薄れゆくさよならの端っこを

"21歳の新生・最上菫"

国際ピアノコンクールで菫が金賞を取ったニュースは、日本に瞬く間に広まった。クラシックの世界で知名度を上げた菫は、音楽事務所からスカウトも届いたらしく、今後は日本を中心に活動の場を広げていくらしい。太一と外食に来たラーメン屋のテレビで、その知らせを聞いた途端、俺は菫に電話をかけていた。

「日本を中心?」
『う、うん…事務所を通して仕事を受けるから…。たまに世界に行ったりするかもだけど』
「俺に遠慮してねえよな?」
『してないよ。もともと日本を中心に活動したかったから』

惜しいという声もあるだろう。それくらい菫のピアノは評価されているはずだ。きっと、本心を言ってくれている。そう思うのに、違和感が拭えない自分がいた。眉を寄せた俺をみた太一が、不思議そうに首を傾げているが、それはこの際無視だ。

「いつ、帰って来んの?」
『賢二郎の予定に合わせようかなって思ってる。……いつが良い?』
「あー…」

スケジュール帳を開いて、大学の講義や予定を確認する。迎えには行ってやりたい。俺がスケジュール帳を開いた途端、太一がスマホのスケジュール帳を見せてくる。何も言わなくても通じる辺りは、出来た奴である。

「15か6あたりだな。」
『えっと、たしか土日だよね?なら、土曜日の方が良いかな』
「まあ…けど、無理すんなよ」

俺が行けないなら、最悪太一か瀬見さんに頼む。その言葉は呑み込んだ。それは、最終手段だ。

『土曜日、夜に着く便でも良い?』
「遅い方がありがてえけど…」
『20時着の便でどうかな?』
「それなら余裕」
『ならそれで』
「お前はしんどくねえの?」
『飛行機で寝れるから大丈夫。あ、帰る日誰にも言わないで』
「は?」

拭えない違和感が確信に変わっていく。

『あ、驚かせようかなって!ほら、サプライズ!』
「誰にだよ」
『川西くん?とか?…あっ、いや、ポンちゃん…』
「普通そこは、俺じゃねえの?」
『!あ、……いやいや、賢二郎はそういうの嫌いじゃん』
「そういうの、普段ならお前言わねえのにな」

俺の嫌いなことや苦手なことを理解してくれてることは知っている。そこも良いと思っていたし、何よりもそれを言ってこないからだ。……胸騒ぎが加速していく。

『あ、いまのはちがくて…』

途端に震えだした声。電話先でも伝わってくる動揺。俺の脳が警鐘を鳴らしたと同時に、どこまで踏み込むべきかと心が揺らぐ。何かあったのは、間違いない。だが、それを今掘り返すべきなのか。掘り返したところで、直ぐ傍に行けるわけではない。

『け、賢二郎…?』
「あ?」
『怒った…?』
「怒ってねえよ」

更に不味いことになってると、頭では分かってるのに、かけてやる言葉が見つからない。顔を見てしまえば、分かるのに。貧乏揺すりをはじめた俺を見た太一が、「賢二郎、」と落ち着けと言わんばかりに名を呼んでくる。そんなこと、俺が1番良く分かってる。

『なんで、急に黙るの…』
「……なんて、声を掛けてやれば良いか悩んでたんだよ」
『へ?』
「お前が、何かに苦しんでるっていうのは分かるのに、」
『っ、』
「………」
『ごめっ』
「なあ、……泣くなよ」

頼むから。今、それを拭ってやれないのに。やはり、掘り起こすべきでは無かったかと後悔の念に苛まれる。

「いま、吐き出せるか?」
『……うま、くせつめい、できるじしん、ない』

嗚咽を漏らす菫を抱きしめたい衝動に駆られる。だが、それは出来ない。

「上手く説明しようとか思わなくて良いんだけど」

こんなに成功してるというのに、彼女の身に何が起こっているのだろうか。演奏だって上手くいったと言っていたし、この間話したときには元気を取り戻していたはずだ。俺が再び送ったネックレスのおかげで、大丈夫そうだって笑ってくれていたはずだろう。

「……、また失くしたのか?」
『ち、がう…みつかった…』
「みつかった?だったら、なんでそんなに泣いて、」
『返して、くれ、なくて…』
「は?」

握りしめていたスマホが、滑り落ちそうになる。それを、なんとか力を込めて握りしめた。冷静になれと言い聞かせつつ、嫌な仮説がどんどん立って出来上がっていき、冷静では居られなくなる。

「おい、待て」
『わ、たし…ごめんなさっ』
「謝んな、おい菫」
『け、んじろ、』
「返してもらおうとすんな。なるべく1人になるなよ」
『……っ…』
「なあ、菫!聞いてんのか、菫!!」
『う、ん…』
「何もされてねえよな?」
『………』
「なあ!菫!!」

店内に響いた大声。ハッとなって辺りを見渡すと、あちこちから視線が刺さった。深いため息を吐いた途端、スルリとスマホが奪われていく。奪った本人など分かりきってはいるが、

「ひさしぶりー、最上さん。うんうん、こっちは大丈夫大丈夫。体調とかどう?元気?」
「………ちきしょう、」
「あ?賢二郎?大丈夫。試験で忙しくはしてるみたいだけど、俺たちはチョー元気。だから安心して帰って来たら良いよ。それまでは、任せて。……はい、」

俺が落ち着いたのを見計らった途端、スマホが手元に返される。

「菫、待ってるからな」
『……うん』

プチン、とそこで会話は途切れた。水を一気に口の中に飲み込む。それと一緒に、さまざまな感情も流し込んでいった。

「で、どした?」
「……多分、ストーカーが菫と同じカナダに留学してる」
「よし、金貸して」
「はあっ!?」
「賢二郎はムリでしょ。俺が行ってくるからさ。留学先の住所も教えて。あ、最上さんにも伝えといてよ」
「なんでそこまで…」
「誰のおかげで、ここまで続いてると思ってんの?留年決まってるし、丁度気分転換したかったんだよ」

目だけ笑ってない太一と握手を交わす。持つべきものは友であると思った瞬間だった。


20210514






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