第4話「その惚気のろけ、甘過ぎます」



「「「「「かんぱ〜〜〜い!!!」」」」」

大きな掛け声の後、カランとジョッキのぶつかり合う小気味良い音が店内に響く。 皆が一斉に冷えたビールをゴクゴクとあおると、ぷはぁっと気持ち良さそうに息を吐き出した。

ここは魔界居酒屋「げんこつや魔」。 リーズナブルで美味しいと評判の人気居酒屋である。 そんな居酒屋の、とある一室。 そこには揃いの深紫色の洋服に身を包んだ数人の男女が、和気あいあいと酒を酌み交わしていた。

「いやぁ、仕事終わりのビールは最高ですねぇ」

そう言って、ビールを一気に飲み干したのは、ブエル・ブルシェンコ。 悪魔学校バビルス、回復術担当教師である。

「ほんとほんとぉ! 疲れた体に染み渡るわぁ〜!」

ブエルの言葉に頷きながら、ジョッキを片手に笑う美女。 彼女の名は、ライム。 同じく悪魔学校バビルスの教師で、サキュバス誘惑学担当だ。

ここまでの流れでお察しの通り… 本日この『げんこつや魔』には、バビルスの教師陣が来店している。 酒の酔いも相まって、普段とは違うリラックスした雰囲気で会話を楽しむ彼らだったが… 大きなテーブルの端の方。 わいわいと騒がしいライムたちとは打って変わり、何やら深妙な雰囲気が漂うそこには、"3人の" 男の姿があった。

「それでは改めまして… この度は僕の代わりを引き受けてくださってありがとうございました、ダリ先生」
「いやぁ〜! そんなに畏まらないでくださいよ、バラム先生! 僕が休みの時もお世話になっていますし、お互い様ですって!」

その3人のうちのひとり、ペコペコと頭を下げる大柄な男。 彼の名は、バラム・シチロウ。 彼もまたバビルスで教鞭を取る教師のひとり。 ダリと同じ、魔界歴史学を担当している。( 正しくは、魔界歴史空想生物学 )

バラムはつい昨日まで悪周期を迎えており、休暇をとっていた。 その間の代理をダリが務めたことにより、バラムは彼へのお礼も兼ねた飲み会を開くことにしたのである。

「それにしても… カルエゴ先生まで、ご一緒してくれるとはね!」
「せっかくだから一緒にって、僕が誘ったんです」
「…私は帰ると言ったんですがね」

不機嫌な態度を隠そうともせず、眉間に皺を寄せボヤいているのは、ナベリウス・カルエゴ。 担当教科は、使い魔召喚など多岐に渡る。 現在バビルスで注目の的となっている "問題児アブノーマルクラス" の担任でもある彼は、何かと "面倒事" の絶えない不憫な教師であった。 …今この瞬間も、その "面倒事" に巻き込まれている最中なのだが、それはさておき。

「それでも、わざわざ来てくれたんですよね? あ! もしかして…! 実は僕の事、好きだったり〜?」
「気色が悪いのでやめてください」

このこの〜! と肘でつつくような仕草を見せるダリに、吐き捨てるように文句を言うカルエゴ。 そんなふたりの相変わらずの温度差に、バラムは思わず苦笑いを浮かべる。

性格がてんで真逆のふたりだが、意外に組み合わせは悪くないと、バラムは常々感じていた。 カルエゴの新任時、彼の教育係だったダリ。 そんなふたりの関係性と、ダリの陽気な性格も相まって、ダリは気難しいカルエゴに対し臆せず接することの出来る、数少ない悪魔なのである。

「人数が多い方が楽しめるかと思って、他の先生方にも声を掛けてみたんですが…」

そう言って、バラムはテーブルの中央へと視線を向ける。 今この場にいるのは、ダリとバラムとカルエゴを除いて、ブエル、ライム、スージー、イフリートの計4人。 バラムは他にも声を掛けていたのだが、残業や家の事情などで参加できない者も多く、今回はこのメンバーでの飲み会となったのだった。

