第16話「仕上げに、愛想をひと振り」



「臨時講師、ですか…?」
「そう! 家庭科の授業のね!」

ニコニコと何とも楽しそうな笑顔を浮かべながら、陽気な声で話すのは、悪魔学校バビルスの理事長、サリバン。 そんな彼を前にして、困惑の表情を浮かべるのは、教師寮食堂スタッフである、ナマエ。 そのふたりの温度差が何だか可笑しくて、サリバンの後ろに控えるオペラは思わず口元を緩ませた。




今日も今日とて、いつも通り。 教師寮で皆の朝食を作り、片付けを終えたナマエ。 ひと息つこうと食堂のテーブルに腰掛けた直後、ダリがひょっこりと顔を出す。 そして開口一番、彼から告げられたのは驚きの一言だった。

『サリバン理事長が、お見えです』

その一言に、ナマエは目を丸くする。 サリバンがやって来たということは、今の言葉で理解できる。 しかし何故それを自分に告げたのか。 その意図が分からず、ナマエは困惑することしか出来ない。 しかしそんなナマエの疑問は、次のダリの言葉ですぐに解けることとなった。

『ナマエさんに頼みたい事があるとおっしゃっていて… 突然で申し訳ないですが、今から面会の準備をお願いできますか?』

そう言って、申し訳なさそうに眉を下げるダリ。 彼に謝るような点など何ひとつとしてないのだが、ナマエの心境を思うとそうせざるを得なかった。 現に、ナマエは驚きのあまり固まっている。

突如、魔界で随一の悪魔と称されるサリバンとの面会が決定したナマエ。 たとえ向こうが連絡も入れずに突然やって来たのだとしても、位階9ランクテトである彼を待たせてしまっているこの状況は、非常にまずい。

あれよあれよと言う間に準備を終えて、ナマエが教師寮の応接室へとやって来たのが、つい先程の話。

そうして、冒頭の会話へと繋がるのである。




「そうそう! この間は試食会、ありがとね〜! イルマくん、と〜っても楽しかったみたいでね? それを同じクラスの子たちに話したら、みんなナマエちゃんに興味持っちゃったらしくてさ〜! その料理の美味しさの秘密を知りたいって相当意気込んでるみたいなんだよ〜」
「は、はぁ…」

一体何を言われるのか… 緊張した面持ちで、サリバンと向き合うナマエだったが、彼の口から出た言葉は予想に反して、とても柔らかく優しいもので。 何かしでかしてしまったのかと内心気が気でなかったナマエは、ホッと胸を撫で下ろした。

「というわけで! イルマくんたちに、調理実習をしてあげてくれないかな?」
「私が、調理実習の講師…」

『ナマエちゃん、調理師免許は持ってるでしょ? それならぜーんぜん大丈夫! 問題なし!』 そう言ってにっこり笑顔を浮かべながら、親指と人差し指で丸を作るサリバン。 そんな彼の態度とは裏腹に、ナマエの中には迷いが生じていた。

確かにナマエは、調理師の免許を持っている。 料理や食材に関する知識も他者と比べてかなり豊富だ。 しかしそれは、自身が調理をすることを前提とした技術と知識。 誰かに教えるとなると、話が180度変わってくる。

「私としましては、そういった経験をさせていただけるのは大変ありがたいのですが… その…」

大人数相手に料理を教えた経験などないナマエの胸には、不安が膨れ上がる。 やってみたいという想いはあるものの、中々踏ん切りがつかない。 前向きなナマエにしては珍しく尻込みしている様子。 しかし、それもそのはず。 にこやかに笑うサリバンの隣で、眉間に皺を寄せ、不機嫌を露わにする男。 彼の存在が、ナマエの決断を揺るがせていた。

「………私が、何か?」
「っ、!」

チラリと視線を向ければ、ギロリと睨まれる。 そして返ってきたのは、ぶっきらぼうで短い一言。 その威圧感に、ナマエは更に縮こまる。

サリバンの隣に座るのは、問題児アブノーマルクラスの担任、ナベリウス・カルエゴ。 腕を組みジッとナマエを見つめるその瞳は、彼女が信用たる悪魔なのか、見定めているように見えなくもない。

