第15話「恋心は強火で炒めましょう」



「本当にいいんでしょうか…?」
「いいのいいの。 そんなに気にしないで。 減るもんでもないし」
「で、でも…」

そう言って、何でもないように手の平から炎を出すイフリート。 ゆらゆらと揺れる紫の炎はどこか神秘的で、ナマエの胸には畏れ多い気持ちがどんどんと溢れてきた。

「魔界一と称される炎を… 私なんかの料理に使うなんて…」
「…その言葉、ダリ先生たちに聞かせてやりたいくらいですよ。 あのひとたち僕の炎を、あろうことかタバコの火なんかに使うからね?」
「ええっ!? 本当ですか…?」

魔界で最も火力の強い炎を生み出す一族である、イフリート。 そんな彼の炎をライター代わりにするダリたちの神経の図太さには、本人も呆れ顔だ。 ナマエはそんなエピソードを聞き、驚きを隠せない。

気高く美しい。 そんな最高峰の炎にも関わらず、周りがあまりに気軽に扱うものだから、普段は尻尾の炎でさえ消していた彼だったが…

「他ならぬナマエさんからの頼みですし」
「えっ…?」
「たまには僕も、良いところを見せないとね」
「!」

フッと優しげに微笑んで、柔らかい笑みを見せるイフリート。 そんな彼に、またもやナマエは驚きを隠せなかった。

先日のダリたちとの魔雀大会。 あの時はあえて語らなかったが、この男。 1位でアガれなかったことを、それはそれは心の底から悔やんでいた。 そして今日、ナマエの役に立てるかもしれないと気づいたと同時、自分の本当の気持ちにも気がついてしまったのだ。

"僕、ナマエさんのこと… 割とマジで、好きかもしれない" 、と。

もちろんイフリートには、ダリとナマエの仲を無理やり引き裂こうという気はさらさらない。 …ないのだが。 突如自分に舞い降りた、絶好の見せ場。 今格好をつけないで、いつつけるというのか。

「ナマエさんのためなら、炎のひとつやふたつ、お安い御用ですよ」
「イフリート先生…!」
「いやいやいや、可笑しいでしょ。 なーに甘い雰囲気になってるんですか!」

しかし、そんなイフリートの決意もすぐさま水泡に帰す。 ナマエに割と本気マジでアピールするイフリートを、この男が黙って見ているはずもない。

「ダリ先生、今は調理中なんですよ。 邪魔しないでいただきたい!」
「邪魔って… イフリート先生も言うようになりましたね…」

ハッキリと対抗心を露わにする、イフリート。 今までとはまるで違うイフリートの態度に、ダリは内心面食らう。 "まさか本気でナマエさんのことを…?" そんな疑問が心に生まれたその瞬間、ダリの頭には焦りの2文字が浮かび上がり始めた。

「…ナマエさん!」
「はっ、はい…?」
「僕、邪魔じゃないですよね? ねっ?」
「えっ!? えっと、その…」
「ナマエさん、ここはハッキリと言ってあげた方がダリ先生のためですよ」
「こら、そこ! 余計なこと言わない!」

ナマエには自分を最優先にしてもらいたい… そんな独占欲が、ダリの胸をいっぱいにする。 側から見ればそれは、"仕事と私、どっちが大事なの?" という、面倒な恋人の定番セリフと何ら変わりはないのだが… 今のダリにはそこに気づく余裕はなかった。

「じゃ、邪魔とかでは、ないですけど…」
「うんうん!」
「あの、もう少し… 静かにしていただけたら…」
「えっ!?」

"邪魔なわけないじゃないですか" "そばで見ていてくださいね" そう言って優しく微笑んでくれる… ダリの予想は、こうだった。 しかし、現実は非情である。 申し訳なさそうに眉を下げながらも、静かにしてと告げるナマエ。 予想とはかけ離れたナマエの言葉と表情に、ダリは開いた口が塞がらなかった。

「いつものコンロとは勝手が違うので、火加減が難しくて…」
「…だそうですよ? ダリ先生?」
「まともな理由すぎて反論できない…!」

普段のコンロとは違い、完全にイフリートの加減によって左右される火力。 真剣に調理に取り組むナマエに対して、これ以上の我儘は言えないと、ダリは渋々引き下がるのだった。




元々、食堂に設置されているコンロは4口。 家庭用というよりは、業務用。 それぞれが弱火から強火まで、かなり細かく火力を調整できていた。 そんな4つのコンロを駆使しながら、ナマエは毎日大量の食事を用意しているのである。

