第3話「恋は苦くて甘い味」



「えっ…? ダリ先生、寮に帰って来てないんですか…?」

時刻は、午前7時過ぎ。 朝食を食べる教師陣で賑わう食堂に、困惑を含んだナマエの声が響く。 と言っても周りの者たちは、美味しい朝食や近くの者との会話に夢中でナマエの声に気づく様子はない。 ただ1人、ナマエの目の前にいる彼を除いては。

「ダリ先生と同じ魔歴担当のバラム先生が悪周期に入っちゃって、数日前から学校を休んでいるんです。 バラム先生の代わりをダリ先生が担当しているんですけど、それがすごく忙しいみたいで… 昨日も作業に追われて、学校に泊まり込みだーって、嘆いていましたよ」

ナマエに向き合い、ダリの様子を語るのは、マルバス・マーチ。 一見穏やかで温和に見える彼だが、担当教科は拷問学。 その見た目とのギャップに、初めは驚きを隠せないナマエだったが、一度話してみると見た目通りの優しい青年で、歳が近いこともあり今では気兼ねなく話すことの出来る相手となっていた。

「そうだったんですね… でも帰れずに働き詰めなんて、ダリ先生、相当お疲れなんじゃ…」
「実際、かなりキツそうですよ… 学校の仮眠室で時々休んでるみたいですけど、昨日は目の下に隈が…」
「えぇっ…! そんな…っ!」

マルバスの言葉に、ナマエは焦った声を上げる。 いつもの朝食時、誰よりも早くナマエの元にやって来ては何かと騒がしいダリだったが、ここ数日。 その元気な姿を見せることは無かった。 何かあったのかと心配になったナマエが、マルバスに事情を尋ねたのがこの会話のきっかけ、というわけである。

「でも毎日、職員室でうるさいくらいにナマエさんの料理が食べたいって叫んでますから」
「っ、!」
「元気には、していらっしゃいますよ」
「そうですか… よかった…」

ナマエがダリの心配をしていることを感じ取ったマルバスは、彼女を安心させるため自分が知るダリの様子を笑顔で伝える。 まさかダリが自分の居ないところでもそのような言動を取っているとは思いもよらず、ナマエの胸は途端にドキッと音を立て始めた。

そんなナマエの様子を微笑ましく思いながら、マルバスはさらに彼女を安心させるように、ダリは元気だと告げる。 その言葉に、ナマエはホッと胸を撫で下ろす。 安堵の言葉は無意識のうちに溢れ出ていた。

「それに、バラム先生が今日から復帰されるんです。 だからダリ先生も、今日の夕飯は食堂ここで食べると思いますよ」
「…! 本当ですかっ?」

思わぬ朗報に、反射的に声を上げてしまうナマエ。 その声には、間違いなく喜びの色が含まれている。 そんな彼女の反応が可愛らしく、マルバスは思わずくすりと笑ってしまった。

「ナマエさんにそこまで心配してもらえるなんて、ダリ先生は本当に幸せ者ですね」
「っ…!」

自身を見つめるマルバスの優しげな瞳に、全てを見透かされているような気がして、ナマエの頬は途端に熱くなる。 恥ずかしさから、ナマエの目線は下へ下へどんどんと下がっていった。

「い、色々お話しくださり、ありがとうございました…! お時間を取らせてしまってすみません…! どうぞ、ごゆっくり…っ!!」

これ以上、この空気には耐えられない! 早急に話を終わらせようと口早にマルバスに礼を告げ、ナマエは急いでこの場を去っていく。 こういった態度や仕草も、ダリの加虐心を煽る要因となっているのだが… 当の本人は全く気がついていなかった。

「…あーあ、ダリ先生に先越されちゃったなぁ」
「ま、マルバス先生…? ナマエさんに手を出すなんて自殺行為は、やめておいた方が…」

そして加虐心を煽られた男が、ここにもまたひとり。 去っていくナマエの背をみつめながら、ポツリとマルバスが呟く。 その言葉を隣で聞いたツムルは、ギョッと青褪めた。 すぐさま諦めるように説得すれば、渋々と言った様子でマルバスは口を開く。

