第21話「空のジョッキとため息と」



「はぁ…」

わいわいと騒がしい店内のとあるテーブルにて。 ある一点を見つめながら、それはそれは物憂げにため息を吐く男。 彼の名は、ダンタリオン・ダリ。 言わずと知れた、悪魔学校バビルスの教師統括である。

「ダリ先生、ここの料理とっても美味しいですねぇ」
「…そうですね」
「ダリ先生、ジョッキ空じゃないですか! 次もビールでいいです?」
「…そうですね」
「ダリ先生、そこのお醤油取ってくれなぁい?」
「…そうですね」
「「「………」」」

何度話しかけても、上の空。 それはまるで、壊れたロボットのように、ただひたすらに同じ言葉を繰り返すだけのダリ。 そんな彼の反応に顔を見合わせるのは、スージー、イチョウ、ライムの3人。

「ダリ先生のば〜か、あ〜ほ」
「…そうですね」
「いつもペラペラ軽いですよぉ」
「…そうですね」
「教師統括だからって調子乗りすぎぃ〜」
「…そうですね」
「ダメだこりゃ」

モノは試しと彼の悪口を言ってみれば、これまた返って来たのは先程と同じ言葉で。 イチョウは思わず、呆れたように両手を広げ肩をすくめてみせた。

「ふぃ〜っ… これは相当、重症ですよぉ…」
「まぁ… ダリ先生がこうなってしまうのも、無理はない気はしますが…」

ダリが先程からジッと見つめる先。 そこには、ツムルたちとそれはそれは楽しそうに酒を酌み交わすナマエの姿があった。

飲み会が進むにつれて、ダリの意識は段々とナマエの居る方へと傾いていき、そして今、現在。 彼の意識は完全に向こう側。 ナマエたちの動向を、必死に見守っているというわけである。

「んもぅ…っ! そんなに気になるなら向こうナマエのテーブルに行けばいいじゃなぁい! さっきからウジウジウジウジ… 鬱陶しいったらありゃしない!」
「そうですよ。 いつもはウザいくらいにバリケード張ってるくせに、どうして今日はそんなにしおらしいんです?」
「…君たち、ここぞとばかりに毒舌吐いてくるねぇ」

弱っているダリに対し、これ幸いと。 お酒の力も相待って、遠慮のかけらもない言葉を投げつけるイチョウとライム。 そんな彼らにようやく反応を示す、ダリ。 辛辣で無遠慮な同僚に不満を漏らしつつも、ダリには反論しようとする様子は見られない。

彼もまた酔いが回っているせいか、いつもより "おセンチ" になっているようで。 心の中のモヤモヤを誰かに聞いて欲しくて堪らない… そんな気持ちが彼の心を埋め尽くす。 イチョウの疑問に答えるようにして、彼は複雑な胸の内をポツポツと語り始めた。

「ナマエさんに… 飲み会を楽しんでくださいねって、言っちゃったんですよ…」
「それはいい心がけじゃないですか。 ナマエさん、毎日毎日、働きっぱなしですし」
「そうですよぉ。 良い気分転換になったんじゃ?」
「それにさっきも言ったけどぉ… 別に私たちに構わず、あっちに行ってくれていいのよ?」

一体それの何が不満なのか。 ダリの返答にイチョウたちは疑問を浮かべる。 ダリの願い通り、ナマエがこの飲み会を楽しんでいるのは明らかだ。 それにライムの言う通り、不満があるのなら、ダリもナマエと共に楽しめば良いだけのこと。 しかし今日の彼には、何か思うところがあるようで…

「だからこそですよ… ツムル先生たちとあんなにも楽しそうに盛り上がって、更にはカルエゴ先生とバラム先生とまで仲良くなってるし… そんな出来上がった雰囲気の中、ズカズカと割って入るような不躾な真似、僕が出来ると思います?」
「…正直、"どの口が言うのか" って言うのが率直な感想です」
「ふぃ〜っ… ダリ先生って、恋愛事になるとこんなにも面倒くさいひとだったんですねぇ…」
「ほんっと! 面倒な男は、だいっ嫌い! そんな理由で、ウジウジここで見守ってるってわけ?」

誰かにこの気持ちを分かってほしい… その一心で胸の内を晒したと言うのに。 返ってきたのはまたしても、辛辣な言葉の数々。 これにはさすがのダリもご立腹。 ずーんと暗い気持ちから、一変。 握りしめたままだった空のジョッキをダンっと机に叩きつけ、勢いそのままに、彼はその口を開いた。

「僕だってねぇ…! 何も好き好んで大切な大切なナマエさんを、酔っ払い共の集まりに放り出してるわけじゃないんですよ…!」
「うわっ、何か変なスイッチ入っちゃったぞ…!」
「…これはまた、面倒なことになりそうねぇ」

それはそれは切実な声と表情で、ダリは "本音" を晒し出す。 突然熱く語り始めたダリの姿に、イチョウとライムは心底面倒臭そうな表情を浮かべていて。 少しばかりお遊びが過ぎたかも… 彼らの頭にはそんな後悔の念がよぎった。

「本音を言えば! 今すぐにでもあの中に割って入って、ナマエさんは僕のモノだって見せつけるように抱きしめて、無理やりにでもキスしたい…!!」
「うわぁ… なんですかその思春期のこどもみたいなクソデカ感情…」
「それにあわよくば、そのままふたりで飲み会を抜け出して存分にイチャコラしたいし、僕に嫉妬させた罰として、たっぷりお仕置きをしてやりたい…!!」
「「「やべぇ…」」」

