第8話「15時のおやつのお届けです」



休日の教師寮、談話室。 そこは教師陣の憩いの場として、皆が利用できる部屋。 いわゆる、寮内の "共有スペース" である。

そのような共有スペースを利用する場合、通常ならば皆が気持ちよく過ごせるように気を遣うことだろう。 しかし、ここは独身男性の巣窟。 溜まりに溜まった洗濯物。 あちらこちらに散らばる漫画や雑誌。 お菓子の箱や空き缶なども散乱し、やりたい放題の出しっ放し状態。 …そこはまさに、無法地帯であった。

「今日の昼ご飯もめちゃくちゃ美味かったなぁ〜!」
「休みの日まで食事を用意してくれるなんて、ほんとナマエさんには感謝しかないですよ」
「彼女が来てから僕たち、確実に健康になってるもんなー」
「いやマジでナマエさんには足を向けて眠れないよ」

そんな無法地帯に足を踏み入れたのは、ツムル、マルバス、イフリート、イチョウの4人。 食堂での昼食を終え、今日はここでゆっくり過ごそうとやって来たようだ。 この部屋の惨状を目の当たりにしても、彼らに驚く様子は見られない。 それはこの部屋が常にこの状態であることを、暗に意味しているのだが… そんなことに気づく者は誰ひとりとしていなかった。

ナマエが出してくれるバランスの良い食事で健康になっていると豪語するイフリートだが、このような部屋で生活をしていては精神衛生上、よろしくない。 しかし彼らは、悲しいかな、全員が独身男性。 家事を面倒に思う者も多く、この部屋ではダラダラと過ごすのが常となっている。 もちろんツムルたちも例外ではない。 散らかりきった部屋など気にも留めず、彼らはそのまま大きなテレビの前のソファへと腰掛けた。

「今日は何にする? 格ゲー? レース系?」
「俺、レース系苦手だから、違うのがいい〜」
「どうせなら何か賭けましょうよ。 …そうだ! 夕飯のおかずとかどうです?」
「おっ、いいねぇ〜! やろうやろう!」

今日の夕飯もナマエが作ると知っている彼らは、俄然やる気を出している。 今の彼らにとって、ナマエが作る食事は生命線とも言えるほど生活の要となっているのだ。 たかがゲームと侮るなかれ。 ツムルとイチョウはゲーム機のコントローラーをギュッと握りしめる。 まずはこのふたりの対戦のようで、そんな彼らをマルバスはすぐ側で見守っていたのだが…

「イフリート先生? さっきから黙り込んで、どうしたんですか?」
「何々どした?」
「腹でも痛いのか?」

ソファへやって来た直後から、イフリートが言葉を発していないことに気づいたマルバス。 そんな彼を不思議に思い声をかければ、ツムルとイチョウも心配そうにイフリートへと視線を向ける。 顎に手を添えて何か考える素振そぶりを見せる、イフリート。 しかしそれも束の間。 彼は神妙な面持ちで、その口を開いた。

「…ここだけの話さ」
「うん?」
「…………ダリ先生、めっちゃ羨ましくない?」
「「「いや、ほんとそれな」」」

まさに、即答。 唐突な質問にも関わらず、3人の声は見事に重なった。 イフリートの言葉に激しく同意するかのように、首を縦に振る3人。 イフリートも彼らのこの反応は予想していたようで、うんうんと同じように頷いている。

ダリとナマエが恋仲になったという噂は、瞬く間に教師陣の間で広がっていった。 それもそのはず。 ふたりを取り巻く雰囲気が、以前とは比べものにならないほど甘くなっているのだ。 それに加えて、つい先日から始まったダリへの "愛妻弁当" (まだ"愛妻"ではないが) 。 こうなればもう、周知の事実。 彼らは、認めざるを得なかった。

「正直、ダリ先生がナマエさんのこと狙うとは思ってなかったわ…」
「それ僕も思ってました! ダリ先生、職場で恋愛とか面倒くさくて嫌がりそうなのに…」
「それなのに公衆の面前で口説きまくってたってことは… それだけナマエさんを好きになる "何か" があったってことだよな…?」