「わかってますよ〜。 …ダリ先生のお気に入りですもんね。 僕もまだ "死にたくはありません" から」

マルバスの言葉を聞き、ツムルはホッと安堵の息を吐き出した。 あのダリの、お気に入りの女の子なのだ。 そんなものに手を出してみろ、明日はないぞ… 普段温厚なダリが怒る姿を想像したツムルは、ぶるりとその身を震わせたのだった。




「( さて、何を作ろうかなぁ… )」

時は変わって、午後16時。 夕飯作りを開始しようと、ナマエは食堂のキッチンに立っていた。

「( メインは、焼き鳥? それともハンバーグ? 唐揚げも捨て難いけど… う〜ん、付け合わせは、ポテトサラダに、トマトのマリ、ネ… )」

夕飯の献立を頭の中で考えていたナマエだったが、突如思考が停止する。 彼女は、とんでもない事実に気がついてしまった。 気づきたくなかった。 だけどもう、手遅れだ。

「( 今思いついたの全部… ダリ先生の、大好物だ… )」

ナマエが頭の中に思い浮かべたメニュー。 それは以前、ダリが美味い美味いと何度もおかわりをし、絶賛してくれた料理ばかりだった。 ナマエは無意識の内に、ダリの好物を作ろうとしていたのである。 こうなればもう、さすがのナマエも認めざるを得なかった。

「( 私やっぱり、ダリ先生のこと… 好き、なんだ… )」

すとんと胸に、何かが落ちるような感覚。 一度認めてしまえば、それは意外にもすんなりと受け入れられた。 ナマエは今この瞬間、ダリへの恋心を自覚したのだ。

「( …もうぐだぐだ悩むのは終わり! …決めたっ! 今日の献立は、焼き鳥に、ハンバーグに、唐揚げ! 全部作っちゃうもん…! )」

普段は比較的おっとりとした性格のナマエだが、いざという時、意外にも大胆な行動に出ることが多い。 かなり偏ったメニューだが、一度決めたことは曲げない頑固なところも持ち合わせている。 そうと決まれば、のんびりしている暇はない。 焼き鳥の串刺しは手作業。 ハンバーグのタネはふんわり柔らかくなるようによく捏ねなければならない。 唐揚げは下味が重要だ。 効率よく作るために、ナマエは頭の中で段取りを決めていく。 普段の夕食と比べてかなり大変な作業になりそうだが今のナマエにとって、それは全く苦では無かった。

「よし…っ!」

エプロンの紐を結び直し、気合を入れる。 きっと疲れているであろうダリに少しでも元気になってもらいたい。 そんな気持ちが今、ナマエの胸の中をいっぱいにしている。 ダリが美味しそうに食べてくれる姿を想像しながら、ナマエは夕飯作りに取り掛かった。




「飲みに、行った…?」
「はい… 仕事が終わってすぐに決まったみたいで…」

待ちに待った、夕飯の時間。 続々と教師たちが集まる中、ダリの姿が見当たらず、ナマエは少し遅れてやって来たマルバスに声をかけた。 すると彼は、バツが悪そうに、ナマエにこう告げたのだ。

『ダリ先生は、バラム先生たちと飲みに行ったみたいです…』

予想外の言葉に、ナマエは思わず耳を疑った。 確認するかのようにオウム返しをするナマエの姿に、マルバスの罪悪感は膨れ上がっていく一方だ。

「代わりを担当してくれたお礼にと、バラム先生からお誘いがあったみたいで… 僕は少し残業があったから、参加せずに帰ってきたんですけど… すみません、すぐに連絡すべきでしたね…」
「そ、そんな…! マルバス先生は何も悪くないですから…! 謝らないでくださいっ!」

マルバスは食卓の上に並んでいる数々の料理を見て、すぐに自分が発した今朝の言葉を後悔した。

『ダリ先生も、今日の夕飯は食堂ここで食べると思いますよ』

この言葉を信じ、疲れているダリのため、腕によりをかけたであろうことは容易に想像できたのだ。

「お詫び、と言ってはなんだけど… お腹ペコペコだから沢山食べさせてもらいますね」
「…ありがとうございます。 マルバス先生」

せめてものお詫びにと、マルバスは目の前の食事を次々と平らげていく。 決して大きな体つきではない彼だったが、その豪快な食べっぷりに、そして自分を気遣ってくれているその気持ちに、ナマエの心はほっこりと温かくなった。