「火加減はどうですか? ナマエさん」
「えっと… こっちのフライパンのところをもう少しだけ、強くしていただけますか…?」
「これくらい…?」
「あっ、すごくいい感じです!」
「………」

故障中のコンロの前に立つ、ナマエとイフリート。 スイッチを回しても火が着くことはないが、今はイフリートという炎のスペシャリストがいる。

彼は各コンロに火をくべると、そのままナマエのすぐそばで待機。 そしてナマエが火力を調整するようお願いすれば、すぐさま対応する。 そんな状態での調理が続いていた。

具沢山のポトフを煮込む大きな寸胴鍋は、弱火でコトコト。 チキンのソテーを炒めるフライパンは、強火で皮にパリッと焦げ目をつける。 ナマエの細かなお願いにも、イフリートは難なく対応してみせていて。 そんな息の合ったふたりの様子を、ダリは言われた通りに静かにしながらも、複雑な心境で眺めていた。

「( 確かにナマエさんの料理がどうしても食べたいって言ったのは僕だけど… )」

自分のわがままで始まった今回のナマエとイフリートのお料理タイム。 ナマエの料理が食べたいのはもちろん紛れもない本心だが、今この状況を前にして、ダリは心穏やかではいられなかった。 まさかイフリートが、ここまで積極的にナマエに関わってくるとは予想していなかったのである。

「僕の炎で料理すると、何でも美味しくなるんですよね」
「えっ? そうなんですか…?」
「うん。 ただの野菜炒めも絶品になるくらいだから… ナマエさんの料理なんて、食べたら美味しすぎて気絶しちゃうんじゃない?」
「ふふっ。 それじゃあいくら美味しくなっても、食べられないじゃないですか」
「それもそうか」

黙って見ていることしか出来ない自分を放って、会話を楽しんでいるイフリートとナマエ。 ダリの胸に広がるのは、モヤモヤとした感情。 並んで立つナマエとイフリートの後ろ姿に、苛立ちは膨れ上がっていく一方だ。

「( …いやいやいや、仲良くしすぎでしょ。 僕には邪魔するなって言っておいて、自分たちは仲良くお喋りですか、そうですか )」

そんな不満をたらたらと垂らす、ダリ。 …もちろん口には出さず、心の中でだが。

「そっちの鍋のお湯は何に使うんですか?」
「ゆで卵を作ろうと思ってます! 茹でる前に、少しだけヒビを入れると、殻を剥くときにくっつかなくなるんですよ」
「へぇ! それは初耳だなぁ! どんな風にやるのか、見せてくれる?」
「はい! まず、スプーンで軽く卵を叩いて…」
「( なっ…!? )」

そんな会話のあと、グッと近づくふたりの距離。 もちろん、ズイッと距離を詰めたのは、イフリート。 ナマエの立ち位置は、先程までと全く変わっていない。 果たしてそこまで近づく必要はあるのかと問いたくなるほど、ふたりの距離は、縮まっていて。 その距離のあまりの近さに、ダリは思わずガタッと腰を上げる。

「ヒビを大きく入れてしまうと、茹でるときに中から卵白が溢れてきちゃうので… ちょん、っと本当に少しだけ。 ヒビが入ってるか、入ってないかくらいがベストです」
「力加減難しそうだね… ナマエさんが入れたヒビ、どんな感じかよく見せてよ」
「はい! こんな感じです!」
「どれどれ…」

そう言ってイフリートは、卵を持つナマエの手にしれっと自分の手を重ねて見せる。 イフリートが料理にここまで興味を示してくれることが嬉しくて堪らないナマエは、自身の手に触れられていることに、まるで気がついていない様子。

そこでついに、ダリには限界が訪れる。 これ以上、彼らを黙って見ていることなど出来なかった。

「ナマエさん」
「! だ、ダリ先生…?」

ズカズカと、ダリはコンロの前までやって来て、ナマエの名前を呼ぶ。 その声は穏やかながらも、明らかに静かな怒りが含まれていて、ナマエは思わずびくりと体を震わせた。

「僕の前で堂々と、他の男と仲良く料理するなんて… ナマエさんは酷いひとだなぁ」
「えっ、?」
「手。 イフリート先生に握られてますよ」
「手…? っ、ぁ…っ! ご、ごめんなさい…!」

