第10話「焼くのはヤキモチだけにして?」のスキ魔



「すっげぇ美味そうな匂いがする…」
「さっき朝ご飯食べたところなのに僕、唾液だらだらなんですけど」
「朝ご飯も、すげぇ美味かったよな…」
「うんうん、今日も最高の朝ご飯だった…!」

入間の試食会、当日。 学校が休みである今日、ナマエは朝からせっせと夜の試食会の準備を始めていた。 そんな彼女の様子を食堂の入り口からこっそりと覗いているのは、ツムル、マルバス、イチョウ、イフリート。 毎度おなじみのこの4人である。

今日は試食会という一大イベントで大忙しの日だが、もちろんナマエは本業である食堂スタッフとしての仕事も怠らない。 今日の朝食は、ふわふわとろとろのスクランブルエッグとカリッと香ばしく焼いた分厚めのベーコン。 主食はパンと白米どちらか好きな方を選べて尚且つ、汁物もコンソメスープか味噌汁を選べるという贅沢なものだった。

"スープかお味噌汁、どちらにしますか?" と、天使のような微笑みで問い掛けてくれたナマエを思い浮かべ、ツムルたちはだらしなく頬を緩ませる。

「コンソメスープも捨て難かったけど… ナマエさんの味噌汁、超美味いんだよなぁ…」
「分かる…! 寝起きの体に一杯、最高だよな〜!」
「ロビン先生は両方頼んでましたよ? ちなみに僕もあとからおかわりしました」
「はぁっ!? ずっりぃ!! 俺もコンソメスープ飲みたかった…!!!」
「"どっちかだけ" なんて言われてないからなぁ。 僕も両方お願いしたらナマエさん、すっごく喜んでたよ」
「う、羨ましい……ッ!!!!」
「てか、ナマエさん料理しながら鼻唄歌ってね? …可愛いな、おい」
「ほんとっ? ちょっ、僕も聞きたい…!」
「お、おい…っ、前にも言ったけど! あんまりそういうこと言うなって! ダリ先生に聞かれたらまずいんだからさ…!」

大の男が、やいのやいのと。 食堂の入り口でコソコソ話す姿は、なんとも言えない物悲しさがある。 これだけ騒げば気づかれてもおかしくはないのだが、ナマエは今料理に夢中でそれどころではないようで。 無意識に鼻唄まで歌っているのだから、それも無理はないだろう。

「それにしても試食会なんて… サリバン理事長も面白いこと考えるよな」
「前回の見学ツアーも楽しかったですよね」
「俺は精査を乗り切るのに、どれだけ精神を削られたか…!」
「あのカルエゴ先生が引率だったもんなぁ… そんなこと出来るの、バビルスではサリバン理事長くらいだよ」

悪魔社会は、完全なる実力主義。 自身の位階ランクがものを言う。 上下関係に厳しい、シビアな世界なのだ。 位階8ランクケトであるカルエゴと、位階9ランクテトであるサリバン。 どちらが上かは、言うまでもない。 そんなサリバンからの命令に逆らえず… カルエゴは付き添いをする羽目になったのだった。

「あの時はまだナマエさんがいなかったから… 今日の料理を食べたらイルマくん、きっと驚きますよ!」
「だよな〜! 俺も初めてナマエさんの料理を食べた時、めちゃくちゃ衝撃だったもん」

あの時の衝撃は忘れられないと、ツムルは語る。 ナマエが初めて食堂で料理を出してくれた日。 自分たちのプライベートな領域に、見慣れない、それも可憐で美しい女性がいる… そんな状況に緊張し、何だかそれがむず痒く、皆がソワソワしていたことを思い出す。 しかしあの日出された夕飯のあまりの美味しさに、そんな緊張などすぐにどこかへ飛んでいってしまったのだ。

「確か最初のメニューはハンバーグだったよね? …いやぁ、確かにあれは衝撃だったなぁ」
「肉汁たっぷりの、デミグラスハンバーグな!」
「あの時、完全に胃袋掴まれたよなぁ… 俺もう、ナマエさんの料理なしでは生きていけねぇわ…」
「完全に今じゃ僕ら、ナマエさんの料理におんぶに抱っこですもんね…」

毎日毎日、自分たちの食事の世話をしてくれているナマエ。 その存在の大きさを、改めて実感する4人。 誰からともなく、食堂の入り口からそっと顔を覗かせ、キッチンの方へ視線を向ければ… 真剣な表情で料理に取り組むナマエの姿が目に入った。

