第23話「酒は飲んでも絶対に!呑まれるな!」



「( やって、しまった… )」

時刻は、午前4時44分。 なんとも不吉な時間に目を覚ましたのは、ダンタリオン・ダリ。 顔面蒼白で頭を抱える彼は今… 絶賛、自己嫌悪中であった。

思い出されるのは、昨夜の飲み会での出来事。 飲み会が始まったばかりの頃は、まだ良かった。 ナマエが楽しめていることを、確かに喜んでいたはずなのに。

酒が進むにつれて変化していく、自分の感情。 自分以外の男と仲良く食事するナマエの姿に、溢れ始めたのは醜い嫉妬心。 モヤモヤとしたその感情は次第に大きくなり、そして… イフリートを甲斐甲斐しく世話する彼女の姿を目にした、その瞬間。 それは、一気に爆発する。 気がつけばダリは、スージーと共に彼女のテーブルへと向かっていたのだ。

「( いくら酔っていたとはいえ… 僕は彼女に、なんて酷いことを… )」

嬉しさを隠しきれない笑顔で "お疲れ様です!" と声を掛けてきてくれたナマエに、素っ気ない態度で返事をしてしまったこと。

一切目を合わせることなく、彼女が輪に入れないようわざと知らない話題で盛り上がったこと。

そして極め付けは、スージーとの間接キスだ。 疎外感から俯く彼女に、バラムが優しく手を差し伸べたあの瞬間。 ダリの中の嫉妬の炎は、更に轟々と燃え上がる。

彼女にも同じ気持ちを味わってもらわなければ。 そんな子供じみた対抗心がダリの中に芽生え始め、そして気がつけば… スージーが使っているグラスに口を付けるという馬鹿な行動に出てしまっていた。

あの時に盗み見た、ナマエの悲しみに溢れた表情が頭から離れない。 なんて事をしてしまったのだろう… と、今更になってダリは後悔の念に襲われる。

飲み会を楽しめと言ったのは、自分。
意地を張ってすぐにナマエの元へ行かなかったのも、自分。

そう、全て自業自得。 ナマエはただ純粋にあの場を楽しんでいただけにすぎないと、ダリは昨夜の自分の行動の全てを、それはそれは死ぬほど後悔していた。

「( 何が "信条" だ… あれだけ場を乱しておいて、教師統括が聞いて呆れる… )」

イチョウたちに偉そうに講釈を垂れていた自分が、ひどく恥ずかしい。 スージーには、随分と辛い役回りをさせてしまった。 彼らにもきちんと謝罪しなければと、ダリは思考を巡らせる。 だけど、今は…

「( ナマエさん… 今日も、食堂に来てるかな… )」

時計を見れば、もうすぐ5時をまわる頃。 いつもの彼女ならすでに食堂で朝食の準備を始めているはず。 謝って済む話じゃない。 それは重々わかっている。 けれど… とにかく今は、彼女と会って話がしたい。 その一心で。

ダリは急ぎ準備をして、慌ただしく自室を出る。 向かう先はもちろん… ナマエが居るであろう、食堂だ。




その頃。 所変わって、食堂では…

『卵焼きは甘いのと甘くないの、どちらがいいですか?』
『俺、甘くないの!』
『僕も甘くない方がいい!』

昨晩の飲み会からの帰り道。 その時に交わしたツムルたちとの会話を、思い返すナマエ。 朝食のリクエストを受けると告げれば、子供のようにはしゃぎ始めた彼ら。 そんな彼らに喜んでもらうため、ナマエはさっそく朝食の準備に取り掛かる。

ボウルに卵を次々と割り入れて、鰹と昆布で取った出汁を加えたところで、ナマエはぴたりと動きを止めた。

"ナマエさんの作るほんのり甘い卵焼き、すっごく好きなんですよ"

それは以前、ダリがナマエに向けて言った言葉。 "甘めの卵焼き" を嬉しそうに頬張るダリの姿を思い出し、きゅうっと締まるナマエの胸。

あのような笑顔はもう、見せてくれないかもしれない… そんなことを考えたその瞬間。 じんわり。 滲み始めるのは、大粒の涙。 目尻から溢れそうになったところで、ナマエは慌ててぶんぶんと頭を振り、自分に言い聞かせる。

「( バカなこと考えちゃ、ダメ…。 今は、料理に集中しないと… )」

つんと鼻の奥が痛むけれど、ギュッと目を閉じ何とか堪える。 そして目蓋を開けた彼女は、よし、と小さく気合を入れた。

「( …味噌汁の具材、何がいいか聞いてなかったなぁ。 野菜も取り入れたいから、ほうれん草とお豆腐にして、あとはもう一品… 副菜は作り置きしてある、蓮根のきんぴら、を… )」

