すくえなかった雫を救えるか

彼女の何処に惚れたのか。そう聞かれるととても困るが、俺の1番の理解者だからだと思う。 

人前でのスキンシップは気恥ずかしいし、愛の言葉など吐かなくても察してくれと思う。心底惚れ込んでいる自覚はあるが、天の邪鬼な性格のせいで、素直になれない。お互い多忙なせいで、世間一般の恋人たちよりも、恋人らしいことが出来てないとも思う。それでも、不満を言って来ない彼女は、たまに聖人か何かが憑依しているのではないかと思う。

「賢二郎ー!お手すきでスーパー行きたい」
「あ?病み上がりの分際で、出歩く気か?」
「なら、今日の晩ご飯どうするの?」
「…デリバリーにしようかと思ってたんだけど」
「ええー…」

洗い物をやってくれている菫が、不満そうな顔を覗かせる。俺がやるって言ったのに、俺には勉強をしろの一点張りだった。

「なに、夜も作ってくれんの?」
「うん!しばらく泊まらせてもらうし、これくらいさせて!それに、賢二郎の食生活が偏ってるように見えて心配なんですぅー」
「身体壊したのはお前の方だけどな」

昨日まで高熱で魘されていたくせに、もうピンピンしてやがる。嘔吐していたし、胃腸風邪かとも思ったが、この様子を見る限りストレスのせいだろう。そう思うと、数日前の自分の行動が悔やまれるし、腹立たしい。

「なら、ついでに病院行くか?」
「土曜日もやってるところあるっけ?それに、もう大分調子良いよ」
「どこから沸いてくるんだろうな、その自然治癒力…」
「人を化け物みたいに言わないで!」
「言ってねえよ」

最近気づいたことだが、菫は病院が嫌いらしい。注射も未だに怖いらしく、予防注射の日は毎回胃痛に悩まされると言っていた。

「病院はいい。治ったもん」
「言うと思った」

洗い物を終えた菫が、俺の方へと擦り寄ってくる。参考書を睨んでいたせいか、抱きついては来なかったが、これは恐らくくっつきたいのだろう。

「来ねえの?」

振り向いて両手を広げてやれば、すっぽりと胸元に顔を埋めてきた。そして、どことなく嬉しそうな顔をしてきやがる。可愛すぎんだろ襲っちまうぞと思ったが、ぐっと堪えたこの俺を誰か褒めてくれ。

「明日さ、太一達来るから」
「たち?」
「…1個上の瀬見さん覚えてるか?太一が瀬見さんにも言ったみたいで、来てくれるらしい」

こっちからすれば、不本意なのだが。その気持ちを隠そうともせず告げた。

「賢二郎とスタメン争いしてた先輩?」
「……よく覚えてるな」
「ご飯食べるときに、たまに名前出てきてたから」

太一も大学とアルバイトの生活で忙しくしているようだし、助けは多い方が良いと思っての行動なのだろう。まあ、信頼している先輩ではあるし、ウザいくらいに面倒見の良い人なので、妥当な人選だとは思う。

「あと、この事、お前んとこの親には話すべきだと思う」
「んー…」
「俺としては大学も休んで欲しいんだけど、それは嫌だろ?」

菫のスマホにメッセージまで送ってきたということは、近くに潜んでいる可能性が高い。どこから連絡先を入手したかは分からないが、もし、大学にストーカーが潜んでいるとしたら1番最悪なパターンだ。隠し撮りされていた写真の中に、大学で撮られていたものが1番多かったというのもある。そのことに菫が気づいているかどうかは怪しいが、俺は大学にいる可能性が高いと推測している。

「うん…。というか、昨日今日とピアノに触れてない…」

落ち着かない、と俺の背中に菫の腕が回ってくる。毎日、それこそ1日の大半をピアノに触れて生きている菫とっては、これが1番のストレスなのかもしれない。出会ったときには、もうピアニストになることを夢見ていた彼女の努力が、こんな形で報われなくなるのは本意ではない。

「それは、なんとかするから少しだけ待ってろ。電子ピアノでも良いか?」
「え…?」
「実家に使ってない電子ピアノがあるから。送って貰えないか聞いてみる」
「賢二郎、ピアノやってたの?」
「俺じゃなくて弟がやってた。すぐ辞めたけど」

そっと、菫の髪を撫でる。

「なあ…これを機になんて癪なんだけど…泊まりじゃなくてさ…これから、一緒に住まないか?」

前から思ってきたことだった。俺の家から菫の大学まで少し距離があるので、言い出しにくかったが、これからのことも考えて同棲してみたい。この先も、ずっと一緒にいたいと思える相手は、菫以外に考えられない。

「同棲するってこと?」
「お前、危なっかしすぎて目が離せねえんだよ」

知らない間にストーカーに付きまとわれやがって。

「それも含めて、お前んとこの親に話しに行こう」

誓うように唇と唇が合わさる。その瞬間、まるで、それを邪魔するように菫のスマホが震えた。

「貸せ」

菫が見る前にスマホを取り上げる。これ以上、彼女を怖がらせたくなかった。内容が大丈夫だったら、彼女に戻してやれば良い。

「パスワードは?」
「……賢二郎の誕生日」
「え、」

この際、彼女がロック画面を俺の誕生日にしていたことはどうでも良い。流れ落ちた文字を一瞥して、すぐに消してやる。これはコイツには見せられない。それにしても、あまりにも早すぎる。

[君の彼氏を特定。都内の医大に通うけんじろう君]
[彼氏を守りたかったら、別れろ]


俺の個人情報を特定されるのが、あまりにも早すぎるのだ。




20210104




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