包み隠さず語られるダリの本音に若干引きつつも、イチョウは控えめにツッコミをいれた。 しかしそんな彼の反応も、今のダリには全く効果がないらしく… 更に恥ずかしい胸の内を曝け出すダリ。 これにはイチョウも女性陣も、ドン引きだ。

しかしこれもまた、今のダリには一切通用しなかった。 心の中を渦巻く複雑な感情を全て吐露したことで、少しは気分が晴れたのか… 先程までのどんよりとした面持ちは、心なしかマシになっている気がしないでもない。

「…と、まぁ。 ここまでが僕の本音です。 …でもね、そんな非常識なこと、出来るわけがないんですよ。 いくら飲み会とはいえ、今日はあくまで仕事の延長線… 彼らの交流を邪魔することは、僕の信条に反するんです」

それはまさに、ダリの "本音と建前" だった。 いつ何時でも、ナマエの笑顔や可愛らしい仕草を独占したい。 あの愛らしい姿を誰にも晒すことなく、自分だけに向けて欲しい。 そんな深く重い愛情は、常日頃からダリの心の奥底で、ぐるぐると渦巻いていた。

しかし、常識的に考えて。 そんなとこが叶うはずもない。 お互い成人し、手に職を持つ大人の身。 自分の感情だけで行動できる時代は、とうの昔に過ぎ去った。 建前は以上だなんてよく言ったものだと、ダリは自重気味に笑う。

「それに中途半端にナマエさんに構うくらいなら、知らぬ存ぜぬでいた方が…「っ、わぁあっ! だ、大丈夫ですかっ!?」

この話はここで終わりにしよう。 そう決意し、ダリが話を締め括りにかかった、その時だった。

少し離れたテーブルから聞こえてきたのは、ひどく慌てた様子の女性の声。 その声が聞こえた、その瞬間。 ダリの唇はぴたりと動きを止める。

その声のする方へゆっくりと、振り返るダリ。 彼の目に映ったのは… 咳き込むイフリートを心配そうに覗き込み、優しく背中を撫でるナマエの姿だった。

それはまさしく、"ダリがナマエに恋に落ちた瞬間" と、全く同じ状況で。 一瞬で燃え上がる、嫉妬の炎。 ドロドロとしたどす黒い感情が、ダリの心を覆い尽くしていく。

「…スージー先生」
「ふぃっ!? な、何でしょう…?」
「今から僕と、一緒に来てくれませんか」

へらりと、いつもと同じ笑みを浮かべているダリ。 しかしこの場にいる誰もが、確かに感じ取っていた。 彼の中にある "怒り" の感情を。

そんな状況で突然名前を呼ばれたスージーは、ビクッと体を震わせる。 そしてダリから告げられたのは、まさに地獄とも言えるような誘いだった。

「何だかものすご〜く、嫌な予感が…」
「大丈夫ですよ。 "いつも通り" ノリ良く話してくれさえすれば、問題ないので」
「そ、それは、大丈夫ではない気が…」

学校行事が行われる際、何かとコンビを組むことが多いダリとスージー。 息の合ったふたりの掛け合いは、生徒や教師からの支持も厚く、各行事を盛り上げる一助となっていた。

そんな自分たちの関係を把握した上での、ダリからの誘い。 これからダリが取るであろう行動を想像したスージーは、思わず言葉を詰まらせる。

「さっきの "信条" とやらは、どこに行ったのよ…」
「僕も皆さんと "交流を図る" んですよ。 信条には反していないと思いますが?」
「…ほんと、よく回る舌ねぇ」

今の状態のダリと話したところで、交流など深められるわけがない。 ライムはそんな意味を込めて、あえて "信条" という言葉を口にした。 しかしダリは、どこ吹く風。 ライムの嫌味も軽くかわして、彼はそのまま立ち上がる。

「それじゃあ行きましょうか、スージー先生」
「拒否権は… なさそうですねぇ…」

悲しいかな… 魔界は上下関係に厳しい世界。 上司であるダリからの命令とも取れる "誘い" を、スージーが断れるわけもない。 立ち上がるダリを視界に入れた彼女は、まるで憂鬱だとでも言うかのように、大きなため息を吐き出した。

「ほんと… ベイビーちゃんナマエも苦労するわねぇ」
「ご愁傷様です、ナマエさん…」

これからナマエの身に起こるであろうことを察したライムとイチョウは、心底同情するような表情を見せる。 イチョウに至っては、目を瞑り合掌ポーズまで取る始末。

「ふぃ〜っ… こんな役目、気が重いですよぉ…」
「スージー先生、ファイト…!」
「大変だけど、頑張って…!」
「言葉に全く重みがないですよ、おふたりとも…」

所詮は、他人事。 むしろその矛先が自分に向かなかったことに、ホッと胸を撫で下ろすイチョウとライム。 そんな彼らの心情を察しているスージーは恨めしげに呟く。

本当は行きたくないけれど、仕方ない… すでに背を向け歩き始めたダリを一瞥した彼女は、ゆっくりとその重い腰をあげる。 そして、ダリの背を追いかけるようにして、ナマエたちの居るテーブルへと向かうのだった。




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