テーブルの中央では、主催者であるバラムや主役であるダリのことなどお構いなしに、酒とつまみを手に和気あいあいと騒ぐライムたち。 そんな彼らに少し呆れながらも、賑やかなこの空間が心地よくて、ダリはにこりと笑顔を浮かべる。

「バラム先生も、カルエゴ先生も。 お気遣い、本当にありがとうございます」
「私は別に…」
「またまたそんなこと言って〜! 照れてるんじゃ…」
「照れてません」
「ふふ、カルエゴくんは、素直じゃないからなぁ」
「っ、シチロウ! 余計なことを言うんじゃない!」
「あはは、相変わらず仲良いねぇ君たち!」

ダリと同じく、カルエゴに対して気兼ね無く話すことの出来る数少ない悪魔のひとりが、同級生のバラムであった。 ふたりで軽口を言い合う姿は、普段の陰湿で厳粛な彼からは想像できないほどである。 そんな彼らの信頼関係が垣間見え、ダリは教師統括として、とても嬉しく、そして同時に誇らしい気持ちになった。

「ダリ先生、今日は遠慮せず、好きなだけ食べて飲んで騒いでくださいね」
「あぁ〜 言いましたね? 僕、本当に食べて飲んで騒いじゃいますよ? いいんですか?」
「もちろんです! 今日は僕の奢りですから、どんどん注文しちゃってください」
「…っ、おい、シチロウ…! あまり調子に…」
「そこまで言うのなら、遠慮なくッ! 建前は以上! 改めまして、かんぱ〜〜い!!」

カルエゴが何やらぶつくさ文句を垂れているが、そんなもの知ったこっちゃないと、ダリは勢いよくジョッキを傾ける。 その惚れ惚れするほどの飲みっぷりに、バラムは思わず『お〜っ!』と拍手を送った。 そんな楽観的なバラムの姿に、カルエゴはハァと大袈裟なほどに大きなため息を吐く。

「……シチロウ」
「何だい? カルエゴくん」
「…とんでもなく、嫌な予感しかしないのだが?」
「あはは。 カルエゴくんは心配性だなぁ。 大丈夫、大丈夫。 ダリ先生も立派な大人なんだし、自分のことは自分で…」

−−−− 数時間後。

「ナマエさぁん… あぁ、早くナマエさんの唐揚げが食べたいです…」
「「……………」」

座布団を胸に抱き、デレデレと鼻の下を伸ばす男。 そしてそんな彼を、黙って見つめる男がふたり。

「……当たったね。 カルエゴくんの、嫌な予感」
「だから言っただろうが! 全く…! このひとに関わると、本当に碌なことがない…!」

苛立ちを隠せないカルエゴに、バラムは 『まあまあ』 と宥めるように声を掛ける。 そんな彼の落ち着いた様子を見て、ふぅ、とひとつ息を吐くと、もう一度。 カルエゴは目の前でだらしなく寝そべっているダリへと視線を向けた。

「いやぁ。 ダリ先生、見事に酔っ払っちゃったなぁ」
「…俺は知らん。 シチロウ、さっさと支払いを済ませてこい。 そのまま帰るぞ」
「あ、ダメだよ勝手に帰っちゃ! それにまだ、他の先生方が…」
「バラム先生っ、カルエゴ先生っ!」

寝転がるダリを一瞥し、部屋を出ようとするカルエゴ。 そんな彼を引き止めようと、バラムが腕を伸ばしたその時。 自身の名を呼ぶ声が聞こえ、ふたりは同時に振り返った。

「いやぁ、ほんとすみませんっ! 僕ら勝手に飲んで騒いじゃって…!」
「イフリート先生! いやいや、そんな。 楽しんでいただけて何よりですよ」

申し訳なさそうに声を掛けてきたのは、バビルスの警備体制の管理を一手に担う学校警備教師、イフリート・ジン・エイト。 少しのお小言くらいは覚悟していたイフリートだったが、バラムからの心優しい言葉にホッと安心したような笑顔を浮かべる。 再度、謝罪しようと頭を下げかけたところで、床に転がっているダリの存在に気づき、彼は思わず声を上げた。