イチョウの呟きに、他の3人はうーんと頭を悩ませる。 ダリがナマエを口説き始めたキッカケ。 彼らに思い当たる節は、全く無かった。 ナマエが食堂で働き始めた当初から、ダリが何かと気にかけていたことは寮で暮らす誰もが知っている。 けれどそれは、同じ職場の同僚として。 統括という責任者の立場から、ナマエが輪に溶け込めるように動いていただけに過ぎないと、誰もがそう思っていたのだ。

「まぁ… 何かあったのは間違いないよな」
「…この前、ダリ先生にこっそり能力使ったんだけどさぁ。 めちゃくちゃ "濃い桃色ピンク" だったわ…」
「……ちなみにその色の意味って?」
「深い愛情と独占欲」
「「「うわぁ……」」」

ツムルの家系能力の正確さは、ここにいる誰もが十二分に把握している。 ダリの本気度が窺えるその内容に、3人はげんなりと顔色を青くした。

上司であるダリのことを、彼らは心の底から尊敬している。 少し打算的ではあるが、場を和ませてくれる持ち前の明るさとコミュニケーション能力。 面白いことが大好きな彼は、何事にも楽しみながら取り組んでいて、その前向きな姿勢は教師として見習わなければと常々感じていた。 ヘラヘラとしているように見えて、いざというときにはとても頼りになる… 彼らにとってダリは、柱となる存在なのだ。

それ故に、ツムルたちはダリが恋愛にこれほど熱を上げる男だとは思ってもみなかった。 男の彼らから見ても、ダリは魅力的な悪魔だ。 言い方は少し下品だが、女性に困ることはなかっただろう。 女性経験も豊富とまではいかないにしても、それなりに経験はあるはずだ。 そんな彼が、わざわざ同じ職場の女性と関係を持つなんて。 "余程のこと" がない限りあり得ないだろうと、そう思っていたのだが。 ツムルの鑑定結果を聞いた3人は、 "そこまで好きになってしまった余程のことがあったのなら、仕方ない" と、納得する他なかった。

「きっと僕たちの知らないところで、ふたりは逢瀬を重ねていたんですね…」
「その言い方、無駄にイヤらしく聞こえるからやめて…!」
「くそぉ…っ! よくも "俺たちの" ナマエさんを…っ!」
「コラコラ。 " だ れ の " 、ナマエさんだって?」
「「「「っ!?!?」」」」

突如背後から聞こえた、温和で柔らかい声。 その妙に優しい声に背筋が凍るような悪寒を感じ、4人は一斉に振り返った。 そこには今まさに話題に上がっていた男。 ニコニコと笑みを浮かべるダリの姿があった。 …まさかのまさか。 ご本人の登場に、彼らは驚きを隠せない。

「ダっ、ダリ先生…っ!?」
「やぁやぁ。 休日は満喫してるかい? って、それよりも… さっきは聞き捨てならないセリフが聞こえた気がするんだけど?」

ニコニコと。 一見いつもと変わらない笑顔に見えるが、とんでもない。 ツムルたちは直感的に思った。 ダリ先生、めちゃめちゃ怒ってんじゃん…!と。 これは、非常にまずい。 どうにか話題を変えられないかと、彼らは必死に思考を巡らせる。

「どっ、どうして、こちらに…っ?」
「ん? あぁ、それはね…」

口火を切ったのは、イフリート。 その声が少し震えているのは何とも情けない話だが、ダリの気を逸らすことには成功したようだ。 "よくやった…!" とツムルたちは心の中で思わず、ガッツポーズ。 このまま上手いこと話をつなげて、ダリには機嫌良く退出してもらおう。 そう思った。 のだが。

「ナマエさ〜ん! 入っていいよ〜」
「「「「はっ…????」」」」

ピリッと張り詰めていた空気が一変。 ダリはだらしなく頬を緩ませて、談話室の扉に向かって陽気に声をかける。 彼が口にした言葉に、ツムルたちは唖然とした。

" …今このひと、何て言った? "

