第10話「焼くのはヤキモチだけにして?」



「…うん、美味しい!」

出来上がったビーフシチューの味見をして、ナマエは自信たっぷりに頷く。 目の前でコトコトと湯気をあげるビーフシチュー。 長い時間をかけて煮込んだお肉はとろとろに柔らかく、しっかりと味が染み込んでいて、ナマエは満足気にニッコリと笑った。

「( イルマくんが、私の得意料理を食べたがってるって聞いた時は、少し驚いたけど… )」

ダリが試食会で何を食べたいかと入間に尋ねた際、返ってきたのはまさかの "ナマエの得意料理" という言葉だったそうで。 これにはナマエの料理人魂も、メラメラと熱い炎が燃え上がってしまい… 絶対に美味しいって言わせてみせる! と意気込んで、ついに試食会この日を迎えたのだ。

「( …私って結構、プライド高かったんだなぁ )」

自分の知らない一面を知り、ナマエはしみじみと感慨に耽る。 入間がどのような意図を持ってその発言をしたのかは、定かではない。 ダリの話を聞く限り、入間はこちらを挑発するような性格の持ち主では無いようだが、ナマエにとってそれは大した問題ではなかった。

"相手の求めるものを作りたい"

近頃は食堂の調理スタッフとして、教師陣には褒められもてはやされてばかりで忘れていた、ナマエの料理人としての "意地" が、入間の発言によってひょっこりと顔を出してしまったのだ。

「これまた食欲をそそる、美味しそうな匂いですね〜!」
「…! ダリ先生!」

そう言って、食堂の入り口からひょっこりと顔を出したのは、毎度おなじみナマエの恋人、ダンタリオン・ダリ。 ニコニコと笑みを浮かべながらやってきた彼は、ナマエが準備した料理の数々を見て、その笑みをさらに緩ませる。

「おっ! 今日のメインは、ビーフシチューですか…! 僕、ナマエさんのビーフシチュー大好きなんですよねぇ… お肉が口の中でほろほろ溶けていくのが堪らないんですよ〜! それにこの付け合わせのフォカッチャも、ふわふわもちもちで… シチューをつけて食べると最高なんですよね… わっ、こっちには僕の大好きなトマトのマリネまで…! しかもサラダは、ナマエさん特製のシーザードレッシング…っ!?」

テーブルに並ぶ料理の豪華さに、ついつい流れるようにコメントをしてしまうダリ。 どれもこれもダリが本当に大好きなものばかりで、言葉ひとつひとつに重みがあるのが痛いほど伝わってくる。 大袈裟なほどの食リポにナマエは少し照れ臭くなるが、ダリのその気持ちが嬉しくて、返す言葉にも熱がこもる。

「今日の試食会は、先生方に人気のメニューを作ることにしたんです! 他にも、唐揚げとポテトサラダも用意しています!」
「…最強の布陣じゃないですか。 これで喜ばない男なんて、この世に存在しないですよ…!」

ダリのその言葉に、ナマエは思わず『よしっ!』と心の中でガッツポーズを決めた。

"得意な料理は何か?"
今回の試食会を迎えるにあたり、ナマエは改めてじっくりとその問いの答えを探してみた。 簡単に答えが見つかりそうなものだが、それは意外と奥深く。 暫くの間、頭を悩ませたナマエだったが、その答えは常に彼女のすぐ側にあったのだ。

「私、毎日のように先生方に "美味しい" って言ってもらえるのがすごく嬉しくて… どんな料理を作ればもっと喜んでくれるかな? とか、飽きないように味付けを変えてみよう、とか… 気がつけばそんなことばかり考えていたんです」

ナマエが食堂スタッフとして働き始めてから今日に至るまで、教師寮の皆がナマエの料理を美味しい美味しいと絶賛してくれた。 もちろん時と場合によって、大袈裟に伝えているケースもあるだろう。 誰にでも味の好みはある。 万人受けする料理などありはしないとナマエは冷静にそれを受け止めていた。 しかし、料理人のさがなのか。 皆に喜んでもらいたいと思う自分がいる。 せめて1人でも多く、心の底から美味しいと思ってほしい。 食堂で働くようになってからは、そんな気持ちがナマエを動かしていた。

「そうやって私が何か新しいことに挑戦するたび、ダリ先生たちはそのことに気づいてくれて、それがまた嬉しくて… 私、どんどん "自信" がついていったんです」

『ナマエさん、今日のハンバーグのソース… いつもと違いました?』
『今日のも美味しかったけど、俺はいつものやつの方が好きだなー』
『僕は今日のソースの方が好きでした! サッパリしていて美味しかったです』

出されたものをただ食べるだけではなく、ちゃんと意見も出してくれる。 そんな彼らをナマエはとても信頼していた。 そして彼らが "美味しい" と言ってくれる度、それはナマエの "自信" へと繋がっていく。

「そういうわけで、私の得意料理は… "先生方が美味しいと言ってくれた料理なんだ" って考えに至りました。 …少し、強引ですかね?」

そう言って、少し照れ臭そうに、ナマエは小さく笑った。 熱く語った彼女の考えを、ダリは心底尊敬し、同時にとても愛おしく思う。 自分の仕事に真摯に向き合い、成長することを止めないナマエの姿は、とても美しく、惚れ直すほどだった。

「そんなことない。 すごく… 本当にすごく、素敵な考え方です。 それに、僕たちの言葉でナマエさんに自信を持ってもらえるのなら… それ以上に嬉しいことはありません」
「ダリ先生…」