「えっ、ダリ先生、潰れちゃったんですか?」
「あはは、そうなんです。 少し前から、この状態で…」
「まさに泥酔ですね… 一体どれだけ飲んだんです?」

座布団を抱き、寝転がるダリ。 先程までナマエの名を呼びながら騒いでいたが、今は熟睡している。 見事、カルエゴの嫌な予感は的中し、ダリは案の定… でろっでろに泥酔していた。

「うーん… そこまで飲んでなかったと思うんだけどなぁ。 ね、カルエゴくん」
「…まぁ、確かに。 今日の彼は、割と早くに酔いが回っていたように思う」
「お疲れのようでしたからね… 明日からまたナマエさんのご飯を食べて、元気になってもらわないと」

イフリートの口から出た、"ナマエ" と言う名前。 その名前に、カルエゴとバラムはピクリと反応する。 この時、彼らふたりの脳内には、全く同じ疑問が浮かんでいた。 その疑問をイフリートに投げ掛けるか否か。 迷うバラムだったが、意外にも… バラムより先にカルエゴの口が開かれる。

「……前々から疑問だったのだが。 "ナマエ" というのは、誰なんです? …ここ最近、ダリ先生の口から鬱陶しいほどに何度も名前が出ているんですが」
「コラっ、カルエゴくん! そんな言い方、失礼でしょ!」

バラム自身、カルエゴと同じ疑問を頭に思い浮かべてはいたが、尋ね方ってものがある。 あまりに失礼な物言いにバラムは焦ったようにイフリートへ視線を向けたが、彼に怒った様子など見受けられない。 むしろニコニコと嬉しそうに、待ってましたと言わんばかりの笑顔で、カルエゴ達の疑問に答えてくれた。

「ナマエさんは、今年から教師寮の食堂で働いている調理担当の職員さんですよ!」
「…! そうだったんですね。 てっきり、ダリ先生の恋人か何かかと…」

この飲み会の間、ダリの口から幾度と無く聞いたナマエという名。 カルエゴの言う通り、ここ最近では学校内でもダリがその名を口にしていたが、バラムは休暇中だったために、その実情を知らない。 そんなバラムでも疑問に思うほど、この数時間。 ダリはずっとナマエの話ばかりをしていたのだ。

「もしかして… ナマエさんのこと、色々褒めたりしてました?」
「うん。 何か料理を食べる度に 『ナマエさんの方が美味しい』 って…」
「そんなこと言ってたんですか、ダリ先生…」
「あはは。 お店のひとに聞かれないか、ヒヤヒヤだったよ」

呆れたような顔をしたあと、『まぁ確かに、ナマエさんの料理を食べたことがあるなら、そう思うのも無理ないですけど…』 と、苦笑いを浮かべるイフリート。 そんな彼の言葉と表情に、バラムとカルエゴはほんの少し。 ナマエという悪魔に、興味が湧いた。

ダリだけでは留まらず、イフリートまでもを虜にするナマエの料理。 "一体どれほど美味いのか…?" そんな疑問が新たに生まれるのも、至極当然な流れである。

「イフリート先生も太鼓判を押すくらいだから、本当にナマエさんの料理は美味しいんだろうねぇ。 それにダリ先生、ナマエさんの話をする時、すごく幸せそうだったし」
「あー… 確かにナマエさんの料理が美味しいからって言うのもあるかと思うんですけど… ダリ先生の場合、おそらく、別の理由かと…」
「別の理由??」

意味深に言葉を途切らせる、イフリート。 "別の理由" 。 その言葉に、バラムは首を傾げる仕草を見せる。 カルエゴも無反応ではあったが、文句や不満を言わないあたり、この話の続きに興味はあるようだ。

「えっと、その… ダリ先生、ナマエさんのこと… かなり "お気に入り" みたいでして」
「……それは "同僚として" 、という意味?」

イフリートは慎重に言葉を選びながら、話を続けた。 その周りくどい言い回しに、バラムはすかさず核心へと切り込んでいく。 嘘を見抜くことが出来るバラムの家系能力、虚偽鈴ブザー。 そんな力を持つ彼を前にして、虚偽の発言など出来やしない。 イフリートは観念するかのように両手を上げた後、そっとその口を開いた。