ダリに言われて初めて、ナマエは手を握られていたことに気がついた。 慌てて離れようとするけれど、ナマエの手には生卵。 力を入れてしまえば、割れてしまう。 イフリートから離してもらおうと、彼に視線を送るけれど…

「これはあくまで作業の一環ですよ、ダリ先生」
「明らかに作業の範疇を超えています。 …これ以上はさすがの僕も黙ってはいられませんよ、イフリート先生?」

それはそれはバチバチと。 ダリとイフリートの間には火花が飛び散っていて。 ナマエは思わず、言葉に詰まる。

ダリが怒るのは、分かる。 先日の試食会での入間との件で、ナマエは痛感していた、はずなのに。 またも、自身の危機感の無さが招いたこの事態に、申し訳ない気持ちが溢れてくる、のだが…

「( どうして、イフリート先生まで…? )」
「…というわけで! 今から僕もナマエさんの隣で見ていることにします!」
「えっ?」
「は?」

イフリートがここまで必死になる理由が分からず首を傾げるナマエだったが、ダリの一言でハッとする。 彼も隣で見ている…? その言葉に、暫し固まるナマエ。

何が "というわけで" だと、イフリートにも少しずつ苛立ちが込み上げてくる。 静かに見ていろと言われたのに、どこまで我儘なのか。 そんな意味が込められた「は?」という一文字だった。

「黙っていればいいんでしょう? それに僕には、教師統括として今回の件の詳細を把握する義務がありますから」
「そこまでダリ先生のお手を煩わせるわけにはいきません。 後で僕がきちんと報告しますから、ご安心ください」
「ちょ、ちょっとおふたりとも…! 一旦、落ち着い、」

更にヒートアップするふたりのやり取りに、ナマエは慌ててストップを掛けようと声を上げる。 しかし、視界の端に映った光景に、彼女は驚愕の表情を浮かべ、大声で叫んだ。

「わぁあっ! イフリート先生! 火っ! 火!」
「「えっ?」」

お互い睨み合っていたダリとイフリートだったが、ナマエの慌てふためく様子に、揃ってコンロへと視線を向ける。

そこには、轟々と燃え上がる火の柱が。

「っ! あつ…っ、」
「ナマエさん…っ!!!」

とんでもなく熱い熱気から庇うように、ガバッとナマエを抱きしめるダリ。 イフリートは慌てて火力を抑え込み、何とか事なきを得る。 しかし、肝心のフライパンの中身は…

「……焦げちゃった」
「「………」」

美味しそうにパリパリの焦げ目をつけていたチキンソテーは、もはや見る影もない。 真っ黒に焦げてしまったそれを見てナマエは、それはそれは悲しそうに呟いた。

そんな彼女の姿に、良心をこれでもかと抉られるダリとイフリート。 自分本位に動いたせいでこのような事態を招いてしまったと、彼らは自身の軽率な行いを恥じる。

「うわぁ… 見事に焦げちゃってますね!!!」
「っ、! ロビン先生…っ!?」
「今は、ちょっと…っ!」

まるでお通夜のような気まずい雰囲気が漂う中、突然ヒョコッと現れたのはロビン。 あまりにも陽気な彼を止めようと、ダリとイフリートが同時に動き出す。 しかし、これまたアッサリと。 ロビンは何でもないかのように、ハッキリと言い放った。

「でもこのお肉、イフリート先生の炎で焼いたから、美味しいんじゃないですか?」
「えっ…?」
「「は?」」

ロビンの言葉に、またまた呆気に取られる3人。 その発想には毎度毎度、驚かされてばかりだ。

物は試しと、ナマエは焦げたチキンをまな板の上に取り出し、包丁を入れる。 中はかろうじて無事だったが、分厚いコゲがお肉を覆っているのには変わりない。 ひと口分を手で掴むと、ぱくりと口の中に放り込んだ。

「…………美味しい、」
「「……!!!」」
「ほら〜! だから言ったでしょ!!!」

『少し苦いですけど、とっても美味しいです』 そう言って笑うナマエに、心底ホッとしたように胸を撫で下ろす、ダリとイフリート。

一方、またもや褒めて褒めてと、瞳を輝かせるロビン。 そんな彼に、ダリとイフリートは心の底から、感謝する。 ふたりしてその大きな手を、ロビンの頭に乗せて、ガシガシと少し乱暴に撫で付けるのであった。




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