「それでは、私はここで!」
「本当にありがとうアザゼルさん! 助かりました…!」
ナマエがペコリと頭を下げながらお礼を告げると、嬉しそうに笑いながら、手を振るアメリ。 去っていく彼女の背を見えなくなるまで見送ったナマエは、ちらりとすぐそばにある扉の上方へと視線をむけた。
「( い、いきなり入ってもいいのかな… うぅ、何だかものすごく緊張する… )」
ナマエの視線の先には、職員室と書かれた札があった。 緊張からか、彼女は思わずごくりと喉を鳴らす。 何故か他の教室とは違う雰囲気を醸し出している気がして、なかなか体が動かない。
しかしこんなところで突っ立っていても仕方ない。 自分には、ダリに弁当を渡すという重大な任務が残っていると、ナマエは何とか勇気を振り絞る。 そしてついに、扉をノックしようと手を動かした、その時だった。
「ナマエさん!」
「っ、!」
突如廊下に響く、自身の名前。 それは聞き慣れた、彼の声で。 ナマエはすぐに声のする方へと振り返る。 するとそこにはナマエの予想通り…
「っ、ダリ先生! お疲れさま、で… す……」
「本当に来てくれたんですね! いやぁ、嬉しいなぁ!」
嬉しそうに笑顔を浮かべながら、駆け寄ってくるダリの姿。 ナマエが来てくれると頭では分かっていた彼だったが、実際に会ってみれば嬉しさも一入のようで。
職員室の前に立つナマエの傍までやって来たダリは、その嬉しさを微塵も隠すことなく、笑顔のまま彼女へと視線を向ける。 しかし、ナマエは何故か無反応。 目当ての人物であるダリが登場したにも関わらず、固まったままポーっとダリを見つめていて。
「ナマエさん…? どうかしましたか?」
「っ、ッ…! あ、ああ、あのっ、その…っ」
「…?」
腰を曲げ、ナマエの身長に合わせるようにして彼女の顔を覗き込むダリ。 ナマエは、そこでようやく我にかえった。
あまりの至近距離に、彼女の顔はみるみる内に真っ赤に染まっていく。 慌てたように口を開くも、言葉が上手く出てこないようで… そんな彼女の慌てっぷりに、ダリは思わず首を傾げる。
"何をそんなに照れているんだ…?"
そんなダリの心の声を、これでもかと感じ取るナマエ。 出会っていきなりこんな態度を取られれば、不審に思ってしまうのも無理はない。 これ以上、仕事中であるダリを困らせるべきではないと、ドキドキとうるさいくらいに高鳴る胸をどうにか抑え込む。 そして彼女は少しずつ、自分の気持ちを語り始めた。
「…っ、だ、ダリ先生の、教師服姿が… し、新鮮で…っ」
「えっ…?」
"新鮮" 。 まさにその言葉通り。 ナマエは今日、ダリの教師服姿を初めて目にしていた。
普段の寮での生活は、プライベートな空間である。 食堂で食事をする時はもちろんのこと、談話室やその他の場所でも、教師陣がラフな格好をしているのが、ナマエにとっての当たり前となっていた。
そんな彼女の前に突如現れたのは、キッチリと教師服を着こなすダリの姿で。 そう、ナマエがあんなにも慌てていた理由。 それは…
ダリのあまりのかっこよさに、悶えていただけ。
ただ、それだけだった。
まさかのまさか、自身の格好について語られるとは思ってもみなかったダリ。 ナマエの言葉を受け、ダリは思わずポカンと口を開けるけれど、それも束の間。
彼女の考えていることに何となく想像がついた彼は、思わずニヤリと口角を上げる。 ダリの悪い笑顔を目にしたナマエの胸には、何だか嫌な予感が。 たらりと冷や汗が背中に流れ落ちるのを感じて、思わず彼から目を逸らす。
「へぇ? なるほど、なるほど。 …こういうのが、好みなんだ?」