「おっ、何々〜? マルバス先生早食いでもやってるんですかって… 今日はえらいご馳走だな〜!!!」
「わぁーー!! 焼き鳥に唐揚げ!! それにハンバーグも!!!」

新たに食堂へやって来たツムルとロビンも輪に加わり、ナマエの周りはさらに賑やかになる。 マルバスのすぐ近くの席に着いた2人は 『いただきます!! 』と、元気よく手を合わせると、そのまま食事を開始した。

「相変わらず、うっまいな〜! ナマエさんの料理!」
どえもこえもえーんぶうまいえすれどれもこれもぜーんぶうまいですねッ!!!」
「バッカ、お前…! 飲み込んでから喋れ!! って、それ俺の唐揚げっ!! このやろっ、返せ…ッ!」
「ふ、ふたりとも、落ち着いてください…っ! まだまだ沢山ありますから…!」

突然始まるコントのような2人のやり取りに慌てながらも、ナマエの顔には笑顔が戻りつつあった。 そんな彼女を見て、マルバスは気付かれないようにホッと安堵の息を吐き出す。 底抜けに明るいツムルとロビンに心の中で感謝しつつも、目の前にニュッと現れたロビンの手を、マルバスは決して見逃すことはなかった。

「あでっ、」
「ロビン先生? 僕の唐揚げは渡さないからね?」

マルバスはパシッとロビンの手をはたき、唐揚げが盛られた皿を自分の元へと手繰り寄せる。 はたかれた手をスリスリと撫でるロビン。 そんな彼の表情は、驚いたとでも言うかのように、あんぐりと大きな口を開いている。

「バレてたーーーッ!!! マルバス先生、地味ーな顔してるのに、意外と目敏い!!」
「相変わらず、ズバッと言うね…」
「っていうか、顔は関係ねぇだろ…」
「ふ、ふふっ、あははっ」

3人の無茶苦茶だが流れるようなやり取りに、ついに堪えきれなくなったのか、ナマエが今日1番の笑い声をあげた。 その笑い声につられて、マルバスにも自然と笑顔が浮かんでくる。

『追加の唐揚げ持って来ますね』 そう言って笑顔でキッチンへと向かうナマエの背を、優しく見守っていたマルバスだったが、誰かがスッと隣に近づく気配がして、意識をそちらへと向けた。

「ナマエさん、元気になってよかったなぁ…」
「…! ツムル先生、気付いていたんですね」

こっそりと、耳打ちをしてきたのはツムル。 囁かれた彼の言葉に、マルバスは驚きの反応を見せた。 目を丸くするマルバスに、ツムルはニッと得意げな表情を返す。

「当たり前じゃんか。 俺の担当教科を忘れたわけじゃないっしょ?」

ムルムル・ツムル。 明るく陽気な彼の担当教科は、精神医学。 例えどんなに小さな感情の機微でも、決して見逃さない。 そんな彼にかかれば、家系能力を使わずとも、ナマエの揺れ動く恋心など簡単にお見通しだった。

「…ダリ先生も、罪な男だなぁ」
「いや、ほんとに」
「?? ダリ先生が、どうかしたんですか??」

今頃呑気に飲んでいるであろうダリを想像して、マルバスとツムルのため息が見事に重なった。 そんな彼らを不思議そうに見つめるロビン。 しかしその両手には大量の焼き鳥が握られていて… 通常運転なロビンの様子に2人は思わずホッと安心してしまった。

「お前はずっと、そのままでいてくれよ」
「うんうん」
「???」
「唐揚げのおかわり、持ってきました! どんどん食べてくださいね!」

訳が分からず頭に?を浮かべるロビンだったが、唐揚げを持ってきたナマエに気がつくと、すぐに瞳を輝かせる。 そんな彼の天真爛漫な姿に、苦笑いを浮かべるマルバスとツムル。 だがそれと同時、彼の存在の大きさに改めて感謝するのだった。



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