そんな疑問が頭に浮かんだと同時。 ガチャリ。 談話室の扉がゆっくりと開かれる。 開いた扉の先から、そろりと姿を現したのは……

「お邪魔しま〜す…」
「「「「…っ!?!?」」」」

ペコリと頭を下げながら、部屋へと入ってきたのは、ナマエ。 またもやご本人の登場である。 まさかまさかの連続に、ツムルたちは声にならない声を上げる。 そのあまりの驚きっぷりに、ダリは楽しそうに笑い声を上げ、ナマエは状況が掴めず戸惑っていて… そんな中々にカオスな状況の中、ナマエの姿を改めて視界に入れたツムルはハッとする。 今の今まで忘れていたが、この部屋は…

「ちょ、ちょちょっと待ってくださいっ! ナマエさん…っ!! 今この部屋、この世のものとは思えないくらい、散らかっているので…!!」
「っ、今すぐ片付けます…! だから少々お待ちを…!」

脱ぎっぱなしの靴下。 中途半端に中身の残ったスナック菓子。 空き缶、空き瓶、ペットボトル… さらには、ちょっとエッチな雑誌まで。 ナマエには見られたくないモノが、この部屋には有り余っている。 せめて表面上だけでも片付けようと、一斉にゴミを拾い始める4人だったが、ナマエは慌てて彼らを止めようと口を開いた。

「そ、そんな! 本当にお構いなく…! 私は全く気にしませんから…!」
「「「「( いやいやいや…! こっちが気にするんです…ッ!! )」」」」

ナマエにだらしのない男だと思われたくない。 そんなちっぽけなプライドが、一丁前にツムルたちの心には芽生えていた。 …この部屋の状況を見られた時点で、そのプライドはへし折られたも同然と言えるのだが。

「っ…ぶっ、くっ、あはははっ! ナマエさんが来たからって、慌てすぎですよ、皆さん!」
「っ、他人事ひとごとだと思って…!」
「そうですよ…! いきなり来られたこっちの身にもなってください…ッ!」
「まぁまぁ、そうかっかしないで! ナマエさんが、困ってますよ?」
「「「「えっ?」」」」

ひーひーと腹を抱えながら笑うダリと、そんな彼の態度に苛立ちを隠せないツムルたち。 ナマエは彼らの様子を少し離れた場所で見守っていたのだが、次第にしょんぼりと肩を落とし始める。 そんな彼女の様子に、ダリが気づかない訳がない。

「皆さん、ごめんなさい。 せっかくのお休みなのに、突然お邪魔しちゃって…」
「じゃ、邪魔だなんて思うわけないじゃないですか!!」
「そうですそうです! 僕たちが普段から掃除をしていればこんなことにはならなかったんですから…!」
「自業自得! そう! 自業自得です…っ!」
「あはは、可笑しいなあ。 みんな、僕とナマエさんとで態度が違いすぎません?」

突然の訪問を申し訳なく思ったナマエは、素直に謝罪の言葉を口にする。 そんな彼女のいじらしい態度に、 "ええ子すぎる…ッ!!" と、ツムルたちは胸を打たれた。先程までのダリに対する態度から一変。 自らの非を認めるツムルたちに、ダリはすかさずいつもの笑顔で突っ込みを入れる。

「ダリ先生からは "悪意" しか感じないんですよ…」
「僕たちの反応を見てゲラゲラ楽しんでますからね…」
「なんて悪魔聞きの悪い! でもまぁ確かに。 楽しんでいるのは否定しませんけどね」
「そこは否定してくださいよ…!」
「ふっ、ふふっ」

ダリとツムルたちの流れるようなやり取りに、ナマエは思わずクスッと笑いをこぼす。 "本当にバビルスの先生方は仲が良いなぁ" そんな気持ちが芽生えてきて、ナマエは何だか微笑ましい気分になる。 そして、そんなナマエの仕草を見たツムルたちにもまた、新たな感情が芽生えていた。 それは…

" え、なにあの可愛すぎる笑い方… "
" 笑ってるナマエさん、超絶可愛いんだが??? "
" ……天使か? "
" 見てるだけで癒される… "

控えめにクスクスと笑う仕草は、紛れもなく女の子そのもの。 この荒れ果てた部屋には似つかわしくない可憐で無垢なナマエの存在は、ツムルたちの心を浮つかせるには十分だった。 ちなみに余談だが… 上から、マルバス、ツムル、イチョウ、イフリートの心の声である。