「っ…!! そっ、そういうわけじゃ、っ、」
じわりじわりと少しずつ、ナマエとの距離を詰めるダリ。 背中がトンっと壁に突き当たり、ナマエはついに行き場をなくす。
「ほんとに? 顔、真っ赤ですよ?」
「ッ、っ−−!!」
壁に腕を付き、見下ろす体勢… いわゆる "壁ドン" をしながら、ダリはナマエの耳元でソッと甘く囁いた。 脳に響く甘い声に、ナマエは思わずビクッと体を震わせる。
一方、そんなナマエとは打って変わり、ダリは内心ほくほくとご満悦だった。 まさか服装ひとつでこのような可愛らしい反応をして貰えるとは思ってもみなかった彼は、大満足。 ナマエに会えただけでも嬉しかったのに、彼の機嫌は更に急上昇、鰻登りだ。
もっと虐めてやりたいという気持ちもあるが、残念なことに今は職務中。 幸運なことに、周りに誰もいない状況だったが、ちらほらと生徒たちの声も聞こえ始めている。 そろそろ本題へと移ろうと、ダリがナマエから離れようとした、その時だった。
「…ダリ、先生だから」
「えっ?」
「…ダリ先生だから、余計にカッコよく見えて、思わず見惚れちゃったんです…っ」
「………」
キュッとダリのガウンを握り、上目遣い。 更には、とんでもなく甘い言葉を告げるナマエ。 まさかのまさか。 彼女からのカウンター攻撃が繰り出され、ダリは思わず言葉を失う。
しかしそれも一瞬のこと。 彼の脳内には、次々とあらゆる感情が溢れ出した。
「( あー… やばい。 今すぐ抱きしめたいキスしたいなんならこのまま無理やり人気のない教室に連れ込んでイチャコラしたい…… って、ダメダメ! 今は職務中だ!! 抑えろ、耐えろ! 無になるんだ、無に…ッ!!! )」
「…ダリ、先生?」
「っ、ぅぐっ…ッ!」
脳内でああだこうだと葛藤を繰り返すダリ。 そんな彼の心情など、露知らず。 自身の頭上で、突如無言になるダリが心配になったのか、またもや容赦なく上目遣いで彼を見上げるナマエ。
そんな彼女の愛らしさに、無になろうとしていたダリの努力は一瞬で、水泡に帰す。 ぎゅんと胸を掴まれるような衝撃に、ダリは慌てて彼女との距離を取った。
一気に形勢は逆転。 先程まで耳を真っ赤にしていたのはナマエだったはずなのに… と、ダリは少し悔しい気持ちになるけれど、ナマエのあの可愛さを前にして、冷静でいられるわけがないとひとり心の中で言い訳をこぼした。
「あ、そうだ…! 忘れるところでした…!」
「えっ?」
「はい、どうぞ。 お弁当のお届けです!」
「…! そうでした…!」
胸を押さえて黙り込むダリを不思議そうに見つめていたナマエだったが、そこでハッと何かに気づく。 徐に鞄の中を漁り、取り出したのは、巾着袋に入った弁当箱。 それをダリの目の前に差し出せば、彼もハッと表情を変える。
「ありがとうございます…! わざわざ届けてもらって本当にすみません… 言い訳になっちゃいますが、今朝は寮を出る前に少し、バタバタしてしまいまして…」
「これくらいお安い御用です! …と、言いたいところなんですが…」
「…! もしかして、ここに来るまでに何か…?」
今日の本題へと話が移り変わったのも、束の間。 届けてくれたことへの礼を告げたダリだったが、ナマエから返ってきたのは何やら歯切れの悪い言葉で。 ナマエの身に何かあったのでは、とダリは食い気味に問い掛ける。
「とてもお恥ずかしい話なのですが、校内への入り方が分からなくて…」
「あ、そうか…! 今の時間は校門を閉め切っているのを忘れてました…! 大丈夫だったんですか…!?」