菜箸で卵液を素早く掻き混ぜながら、ナマエは朝食の段取りを決めていく。 ぐるぐると回る卵液を見つめていたナマエだったが、ふと視線を上げた、その時だった。

彼女の視界に入ってきたのは、驚きの人物。 食堂の入り口で、中の様子を恐る恐る窺うように突っ立っている彼の姿に、ナマエの箸を持つ手は、ぴたりと動きを止める。

「おはようございます、ナマエさん…」
「…っ、」

何とも弱々しい掠れた声で挨拶を告げたのは、ダリ。 とても辛そうに表情を歪めるダリの瞳と視線が合った、その瞬間。 ナマエの心には、怒りや不満という感情よりも先に、安堵の気持ちが溢れかえっていた。

もう二度と。 目が合うことも、話しかけてくれることも、名前を呼んでくれることもないかもしれない。 昨夜から頭に浮かんでくるのは、そんな馬鹿な考えばかりで。 考えないようにしよう… そう思っても、ずっと頭の中を支配し続ける "不安" 。 それがナマエを、今の今まで苦しませていたのだ。

「ッ…、よかっ、たっ、…っ」
「っ…! ナマエさん…っ!」

安堵の感情は涙へと変わり、ナマエの瞳から次々と零れ落ちていく。 そんな彼女にダリは驚きを隠せない。 咄嗟に彼女に近づき、その背に触れようとするけれど。 彼は思わず動きを止める。

今の自分に、ナマエに触れる資格などあるのだろうか…

ひっくひっくと嗚咽を漏らす彼女を前にして、ダリはそんなことを考える。 やり場のない感情が、再び彼の心に広がり始めた、その時だった。

「私…っ、ダリ、せんせいに…っ、きらわれたんだと、そう、おもっ、て…っ」
「っ、そんなわけ、ないじゃないですか…っ!!!」
「ッ、…!」

それはそれは苦しそうに、想いを語るナマエ。 しゃくりあげながら告げられた言葉に、ダリの体は反射的に動き出す。

嫌いになんて、なる訳がない。 好きで好きでどうしようもなくて、誰よりも恋焦がれているからこそ… あんなにも馬鹿なことを、しでかしてしまったのに。

そんな激情をぶつけるかのように、ダリはナマエを引き寄せる。 ギュウっと強く、体が折れてしまうんじゃないかと思うほど、強く、強く。

「昨日からずっと…っ、あなたを抱きしめたくて、仕方がなかった…っ」
「だり、せんせ…っ」

ダリの感情のこもった切ない声に、ナマエの涙は更に溢れ出す。 彼女もまた、ずっとダリに触れたくて、触れて欲しくて、仕方がなかった。 そんな気持ちを伝えるかのように、ぶらんと下げたままだった腕をそっと彼の背に回す。 そのままキュッと彼のシャツを握り締めれば、少しだけ。 緩くなる、ダリの抱擁。

ダリはほんの少し体を離すと、ナマエの瞳を真剣に見つめる。 そして、心の底からの謝罪を口にした。

「ナマエさん、ごめんなさい」
「っ、…」
「嫉妬のあまり、僕は… あなたに酷いことをしてしまいました…」

そう言って、真摯に頭を下げるダリ。 少しだけ冷静になれた今、ナマエは改めて思う。

こんなにも自分のことを想ってくれる彼を、どうして責めることが出来ようかと。 だけど、すごく不安になって傷ついて。 眠れない夜を過ごしたのも事実で。

「正直すっごく… 辛かったです…」
「っ、」
「だから…」

当然の結果だが、ナマエの口から直接聞かされる彼女の心情に、ダリの胸はこれでもかと締め付けられた。 彼女を傷つけてしまった事実は、決して消し去ることは出来ない。 悔やんでも悔やみ切れないと、ダリは拳を強く握りしめる。

例えどんな言葉を告げられても、真摯に受け止めよう。 そう決意したダリは、真っ直ぐにナマエを見つめ、彼女の次の言葉を待つ。 そして少しの間を置いたあと、ゆっくりと。 彼女の口が開かれた。

「私の悲しい気持ちが無くなるまで… うーんと甘やかして、くれますか…?」
「っ、ッ…!」

嫉妬に駆られ、ナマエを傷つけてしまった自分とは違う。 まるで微塵も怒ってなどいない、そんな優しくて甘い言葉に、ダリの胸は熱くなる一方で。 またしても無意識に動き出す体。 ナマエの腰を引き寄せて、ダリは彼女をギュッと抱きしめた。

「これでもかってくらい、でろっでろに甘やかします…っ」
「ふふっ。 約束、ですよ?」

そう言って、ダリの耳元で柔らかく笑うナマエ。 そのいつもと変わらない優しげな声色に、ダリは心の底から安堵する。

絶対にもう、泣かせたりしない。

ナマエの柔らかな髪を優しく撫でながら、そう心に誓うダリなのであった。




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