ひとつも許されるはずがない

目が覚めると、連日の体調不良が嘘のように身体が軽くなっていた。辺りを見渡すと、ベッドサイドに上半身を預けて眠っている賢二郎の姿が目に入る。一晩中看病してくれていたのか。私は椅子にかけてあったカーディガンを賢二郎の背にかけた。さすがにベッドへ運ぶのは無理なので許して欲しい。賢二郎を起さないように布団から出て、冷蔵庫からポカリを取り出して口に含んだ。そして、スマホをタップする。友達から心配のメッセージが来ていたので、大分楽になったよと返信した。

時刻は6時過ぎ。今日は土曜日だけど、賢二郎は予定とかないのだろうか。起すべきか起さないべきか悩んで、止めた。賢二郎のことだから、予定があればアラームを入れているだろうと思ったからだ。とりあえず、賢二郎が起きるまで気長に待つことにしようと思ったところで、スマホが振動する。登録してない連絡先からのメッセージだった。

[一緒に居るのは彼氏?]
[そんなやつと別れて、こっちに来てよ]

気持ち悪いメッセージが目の前に広がって、がくり、と膝から崩れ落ちる。直ぐさま、それを消してブロックした。やだ、こわい。どうしようと身体が自然と震えていく。助けて賢二郎と思いながらも、それが音としてでない。なんとか、息を整えようとしていると、私を呼ぶ賢二郎の声が聞こえてくる。

「…何やってんだよ」
「あ…ごめ、ん…起こし、ちゃった…」
「…転んだのか?怪我は?」
「だ、大丈夫」
「大丈夫じゃねーだろ」

座りこんでいる私の元に駆け寄り、真っ先に手を見られた。グーパー出来るか?なんて聞かれて、何回かそれをさせられる。外傷はないか見た後、一瞬だけ口元が緩んだ。常日頃から、私が手を大事にしているのを知っているので、1番に手の心配をしてくれたのだろうか。そして、顔色を覗かれて、そっと頬に手を添えられる。

「ん、熱下がったな」

安心したような優しい声音が、怯えていた身体に響いた。賢二郎が側に来てくれるだけで、恐怖心が和らいでいく。そんなこととは露知らず、賢二郎の視線が足下に降りてきて、膝が赤くなっていることを指摘された。

「あ…ごめん…」
「湿布あるか?」
「うん…救急箱に入ってる…」
「分かった。待ってろ」

スッと立ち上がり離れていく身体を無意識に掴んでいた。

「っ菫?」

不思議そうな目をした賢二郎が、私を再び捉える。慌てて、なんでもない、と手を引くけれど、引き下がってはくれなかった。

「どうした?震えてる」
「あ……」
「菫?」

なんて、言えば良いのだろう。もしかしたら、ストーカーに遭ってるかもしれません?証拠もないし脈絡もないのに、いきなり、そんなこと言えない。どう説明すれば良いのだろう。

「け、賢二郎…」

結局それを音に出来なくて、ようやく絞り出した音で紡いだのは、賢二郎の名前だった。私が震えてる理由を早く知りたいだろうに、やさしく「なに?」と問いかけられる。そんなに気は長くないはずなのに、こういうときは、いつだって優しい。

「行かないで、」
「は?…此処に居るだろ」
「こ、こわいよ…けんじろう…」
「なにが?」

私と目線を合わせてくれた賢二郎の背中に、自分の腕を回した。上手に説明できない自分が嫌になる。気づけば目から涙がこぼれ落ちていた。

「菫?どうしたんだよ…」

困惑した音が、鼓膜を刺激してくる。落ち着こうと思えば思うほど、身体の震えは酷くなる一方で唇を噛みしめた。必死に震えを抑え込もうと耐えていると、気づけば呼吸を忘れてしまっていたのか、息を吸ったときにヒュウッと変な呼吸音が鳴る。

「はっ…」
「馬鹿野郎」
「…はっ、はあっ」
「落ち着け、過呼吸になりかけてる。とりあえず、息を吐くことに集中しろ」

一定のリズムで背中を叩かれて、それに合わせるように短く息を吐いた。次第に呼吸は落ち着いていき、ゆっくりと深呼吸を繰り返していく。そのタイミングで、賢二郎の指が、私の首に触れた。

「…大丈夫だからな」

コクコクと頷くので精一杯だった。賢二郎の手が、私の首から離れると、賢二郎は服の袖で、私の額の汗を拭った。どこまでも優しい手つきが、しっかりと私を支えてくれる。そして、ようやく落ち着きを取り戻した頃、ごめんと謝った。

「あ?」
「だから、ごめん…」
「謝られるようなこと、されてねえんだけど」

呆れたようなため息が頭上から降ってくる。だけど、怒っているわけではなさそうなので、ほっと一息吐いた。

「……で?もう聞いて良い?」

振り出しの問いが投げられた。ようやく、この話が出来る。心を落ち着かせるように、胸元を握りしめた。立ち上がって、一昨日賢二郎の家に行く時に持って行った鞄の中から、茶色い封筒2つを取り出して、賢二郎に差し出す。

「1週間前くらいに、立て続けにポストに入ってたの」

宛名も差出人も何も書かれてない封筒を一瞥した後、賢二郎は中を覗いた。中身を確認した途端に、彼の眉毛は釣り上がり一瞬にして不機嫌な顔になる。中にあるのは、大量の隠し撮りされた私の写真だ。

「お前これ!」

苛立ちを隠そうともせず、そう言って、両肩を掴まれた。

「これ以外に、なんかあったか?」
「玄関に張り紙があったり…あと、すぐにブロックして消したけど、知らない人からメッセージが届いた」
「なんて?」
「え?」
「なんてメッセージが来てた?」

すぐに消したから、あやふやだけど、なんとか記憶を手繰り寄せる。

「い、[一緒に居るのは彼氏?][そんなやつと別れて、こっちに来てよ]……?」
「はあっ!!?」
「ごめっ…」
「…っ謝んな、怒ってねえから」

怒気を含んだ声に、ビクリと身体が反応する。それを見た賢二郎が、慌てた様子で、私の身体を抱きしめた。

「お前、しばらく俺ん家来い」
「え…?」
「このこと俺以外に知ってる奴はいるのか?」
「い、いないよ…賢二郎にはじめて相談した…」
「分かった。とりあえず、荷物纏めろ」

賢二郎はそう言うと、どこかに電話をかけはじめる。とりあえず私は、大学の授業に必要な物や、数日分の洋服、歯磨きセットなどを旅行用のキャリーケースを取り出して、そこに入れていく。

「タクシー呼んだから、それに乗って俺ん家行くぞ」
「え?」
「…で、絶対俺から離れんな」

そう言って手を握られる。ようやく言えた安堵と、これからかける迷惑に対する申し訳なさとで、ぐちゃぐちゃになった心を誤魔化すように、その手を握り返した。



20201229



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