そんな彼の冷徹な眼差しに見つめられ、ナマエは彼の心情を何となくだが察することが出来た。

「( 多分、私… カルエゴ先生に認められていないんじゃ… )」

教員免許も持たない自分が大切な教え子の講師になるなんて、きっと許せるはずがない。 そんなカルエゴの気持ちを推し量り、ナマエは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「イルマくんたちの担任であるカルエゴ先生は、今回の件を、その… ご了承いただいているのでしょうか…?」
「もっちろんだよ〜! ね! カルエゴくん!」
「…………異論はありません」

少しの間を置いてからの返答。 そんなカルエゴの態度にナマエは "やっぱり…" とショックを受けた。 誰だって、どこの馬の骨とも知らない者に、大切な教え子を預けるなんて嫌な話だろう。 しかし、サリバンがいる手前、断ることは出来そうにない。 それにぶっきらぼうながらも、カルエゴは了承の意を示したのだ。

「( 私に出来ることは、全力でやろう…! そうすれば、カルエゴ先生も、認めてくれるかもしれない…! )」

またもや料理人としてのプライドが、ナマエを奮い立たせる。 確固たる意志を胸に、ナマエは決意を新たにした。

「実習場所は教師寮の食堂にしようと思ってるんだけど… どうかな、ダリくん?」
「もちろん、問題ありません! ナマエさんもその方がやりやすいですよね?」
「あっ、はい…! 私も使い慣れている場所の方が、助かります!」
「うんうん! そうだよね〜! いやぁ、ナマエちゃんは本当に可愛くて素直で良い子だね〜! それに比べて、カルエゴくんは…」
「アンタに可愛いなどと思われなくて結構…っ! 反吐が出る…!」
「…!」

カルエゴのあけすけな物言いに、ナマエは思わず面食らう。 あのサリバンに対して、この態度。 そんなことを言って、カルエゴ先生は大丈夫なのだろうか… と心配になるナマエだったが。

「理事長の僕に対して、そのセリフはないんじゃなーい? カルエゴくん?」
「これは躾が必要なようですね、サリバン様。 イルマ様をお呼びして、使い魔召喚をしてもらいましょう」
「……っ、アンタたちのそういうところが嫌いなんだ!!」

どうやら、ナマエの杞憂だったようである。 仲良く… はないが、和気あいあいと騒ぐ彼らには、険悪なムードは感じられない。 …ひとり、本気で苛立っている者はいるのだが。

「オペラさんとカルエゴ先生は、先輩後輩の仲なんですよ」
「! そうなんですね…!」

コソッとナマエに耳打ちをしてきたのは、ダリ。 その言葉に、ナマエはなるほどなと、納得する。 きっと昔から変わらない関係なんだろうな… そんなことを思うナマエ。 未だ騒がしく会話をする彼らを見て、カルエゴの印象が少し柔らかいものへと変わった、ナマエなのであった。




「いやぁ〜! すっかり日が暮れちゃったねぇ!」
「計画を立てるのが楽しくて、つい話し込んでしまいましたね」

教師寮の玄関にて。 調理実習の打ち合わせを終えたサリバンが、グッと伸びをする。 元来、イベント好きのオペラも今回の打ち合わせが余程楽しかったのか、尻尾をゆらゆらと揺らしていた。

「それじゃあ、当日はよろしくね〜!」
「こちらこそ、よろしくお願いします! こちらの準備は我々にお任せください!」
「本日はご足労いただき、ありがとうございました!」

