第22話「いつもより少し苦めのハイボール」



「大丈夫ですか…? イフリート先生…?」
「っ、うん、もう大丈… いや、やっぱりもう少し…」
「もう少し…?」

ダリがスージーと席を立ったちょうどその頃。 所変わって、ナマエたちの居るテーブルでは…

酒を吹き出し、未だに咳き込むイフリートと、それを心配そうに見つめるナマエの姿があった。

自身を落ち着かせるように背中を撫でるナマエの優しい手つきが、無性に心地良くて仕方ない。 少しの酔いも相待って、イフリートの欲がひょっこりと顔を出す。

「そのまま背中を撫でて欲しいな、なーんて…」
「かなり咳き込んでいたようですけど、大丈夫ですか? イフリート先生?」
「っ、ッ−−−! だ、ダリ先生…っ!?」

いつもは言えないようなことも、お酒の力を借りれば言えてしまう。 少し気恥ずかしい気持ちはあるが、一か八か。 お願いしてみよう…! とイフリートが意を決して発した言葉は、無惨にも。 突然現れた男の声に、掻き消されてしまう。 そしてその声の主が誰なのかをすぐに察したイフリート。 彼は驚愕の表情を浮かべながら、ダリの名を叫んだ。

一方。 そんなイフリートとは打って変わり、ダリの登場に心躍らせる者がひとり。 ミョウジ・ナマエ。 言わずと知れた、ダリの恋人である。

飲み会が始まって以降、一度も話すことのなかったダリとナマエ。 そんな彼との思いがけないタイミングでの対面に、ナマエの顔には無意識のうちにニッコリ笑顔が浮かんでくる。

「ダリ先生! お疲れさまです!」
「…お疲れさまです」
「…?」

とびっきりの笑顔で挨拶をするナマエとは裏腹に、素っ気ない態度で返事をするダリ。 そんな彼のいつもとは違う反応に、ナマエは当然の如く違和感を覚える。 何かあったのかと心配になった彼女は、すぐさまダリに問い掛けようと口を開くけれど…

「あの、ダリ先「 "僕たち" も、ここのテーブルにお邪魔してもいいかな?」

それはおそらく、故意だった。 ナマエの言葉に被せるようにして、皆に問い掛けるダリ。 そんなダリの不可解な行動に、ナマエは更に強い違和感を抱かざるを得ない。 しかし話の腰を折ってまで問いただすのは憚れて… ナマエはそのまま黙り込む他なかった。

「 "僕たち" って…?」
「一体どういうことです?」

やけに "僕たち" を強調するダリに、ツムルとマルバスは率直な疑問を投げ掛ける。 どこをどう見たって、ダリひとりきり。 他に新たに加わった者など…

「ふぃ〜っ! お疲れ様です、皆さん」
「! スージー先生!」
「お疲れさまです!!」

ダリ以外誰もいないと思っていた彼らだったが、ひょっこりと。 ダリのすぐ後ろから顔を出す、スージー。 彼女の登場に、ツムルたちはワッと盛り上がりを見せる。

「今日はバビルスに関わる沢山の方が参加する飲み会ですからね〜 我々も色んな方と交流を図ろうと思いまして!」
「こちらにお邪魔させていただいたというわけです〜」
「なるほど…! そういうことでしたか!」

元来イベント好きの多い、教師陣。 そんな彼らにとって、ダリとスージーの組み合わせは、面白いことの代名詞と言っても過言ではない。 そんな陽気なふたりの息の合った様子に、ツムルたちは更に大いに盛り上がる。

「どうぞどうぞ! 空いているところに座ってください! あっ! ダリ先生はナマエさんの隣の方が…」
「いやいや、僕はこちらで結構ですよ」
「……っ、」

ナマエの隣の席に座っていたツムルが腰を上げようとした、その瞬間。 ダリはいつものように笑いながら、まさかのまさか。 断りの言葉を口にした。 そしてあろうことか、彼はそのままスージーの隣へと腰をおろしてしまう。

まるで自分のことなど眼中にもないような。 そんな彼の態度に、ナマエは言葉が出なかった。 思わずギュッと握りしめる拳。 ざわざわとした痛みが、ナマエの胸を締め付ける。