そんな彼らの心の機微に目敏く気づく、ダリ。 もちろん、ダリにとってこの展開は面白くない。 自分の恋人に好意の目を向けている彼らをこのまま放置する訳にはいかず、少し強引だがダリは話を本題へと進めることにした。

「それはそうとナマエさん! …皆さんに "例のもの" を渡すんでしょう?」
「! そうでした…! 実は、皆さんにお渡ししたいものがあって…」

ダリの言葉にハッとしたナマエは、慌てて手にしていた紙袋から白い箱を取り出す。 そして『どうぞ』と言いながら、その箱をツムルへと手渡した。

「?? これは…?」
「今朝、サリバン理事長から新鮮な卵とミルクを沢山頂いちゃって…! その卵とミルクをたっぷり使った、特製プリンです! よろしければ、おやつにどうぞ!」
「えっ!? 手作りのプリン…!?」
「ナマエさんデザートも作れるんですか…!」
「うわっ、やば…! めっちゃ美味そう…」
「店に出せるレベルだよコレ…!」

箱の中身を見てみれば、そこにはガラスの容器の中でぷるんと揺れる美味しそうなプリンが、4つ。 その見た目の完成度の高さに、ツムルたちのテンションは爆上がりだ。

『ありがとうございます。 でも、そんなに褒めても、ひとり一個までですよ?』 そう言って、照れ臭そうに笑うナマエに、彼らの心はきゅんと音を立てる。 ナマエの醸し出すほんわかとした空気のおかげか、散らかりきったこの部屋が心なしか浄化されたような気さえしてくるから不思議なものだ。 …実際のところ、全く変わりはないのだが。

「はいはいはい。 お喋りはこの辺にして…っと、」
「っ、ぁ…っ」
「「「「!!!!」」」」

ナマエからの思わぬ届け物に、胸をいっぱいにしていたツムルたちだったが、ダリの一声で一気に現実へと引き戻される。 そしてあろうことか、この男。 彼らに見せつけるかのように、ナマエの腰を抱き寄せたのだ。 突然のことに、戸惑うナマエ。 そんな彼女にダリはニコリと微笑んだあと、何とも明るい声で、ツムルたちに言い放った。

「プリンも無事配り終わったことですし、 "僕たち" はもう行きますね。 それでは、良い休日を〜!」

"僕たち" の部分を強調して、ダリはナマエの腰を抱きながら、くるりと踵を返す。 そのまま談話室を出ようとするダリだったが、ナマエは顔だけをツムルたちに向け、別れの挨拶を告げようと慌ててその口を開いた。

「皆さん、お邪魔しました…! プリンの容器は夕飯の時に食堂に持ってきてくださいね! それと、えっと、あとは…」
「ねぇナマエさん。 いい加減、僕のことも構ってくださいよ」
「っ、! な、何言ってるんですかっ、もう…っ!」
「「「「…………」」」」

それはそれは、イチャコラと。 見てるこっちが恥ずかしくなるほどのバカップルぶりに、ツムルたちは黙り込む他なかった。

" 俺(僕)たちは、一体何を見せられているのか… "

そんな言葉が彼らの頭をよぎる。 そして…

「そ、それでは、失礼します…! 夕飯もお待ちしてますねっ」
「ゲームもいいけど、程々にね〜?」

バタン。 扉が閉まる音が、無性に大きく感じる。 シンと静まり返った室内。 暫くの間、4人は黙り込んでいたが…

「………なぁ、やっぱり、」
「おい、それ以上は…」

最初に口を開いたのは、またもやイフリート。 そんな彼が言わんとしていることを察したイチョウは、すぐに彼の言葉を遮った。

みなまで言うな。 口にすると、余計に虚しくなるだけだ、と。

今この瞬間、彼ら4人の頭の中には、同じ言葉が浮かんでいた。 それは…

「「「「( やっぱダリ先生、クソ羨ましい…ッ! )」」」」

ダリとナマエが去った無法地帯の談話室で、虚しくもそんなことを思う、4人なのであった。



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