珍しく真面目に言葉を返すダリに、ナマエの胸にはじぃんと温かい気持ちが溢れてくる。 熱く語る自分の話を茶化すことなく聞いてくれるところ。 そして常日頃から自分の料理に対して1番に意見をくれるところ。 そんなダリが愛おしくて仕方ない。 ナマエもまた、今回の試食会を経験することで、ダリの存在の大きさを実感し、改めて惚れ直していたのだった。

「それにしても、ナマエさんをここまで本気にさせるなんて… さすがだなぁ、イルマくん…」
「私は、イルマくんのおかげで自分の新たな一面を知れましたから… 感謝したいくらいです! 私もまさか自分がこんなに張り切っちゃうなんて、思いもよりませんでしたよ」

お互いに少し照れ臭い雰囲気の中、ダリが徐に口を開く。 それは今回の主役である、入間について。 冗談めかして入間を褒めるダリに、ナマエは思わず苦笑い。 けれど、彼に感謝したいという気持ちは本物で。 早く来ないかなぁと、ナマエの胸は無意識にワクワクと動き出していた。

「……何だか少し、妬けちゃうなぁ」
「えっ、?」

それは突然だった。 ダリの口からこぼれ落ちた言葉に、ぽかんと口を開けるナマエ。 そんな少し間抜けな表情も可愛いと、ダリは呑気にそんなことを考える。 しかし、妬けるという言葉も本心で。 呆気に取られるナマエのため、その言葉の意味をつらつらと説明していく。

「僕以外の男のために、こんなに一生懸命料理をするナマエさんの姿を見てたら… イルマくんが羨ましいなあ、なんて」
「っ、だ、ダリせんせ…っ、ちょっ、と…!」

羨ましい。 それは紛れもなくダリの本心だった。 もちろんダリの為に食事を作ってくれる機会は、今までにも沢山あった。 弁当も、そのうちのひとつだ。 だけど、これほどまでに神経をすり減らし、何日も頭を悩ませて、食事を作ってもらえる入間に対し、思うところがない… とは、さすがのダリでも言い切れない。

「今度は… 僕のためだけに、作ってくれますか?」
「っ、〜〜!!!」

グイッと腰を引き寄せて、耳元で囁く。 ナマエがこの行為に弱いことを、ダリはよーーく知っていた。 みるみる内に真っ赤になる、ナマエの頬。 そんな彼女の様子を見て、ダリの嫉妬心は少しだけ和らいだようだ。 しかし、まだ足りない。 そのままナマエの頬に手を添えて、視線を合わせる。 恥ずかしそうにしながらも、そっと瞼を閉じたナマエが愛おしくて堪らなくて… ダリも静かに瞼を閉じた。 …その時。

「あ、あの…っ!」
「っ、!?!?!?」

食堂に響く声。 それは少し高めの、男の子の声だった。 突然やって来た聞き慣れない声に、ナマエは心臓が飛び出しそうなほどビクッと体を震わせる。 一方、ダリはというと… 何事もなかったかのようにニコニコと笑顔を浮かべていて。 ナマエはそんな彼の様子に目を白黒させることしか出来なかった。

「やぁ! イルマくん! いらっしゃい!」
「い、イルマくん…っ!?」

ナマエは声のした方へ視線を向ける。 するとそこには、気まずそうにこちらを見つめる男の子の姿。 そして、そんな彼に向けて放たれたダリの言葉に、ナマエはまたもや驚きの声を上げる。 まさかのまさか。 今日の主役である入間が、そこに立っていたのだ。

「す、すみません…! おふたりの邪魔をするつもりは、無かったんですけど…! そのっ、焦げた臭いが…」
「焦げた……? っ、わぁあっ、大変…っ!!」

入間の言葉に、ナマエは慌ててキッチンのオーブンへと向かっていく。 開いたオーブンから出てきたのは、無惨にも真っ黒に焦げてしまったフォカッチャ。 試食会に出す前に味見をしようと、トースターにかけていたことを忘れていたのだ。

「ありがとう、イルマくん! 僕はナマエさんに夢中で、焦げた臭いには気づかなかったよ!」
「っ、ダリ先生…っ! 生徒さんにそんなこと…!」
「あ、あはは…」

悪びれる様子もなく、ダリはヘラヘラと笑いながら入間に礼を告げる。 おまけにナマエに気があるようなことを平気で言ってのける彼に、ナマエは慌てた様子を見せるが、入間は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。

「( 焦げた臭い "には" 気づかなかったって… 僕には気づいてた、ってことだよね… )」

ダリの言葉の意味を、持ち前の勘の良さで読み取る入間。 そう、入間の言う通り。 ダリは彼が食堂に入ってきたことに最初から気づいていた。 気づいた上での、あの言動キス未遂なのである。

そんなダリの行動が意味すること。 いくら恋愛経験に乏しい入間でも、さすがに分かる。 それは…

「( 牽制、だよね… やっぱりダリ先生、ナマエさんのこと… )」

"僕もすっかり、ナマエさんの虜だからねぇ"
先日、ダリの口から聞いた言葉が入間の脳裏に浮かぶ。

それはナマエの料理に? と問うた入間に対して、いつもの調子でひらりとかわしたダリ。 けれど、あの時の自分の直感は正しかったのだと、今ならハッキリと言える。

「( めちゃくちゃ、好き、なんじゃ… )」
「さて、イルマくん! そろそろ食事の準備ができるみたいだから、席に着いて待っていようか!」
「っ、は、はい…っ!」

いつもと変わらない、ニコニコと掴みどころのない笑みを浮かべているダリ。 しかし、今の入間にとって、その笑顔は少し。 恐ろしく感じられるのだった。



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