「それにしても… まーた偉く高いお酒を飲んでますねぇ」
「あはは! 毎度お馴染み、カルエゴ先生から理事長への嫌がらせですよ!」
「…ふん。 この程度では腹の虫も治りませんがね」
「毎度毎度、懲りないですねぇ! …あっ、そうだ、マルバス先生!」
「? はい? 何でしょう?」
「今回は幹事、お疲れさま〜! 色々と準備するの大変だったでしょう?」
「いえいえ! これも若手の仕事ですから! お気遣いありがとうございます!」
「幹事の仕事と言えば… カルエゴ先生の新任時の飲み会の話…」
「っ、な…ッ!?」
「あぁ〜! 高級レストラン予約したっていう、あの?」
「そうそう! いやぁ、そりゃあもう高くついちゃってねぇ! あれが行きつけのお店だって言うんだもんなぁ、ビックリしたよね」
「…その話はもういいでしょう!」
「それじゃあ… この話はどうです? 僕がカルエゴ先生の教育係をしてた頃の話なんですけどね、実は彼…」
「っ、だから! もういいと言ってるでしょう…!」

お喋りなダリが加わったことで、彼らの会話は一気に盛り上がりを見せる。 当時を思い出し笑う者やカルエゴの焦る姿を見て楽しそうにする者… 皆が笑顔で会話する中、ポツンと。 取り残された者が、ひとり。

「( やっぱり… 私の気のせいじゃ、ないよね… )」

所在なげにおちょこを両手でギュッと握りしめながら、ナマエは心の中で悲しげに呟いた。 先程から続くダリからの冷たい態度。 ニコニコと笑顔を浮かべ機嫌よく話している彼だったが、その瞳がナマエに向けられることはただの一度もなかった。

その事実に、ナマエの心は急激に冷え込んでいく。 キュッと喉が詰まるような、閉塞感。 頭の中には想像もしたくない、嫌な考えが次々と浮かんでくる。

ダリ先生に、嫌われたかもしれない… そんな悲しい考えが浮かんだ、その瞬間。 じんわりと滲み始める、涙。 このような場で泣いているところなど見せられないと、ナマエが咄嗟に俯いた… その時だった。

「ナマエさん、大丈夫?」
「っ、えっ…?」

頭上から聞こえてきたのは、とても穏やかで優しい声。 その声のあまりの安心感に、ナマエは無意識のうちに俯いていた顔をあげる。

「さっきから、大黒魔鏡そればかり飲んでるでしょ? 違うもの、頼む?」
「バラム、先生…」

その声の主は、バラム。 ダリとスージーの登場に他の教師たちが盛り上がる中、彼だけはお得意の観察力ですぐさまダリの異変に気づき、様子を見守っていた。

もちろん察しの良いバラムのことだ。 ダリの怒りの理由にもおおよそ見当がついていて、気苦労の絶えない彼には同情もするけれど。 それとこれとは別。 ナマエに辛く当たって良い理由にはならないと、バラムは迷わず彼女に手を差し伸べたのだ。

「僕が残さず飲むから、安心して。 はいこれ。 ドリンクのメニュー表」
「ありがとうございます… それじゃあ、お言葉に甘えて、「スージー先生のカクテル、美味しそうですね〜! ひと口、貰ってもいいですか?」
「……っ、」

バラムの優しさに助けられ、僅かだが平常心を取り戻したのも、束の間。 耳に届いた言葉に、ナマエはまたもや絶句する。 それは普段のダリからは、とても考えられないような言動で。

バラムから渡されたメニュー表からゆっくりと。 ナマエはダリとスージーの方へと、少しずつ視線をずらしていく。

「えっ、えっとぉ… 私は、その… 構わない、ですが…」

気まずそうにチラチラとナマエの様子を窺うスージー。 そんな彼女と目が合ったナマエだったが、思わずパッと視線を逸らしてしまう。 失礼な態度を取ってしまったことに罪悪感が押し寄せるけれど… 今は冷静になんてなれっこないと、ナマエの視線はそのまま下へ下へと向かっていった。

「そう? それじゃあ、遠慮なく! いただきまーす!」
「っ、……」

スージーが今の今まで使っていたグラスを、ダリは何の抵抗もなくスッと口元に寄せていく。 そんな彼の姿を、まともに直視なんて出来るはずもない。 俯いたままナマエはギュッと強く目を閉じる。 その瞬間、ぽたりと落ちる一粒の涙。 スカートにシミを作る光景を見つめながら、ナマエはただひたすらにこの時間が過ぎ去るのを待った。