ひらひらと機嫌よく手を振り、オペラが手配した馬車へと乗り込むサリバン。 そんな彼らを見送るのは、ダリとナマエ、そしてカルエゴだ。

「カルエゴ先生も、遅くまでありがとうございました」
「…いえ、これも仕事ですので」

面倒なことこの上ないが、上司を見送るまでが彼の仕事。 やっと喧しい奴らが帰ったとカルエゴは内心、安堵の息を吐き出した。

そんな彼を労うように、声を掛けるナマエ。 ペコリと丁寧に頭を下げるその真摯な姿に、カルエゴは暫し黙り込む。

今日という僅かな時間を共にしただけであるが、ナマエという為人ひととなりを、カルエゴは理解した様子。 打ち合わせを終えた今、彼はナマエに対して、少なからず好感を抱いていた。

「この度は…」
「?」
「急な要請でしたが… 柔軟な対応、感謝します」
「っ! い、いえ、そんな…!」

突然の訪問。 さらには、無理なお願いまで。 もし自分が同じ事をされていたらブチ切れていただろうなと、カルエゴは考える。 打ち合わせ時の対応も、生徒たちのことをよく考え、どうすれば料理を身につけられるのか、そう言った目線で物事を考えているように感じられたのだ。

カルエゴから礼を言われたナマエは、思わず言葉に詰まる。 それはまるで自分を認めてもらえたような、そんな気がして。 ぶわっと溢れる、喜びの感情。 ナマエの胸は嬉しさからドキドキと高揚していた。

「当日はあのアホ共を、思いっきりしごいてやってください」
「…ふふっ。 分かりました! 思いっきり! しごいてやりますね!」
「…ふっ。 まぁ、あまり期待はしないでおきますよ」

それはほんの一瞬の出来事。 フッと柔らかく、カルエゴが笑う。 …そう、あのカルエゴが "笑った" のだ。

『それでは』 そう言って、カルエゴは大きな翼を広げて飛び立った。 そんな彼を呑気に手を振りながら見送る、ナマエ。 一方、カルエゴの "微笑み" を目の当たりにしたダリは、驚愕の表情を浮かべている。

「ナマエさん…ッ!!」
「? はい?」

焦るダリとは裏腹に、ナマエはのほほんとした返事を返す。 あの堅物のカルエゴに認められたことが相当嬉しかったのか、ニコニコと上機嫌に笑っていた。

「はぁ… ほんとにあなたってひとは…!」
「えっ? っ、きゃあっ、」

突然抱き寄せられて、小さな悲鳴をあげるナマエ。 ギュッと抱きしめる力は心なしか、いつもより少し強い気がして。 ナマエは戸惑いを隠せない。

「誰彼構わず、愛想を振り撒くのはやめてください… 気が気じゃないんですよ…!」
「わ、私、愛想なんて振り撒いてません…!」
「あれが、無自覚なんだもんなぁ…!」
「? ど、どういう意味ですか…?」

恥を忍んで胸の内を曝け出すダリだったが、それは不発に終わる。 ナマエには相手を魅了しているという自覚がこれっぽっちもない。 完全無意識、無自覚。 純粋で素直なその心は、あのカルエゴでさえも笑顔にさせてしまうほどの、魅力があるのだ。

「あー… 今すぐ、ナマエさんを抱きたい…」
「っ、なっ、なな、何言って、っ」

ナマエの恋人は、自分だ。 ダリは胸を張ってそう言える。 けれど胸の中に芽生えたこのモヤモヤは、どうしたって消えてはくれない。 ナマエを独占して初めて、満たされる "欲望" なのだ。

「…割と、本気なんですけどね」
「……っ!」

直接的なダリの言葉に、狼狽えるナマエ。 周りに誰もいないとは言え、そのようなことを突然言われて動揺しない方がどうかしていると思う。 しかしその直後のダリの声色に、ナマエはギュッと胸が締め付けられる。 自分を求めてやまない熱の籠ったその声にナマエの身体は、自然と反応を示していて。

「今すぐは、無理、ですけど…… 今日の夜、お部屋にお邪魔しても、いいですか…?」
「っ、…!!! もちろんです…ッ!!!!!」

結局。 ナマエはダリの誘いを断れず。 恥ずかしそうに、けれど、期待のこもった瞳で見上げてくるナマエが可愛くて可愛くて。 早く夜になれ…!!! そう思わずにはいられない、ダリなのであった。




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