らした。

「お待たせしました! それでは… いただきまーす!」
「いただきます」

少し遅れてやって来たナマエが席に着き、パンッと手を合わせた、その直後。 元気よく食事の挨拶をするナマエに合わせ、カルエゴも控えめに声を出す。 そしてフォークを握りしめると、2人同時に食事を開始した。

「今日はローストビーフを作ってみました! 先生のお口に合うといいんですが…」
「…呼び方、元に戻っているぞ」
「えっ? あっ! す、すみません…! つい…!」

呼び名を指摘され、慌てふためくナマエ。 そんな彼女も可愛らしいとカルエゴは内心、胸をほっこりさせる。

しかしどうも、"呼び名" を変えることが彼女の重荷になっているような気がしてならないカルエゴ。 今はふたりきりの時間なのだ。 呼び方ひとつでああだこうだと文句を言うつもりはないのだが、つい指摘してしまったことに申し訳ない気持ちがじわりと溢れてくる。

「まぁ、無理に直す必要もないのだが…」
「でも、普段から呼んでいないといざって時にポロッと "先生" って言っちゃいそうで…」

まるでフォローするかのように、無理強いはしないと言うカルエゴ。 そんな彼の優しさに、ナマエの胸はほっこりと温かくなる。 しかし、甘えてばかりはいられない。 普段から呼び慣れていないとボロが出そうで、ナマエは気が気じゃなかったのだ。

「あっ、それなら…」
「?」

暫し、思考に耽っていたナマエ。 そんな彼女を視界の端に入れつつ、食事を進めていたカルエゴだったが、それも束の間。 何かを思いついたかのように、ナマエがパッと顔を上げ、口を開く。 一体何を思いついたのかと、カルエゴが彼女に視線を向けた、その次の瞬間。

「カルエゴさん、って呼ぶのはどうですか…?」
「っ、…!!」

ゆったりとリラックスした、自宅での食事中。 完全に無防備な状態での、ナマエからの名前呼び。 そんなもの直に食らって、冷静でなどいられるはずがない。 カルエゴは思わず、ピシッと固まってしまう。

「あ、あれ…っ? ダメ、ですか…?」
「ッ、いや… ダメではない、のだが…っ」

カルエゴの反応を、良くない方向に捉えてしまったナマエ。 しゅんと縮こまり申し訳なさそうにする姿に、カルエゴは慌てて否定の言葉を口にする。 しかし "名前で呼ばれて嬉しい" だなんて子供じみたことを、馬鹿正直に話すわけにもいかず。 言葉を濁す彼だったが…

「…カルエゴさん」
「っ、…」
「ふふっ、カルエゴさんっ!」
「………」

何度も自身の名前を呼び、嬉しそうに笑うナマエ。 そんな彼女のあからさまな態度を前にして、カルエゴはそこでようやく気がついた。

もしや、揶揄われている…?
そう確信した彼の眉間には、瞬く間に皺が寄っていく。

「…お前、さては楽しんでいるだろう?」
「えへへっ! バレました? …慌てる先生が可愛くって、つい!」

悪戯が成功したかのように、ナマエは呑気にニコニコと笑顔を見せている。 そんな彼女にもまた、性懲りも無く胸を高鳴らせるカルエゴだったが… やられっぱなしは性に合わない。 少し説教が必要なようだと、ナマエに向けてニヤリと悪い笑みを向けた。

「ほう… お前も随分と言うようになったな」
「…あ、あれ? もしかしなくても、ちょっと、いや、かなり… 怒ってます…っ?」
「こんなことで怒るほど私も短気ではない、と言いたいところだが… 今夜は、覚悟しておくといい」
「っ、−−ッ!!!」

低くて甘い、大人の色気を漂わせるカルエゴの声に、ナマエの顔はみるみる内に真っ赤に染め上がる。 そんな彼女の可愛らしい反応に満足したのか、カルエゴはひとりパクパクと食事を再開していて。

やっぱり先生には敵わないと、ナマエは心の中で呟くのだった。




「このローストビーフだが… 火が通り過ぎている。 それにソースも酸味が強すぎだ。 ワインの酸味との調和が取れていない」
「うぅ…っ! 相変わらず、厳粛ですね…」
「…だが、味は悪くはない」
「…!」
「毎日食事の準備をしてくれて、感謝している。 …これからもよろしく頼んだぞ、ナマエ」
「っ、は、はい…ッ!!!」

カルエゴは意外にも。 飴と鞭の使い分けが上手い夫なのだった。




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