「…うん、美味しい! スッキリしていて飲みやすいですね!」
「そ、そうですねぇ〜 誰にでも、飲みやすいお酒かと…」

呑気に感想を述べるダリに、スージーは内心ヒヤヒヤだ。 先程まで共に楽しく会話をしていたツムルたちも、ダリとナマエの異変に気づいたのか、黙って様子を窺っている。

「…さて! そろそろ次のテーブルに向かいましょうか! それでは皆さん、残りの時間も楽しんでくださいね〜」
「っ、お、お邪魔しましたぁ〜」

まるで何事も無かったかのように、ダリはこの場を去っていく。 スージーも腰を上げ、ペコリとひとつお辞儀をすると、ダリの後を追いかけて行った。

ふたりが去ったテーブルには、重くどんよりした空気が漂っている。 誰もが口を閉ざす中、このままではダメだと、気まずそうにイフリートが口を開いた。

「あ、あの… ナマエさん、大丈夫…?」
「きっ、気にしなくても大丈夫ですよ…! あのふたり、いつもあんな感じだし…」
「お、おい…っ! その言い方は…っ」

皆の腫れ物を触るかのような態度に、ナマエは申し訳ない気持ちが溢れてくる。 普段通りに振る舞わなければと、ナマエは目尻に僅かに残る涙を指で拭い、パッと顔を上げて笑顔を作った。

「皆さん、すみませんっ! 気を遣わせちゃって…っ!」
「っ、ナマエさん…」

誰の目から見ても、ナマエが無理をしていることは明らかだった。 必死で笑顔を作ろうとする彼女の健気な姿に、この場にいる全員が、ズキッと胸を痛める。

ダリを妬かせてしまったという罪悪感も少なからずあるツムルたち。 しかしそれを鑑みても、ダリが取った行動はナマエへの "当てつけ" としか思えなかった。

「っ、大体、何なんですかっ! ダリ先生のあの態度は…!」
「…う〜ん、気持ちは分かるけどねぇ。 今日のダリ先生、ちょっと意地が悪すぎるよね…」
「…あのひとらしくもない」
「ぁっ、…」

非難の目が次々にダリに向けられるのを感じて、ナマエは焦りを覚えた。 ダリの立場上、他の教師たちからの心証を害するのはよろしくない。 それに、せっかくの楽しい雰囲気を台無しにすることは避けたかった。 どうにかこの状況を打破しようと、ナマエは必死に頭を働かせる。

そして思いついた苦肉の策。 ナマエは右手をまっすぐ上にあげ、大きな声で思い切り叫んだ。

「っ、すみませーん! 店員さん! ハイボールひとつ!!」
「「「「「はっ…???」」」」」

何故か突然、注文し始めるナマエ。 そんな彼女の行動に、ツムルたちは、口をぽかん。 間抜けな顔で、呆気に取られる。

「あ、あの、ナマエさんっ? ヤケ酒はやめた方が…」
「マルバス先生、私…」

いち早く気を持ち直したマルバス。 ナマエが自暴自棄になって酒に逃げようとしていると考えた彼は、慌てて彼女を止めようと声をかけるけれど。 彼の声に被せるように、ナマエはそっと呟き始める。

「今日の飲み会… すっごく楽しみにしていたんです」
「っ、!」
「だから皆さんと、最後まで楽しく過ごしたい…」
「ナマエさん…」

それは、ナマエの心からの願いだった。 飲み会を楽しみにしていたのは事実。 …この場にダリがいないことに寂しさはあるけれど。 ツムル、イフリート、マルバス。 そしてカルエゴとバラム。 彼らと過ごす時間は楽しくて楽しくて。 そんな素敵な時間を嫌な思い出にしたくはなかった。

「…店員さーん! こっち、ハイボールもう一丁追加で!!」
「あっ、それなら僕も! お願いします!」
「つまみも何か頼みましょうよ! ハイボールに合う料理は… ナマエさん、何かオススメはあります?」

楽しみたいというナマエの気持ちを汲み取った、ツムルたち。 ダリへの不満や不安もあるだろうに… あくまで平静を装い強くあろうとするナマエの姿に、彼らはこれ以上何も言うことはできなかった。

"自分たちに出来ることは、彼女に目一杯楽しんでもらうこと。 ただそれだけだ" 、と。

「ハイボールなら… "唐揚げ一択" ですね!」
「さっすがナマエさん、分かってる〜!!」
「あっ、でも… カルエゴ先生がいるから鶏料理は…」
「噛み殺されたいんですか、マルバス先生」
「?? どうして鶏料理がダメなんです…?」
「っ、…アンタは知らなくていい!!」

毎度おなじみ "カルエゴに対する使い魔イジり" 。 モフエゴの存在を知らないナマエはきょとんと首を傾げ、不思議そうにカルエゴを見つめる。

純粋無垢な瞳を向けられ、思わずタジタジになるカルエゴ。 そんな彼の珍しく狼狽える姿に、ツムルたちは大いに盛り上がった。

その後も、彼らとの楽しい時間は続いていった。 弾む会話を肴に喉を通っていくのは、キンキンに冷えたハイボール。 炭酸の爽快感に混じるのは、ウイスキー独特のほろ苦い味。

何だかそれがいつもより少しだけ。 苦く感じる、ナマエなのであった。



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