「…いや。 がっつり、恋愛対象みたいです。 …毎日、ナマエさんのこと、口説いてますし」
「…何をやってるんだ、ダリこのひとは」
「…あはは。 ほんと、見てるこっちが恥ずかしくなるくらいですよ」
「でも、これで合点がいったよ! 本当に最初は恋人の話をしてるのかと思ったくらいだし」

『ナマエさんの焼き鳥は柔らかくてジューシーで、焼き加減抜群なんです。 あの焼き鳥を片手にビール… これがもう堪らなく美味しくて!』
『ナマエさんの唐揚げは、塩と醤油の2種類。 いつもどっちも作ってくれるんです。 そんなの手間だろうに、個人の好みもあるからって苦労を厭わない。 すっごく優しくて良い子なんですよ』
『あぁ… 早くナマエさんの作ったご飯が食べたい…』

聞いてもいないのに、ペラペラと。 嬉しそうにナマエのことを語るダリに、正直なところ。 カルエゴとバラムは一体何を聞かされているんだ… と、困惑していた。 だがそれも、酔っ払いの戯言ざれごとだと真に受けていなかったのだが、イフリートの話を聞いて、心底納得する。

「よっぽど、ナマエさんのこと、"お気に入り" なんですね」
「そうですね。 …もちろんダリ先生だけでなく、ナマエさんのことは、教師寮の皆が心の底から信頼しています。 いつも美味しい食事を提供してくれるだけでなく、僕たちの体調まで気にかけてくれて… 彼女も大事なバビルスの一員なんですよ」

そう言ってナマエのことを語るイフリートの声や表情はひどく穏やかで、バラムとカルエゴは思わず面食らう。 "ダリのことをとやかく言えないのでは?" という疑問が新たに生まれたふたりだが、それは心の中にそっとしまっておくことにした。

「イフリート先生がそこまで言うなんて、きっとナマエさんは本当に素敵な方なんでしょうね」
「とても素敵な方ですよ。 ナマエさんは何というか… 一緒にいると、すごく癒されるんです」

『会えば分かると思います。 今度、寮で一緒に食事でもどうです?』そんなイフリートからの誘いにバラムは『本当ですか? お邪魔じゃなければ、ぜひ』と前向きな返事を返す。 一方、カルエゴはというと『私は結構です』と、相変わらずの無愛想っぷりを披露。 これにはイフリートも、思わず苦笑いだ。

「ダリ先生のことだけど… 僕が寮までお連れしようと思ってるんだ。 お誘いをしたのは、僕だし…」
「いやいや、とんでもない!!どうせ僕は寮なので! ライム先生とスージー先生も一緒ですし。 ダリ先生は僕たちが責任持って連れて帰ります。 おふたりはご心配なさらず!」
「…私は別に心配などしていないが」
「まーたカルエゴくんは! 思ってもないこと口にして!」
「…っ! またお前は、誤解されるようなことを…!」
「あはは、おふたりは相変わらず、仲がいいですね」

イフリートの言葉に、ピタッと動きを止めるカルエゴ。 私たちはそんなに仲が良さそうに見えるのか…? と何だか気恥ずかしくなってくる。 そんなカルエゴとは対照的に、ニコニコと笑顔を浮かべるバラム。 どうやら気にしているのは、カルエゴだけのようで、それが更に恥ずかしさに拍車をかけた。

「それじゃあ、申し訳ないけど… ダリ先生のこと、お願いしてもいいですか?」
「もちろんです。 …本当に今日はご馳走様でした!」

突然黙り込んだカルエゴはさておき。 そろそろお開きの時間であると判断したバラムは、ダリをイフリートに任せることに決める。 そんなバラムの心情に気付いたのか、会話をここで終わらせようと、笑顔でご馳走様でしたと告げるイフリート。

「ふふっ、こちらこそ。 ( 沢山の惚気のろけ ) ご馳走様でした」
「?? はい、どういたし、まして…?」

この言葉は、ダリとイフリート。 両者に向けての言葉だったのだが、きっと彼らは気づくことはないだろう。 不思議そうに首を傾げるイフリートが少しおかしくて、バラムはマスクの下で口元を緩ませるのだった。



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