「これだけ頑張ってるのを見たら… 応援したくもなるよな」
「ですね」
「だな」
「うんうん」
「ほんとにね〜」
「………ん?」
「「「ん?」」」

ツムルがしみじみと呟いた言葉に、マルバス、イチョウ、イフリートの3人が深く同意し、頷く。 しかしどこか違和感が。 その違和感にいち早く気がついたツムルは、ん?と首を傾げる。 そんなツムルに対して、ん? とさらに首を傾げる3人。 何だか嫌な予感が… 4人の頭には、そんな言葉が浮かんでくる。 ゆっくりと、4人は同時に振り向いた。 その先で待っていたのは…

「やぁやぁ、皆さんお揃いで!」
「「「「…………」」」」
「あはは。 そんな顔しないでくださいよ、傷ついちゃうなぁ、僕」

こちらも、毎度毎度おなじみ。 ニッコリと良い笑顔で笑う、ダリの姿。 予想通りすぎるの人物の登場に、ツムルたちはもはや驚きを通り越し、げんなりと呆れてしまう。 そんなあからさまな彼らの態度が可笑しくて、ダリは呑気に笑ってみせた。

「ど、どうしてここに…?」
「ナマエさんの様子を見に来たんですよ。 そしたら、コソコソと食堂を覗く先生方の姿が見えたので、近くで話を聞かせてもらいました」
「…全然気づかなかった」
「怖ぇよ、マジで…」
「可笑しいなぁ。 魔術も何も使ってないんですけどね〜?」

そう言って、またもや呑気にあははと笑うダリ。 何だかんだと言っても、この男。 さすがはバビルス教師陣トップに立つ、統括である。 いくら話に夢中になっていたとは言え、ツムルたちは彼の存在に全く気づくことが出来なかった。 これは鍛錬が必要だな… 彼らの心に、そんな小さなやる気の炎が燃え上がる。

「…さて、皆さん! お喋りはこの辺にして! 今日は忙しくなりますよ〜!」
「えっ? 俺たち今日は休み…」
「なーにを呑気なこと言ってるんですか、ツムル先生! 理事長のお孫さんであるイルマくんがやって来るんですよ? …しっかりと寮内を綺麗にしないと!」
「そっ、そんな…!!」

ダリの無情な言葉に 『せっかくの休日が…』 と、がっくり肩を落とすツムルたち。 しかしそんな中、いち早く気を持ち直したイチョウが、徐に口を開く。

「まぁ、貴重なナマエさんの鼻唄も聞けたことだし」
「ちょっと音痴で、可愛かったよな〜」
「僕たちが聞いていたって知ったらナマエさん、どんな反応見せますかね?」
「っ、おい…っ! だからそう言うことを言うなって何度も…っ!?」

先程聞こえてきたナマエの鼻唄。 その可愛らしさにほっこりしたことを思い出すイチョウ。 あまり上手くないところがまたいいと、イフリートも便乗し始める。 ナマエをからかうような発言をするマルバスは、Sっ気をまるで隠しきれていない。 そんな彼らに、焦るツムル。 もはやお約束のこの展開。 ツムルの背中には、だらだらと冷や汗が流れ落ちる。

「…どうやら随分と、楽しんでいたようですね?」
「あっ、いや…! これは、そのぉ〜…」
「見てただけ! 本当に見てただけですから…!」

自分たちの置かれた状況の悪さにようやく気づいた、イチョウ、イフリート、マルバス。 必死に言い訳を探すも、ダリの笑顔の恐ろしさにまともな言葉は出てこない。 そんな彼らを、すんなりとダリが見逃すわけもなく。

「それだけのんびりとしている暇があるのなら、大丈夫ですね! ツムル先生たちは、エントランスと談話室、それから各フロアの廊下の掃除をお願いします」
「「「「えぇーッ!?!?」」」」

『お願いしますね?』 再度、念を押すようにニコニコと笑顔で告げるダリ。 そんな彼の笑顔の圧力に反抗できる者は、この場に誰ひとりとして存在しなかった。

そう。 悪魔社会は、完全なる実力主義。 上下関係に厳しいのである。

「いやぁ、助かります! 優秀な同僚を持てて、僕は幸せ者ですね!」
「「「「…………」」」」

わざとらしくおだてるような発言をするダリに、じとりと恨めしげに視線を送るツムルたち。 そんな彼らを見て、ダリはまた声をあげて笑うのだった。



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