「タイミングの良いことに、校内の見回りをしていた生徒会長のアザゼルさんと出会うことが出来まして…」
「なるほど! 彼女に案内をしてもらったんですね」
「はい… 本当に助かりました…」
彼女の身に何か危険があったのではないかと心配したダリだったが、杞憂だったようでホッとひと安心。 『今度、彼女にも何かお礼をしたいのですが…』 そういって、頭を悩ませる仕草を見せるナマエのいつもと変わらない姿に、ダリはふっと笑みを浮かべる。
未だ職員室の前で突っ立っているふたり。 授業が終わり、廊下には生徒たちが少しずつ顔を出し始めていて、チラチラとふたりを遠目から見ているのが、ダリの視界に入った。
「こんなところで立ち話もなんですし、中でゆっくりお茶でも…」
「いえいえ、そんな…! 本当にお構いなく…! お仕事の邪魔になりますし、私はこれで…」
このままだと面倒なことになりそうだと、ナマエをお茶に誘うけれど、彼女は遠慮がちに断りを入れる。 部外者である自分がこれ以上ここに居ては迷惑になると判断してのことだった。
現に、生徒たちの好奇の視線は増えていく一方で。
"ダリ先生と話している美女は誰だ…!?"
"先生… じゃ、ないよな?"
"新しい先生とか…? 何の授業担当なんだろう?"
そんな声があちらこちらから聞こえ、ダリはフゥと小さく息を吐いた。 こうなってしまっては、さすがのダリも諦める他ない。 生徒たちの前で、模範となるべき自分が私利私欲で動くわけにはいかなかった。
「うーん、とても残念ですが… 仕方ありませんね」
「っ…」
残念そうに眉を下げるダリの姿に、不覚にもきゅんと胸をときめかせてしまうナマエ。 寂しそうに肩を落とす彼を、少しでも元気づけたい。 そんな気持ちが、胸の中で膨れ上がっていく。
「……ダリ先生、あのっ」
「ん…?」
「夕ご飯… ダリ先生が好きなもの、沢山作って待ってます」
「っ…!」
「だから… お仕事、頑張ってくださいね」
「っ…! はぁああー…っ、もう…っ! 本当に、あなたってひとは…っ!」
「っ! だ、ダリ先生…っ!? 大丈夫ですか…っ?」
"頑張ってくださいね"
そう言って、ふんわりと優しく笑うナマエ。 そのあまりに可愛らしい表情に、ダリは頭を抱えへなへなとその場に蹲る。 夕飯を作って待ってる… その言葉にも、ダリはこれでもかと胸を熱くさせていた。
「( こんなのほんとに… "夫婦" みたいじゃないか… )」
まるで新婚夫婦になったかのような会話に、年甲斐もなく喜び、照れている自分がひどく情けないけれど… 湧き上がる幸せな感情は、自分の意志では止めようもなくて。
心配そうに自身の背を撫でる手つきの柔らかさにも、更に愛おしさが込み上げる。 野次馬の生徒たちの騒めきが耳に入るけれど、今はまだ、冷静になれそうにない。 せめて赤くなる顔だけは見られないようにと、暫く俯いたままでいるダリなのであった。
「…いや、これどう見てもただのお熱い新婚さんだろ!」
「シィー…っ!! 今の発言、ダリ先生に聞こえたら調子に乗って面倒くさいですよ、絶対…!!」
「あー… 手作り弁当、いつ見ても羨ましいよなぁ…」
「だから… 見てても虚しくなるだけだって…」
職員室の扉からひょっこりと顔を覗かせるのは毎度お馴染み、あの4人組。 ちなみに上から順に、ツムル、マルバス、イフリート、イチョウである。
ダリとナマエのやり取りを、こっそりと見ていた彼らだったが… あまりに甘いその雰囲気に、各々が思い思いの言葉を発している。 そんな4人を目撃したとある生徒は、のちに語る。
大の大人が、それはそれは羨ましそうに、ダリとナマエを眺めていたと。