「強くなれる理由」

(※死を匂わせる表現があります。苦手な方はご注意ください)



「おはようございます」

看護師になって、3年目の年を迎えた。はじめての人事異動で、今までいた呼吸器外科から循環器内科へと異動が決まって、慌ただしい日々を過ごしていた。時折、この仕事が向いてないんじゃないかって何度も思う。なぜなら、

「おはよう、志木さん。あのね、302号室の方。昨日、ステったの」
「……分かりました」

ステる。私が1番嫌いな業界用語だ。ドイツ語のsterben(ステルベン)に由来しているこの言葉は、患者さんが亡くなったことを表す。ドイツではそうでも、私はどうしても、日本語の"捨てる"が過ぎってしまうので、いつまで経ってもこの用語を使うことに抵抗がある。もちろん、意味を含めて1番聞きたくない言葉でありもする。

「それで、エンゼルケアに入らせてもらったんだけど、病衣にこれが挟まってたのよ」

"志木さんへ"あの人の筆跡で書かれた手紙だった。

「帰ってからゆっくり読むのよ!さあ、切り替えて仕事ね!」

私は、切り替えがいつまで経っても苦手だ。







今朝亡くなったのは、異動したてに受け持たせていただいた小柄なおばあちゃん。両親を亡くし、頼れる親戚は叔父くらいで、どちらの祖父母も幼い頃に亡くなってしまっていた私にとって、お年寄りと信頼関係を築くのは苦手分野だった。しっかりされたこのおばあちゃんは、苗字で呼ぶよりも「おばあちゃん」って呼ぶ方が、嬉しそうにされるので、いけないと分かっていても、人前意外ではこっそりと「おばあちゃん」って呼ばせてもらっていた。

「志木さんは、うちの娘によく似てるね」

シングルマザーで一人娘を育てていたおばあちゃんは、はやくに病気で娘さんを亡くしたという。だから、キーパーソンが存在しない。おばあちゃんは、私の事を受け持ち看護師以上の感情を抱いて接してくれていたような気がする。

「はやくにご両親を亡くされているんですって?」
「ええ、まあ」
「妹さんがいるんでしょう?」
「そうですね。いま小学5年生です」
「あらあら、年が離れているのね。大変でしょう?」
「いえ、もう慣れましたけど」
「ダメよー!年寄りの前でくらい弱音を吐かなきゃ」
「はあ…」

おしゃべりが大好きな人で、あることないこと聞いてくる。最初は、とても煩わしかった。だけど、仕事だから。例え苦手な人だとしても、丁寧なケアを行う。看護学校で学んだ心情は身に染みついている。

「しんどいときは、しんどいって言うのよ?」
「それは、どちらかと言うと私の台詞なんですが。……痛いところはありませんか?」
「無かったら入院してないわよ!」
「あ、」

ふふっと笑い合う。

__志木さん、あまり入れ込みすぎないでね

何度か注意だって受けた。だけど、時折、さみしそうな顔を私だけに見せてくれるのを見過ごすことなんて出来なかった。

「私ね、志木さんに看てもらえて幸せよ」
「急にどうしたんですか」
「ふふっ。幸せになってね。良い人がいるんでしょう?」
「えっ、」

抱えていたカルテがバラバラと転がり落ちる。あらあら、なんて笑うおばあちゃん。

「その人には、甘えるのよ?」
「甘える…」
「可愛いわね、志木さん」
「からかわないでください!」
「ねえ、どんな人?志木さんが想ってるその人って」

家族のいないこの人に、そんな話をしても良いのだろうか。

「恋バナって言うんでしょう?してみたいわあ」

無邪気な笑顔を浮かべるこの人の安らぎに少しでもなるのなら。

「去年、妹の担任をしてくれてた人なんです」
「あらそうなの!素敵じゃない!出会いは参観日とかかしら?」
「いえ、高校の同級生だったので、出会いは高校です」
「もしかして、高校生の頃から良い感じだったの?」
「……何で分かるんですか。高校生の頃、確かに付き合ってましたけど」

家庭と学業を両立できなくて、精神的に不安定に陥ってしまった私は、あの頃たくさんの大切なものを手放した。孝支に優しくされれば、されるほど苦しくて。だれにも、その感情を理解されないって思ってた。

__菅原に優しくされると、苦しい…。菅原は、私にとって眩しすぎる。自分が惨めに思えてくる。
__桜、
__ごめんね、菅原。でも、本当に今は一緒に居るのがしんどいの

「運命ってあるのよ」
「え?」
「素敵な方ねえ」

いつまで経っても甘えるのが苦手な私を、見捨てずにいる彼は、確かに凄いと思う。







重い足取りで帰路についた。ようやく辿り着いた自宅からは、夕飯の良い匂いがしてくる。今夜は孝支が遊びに来る日だったけれど、流石に帰ってしまっただろうか。楓が美味しいご飯を作って待ってるね、って言っていた気がする。

「ただいま…」

玄関の電気を灯すと見慣れた靴が2つ並んでいた。1つは楓のもので、もう1つは、

「おかえり、遅かったな」

孝支のものだ。やわらかい笑顔を見ると、それだけで、ほっと力が抜けていく。

「楓は?」
「待ってるって張り切ってたけど、流石に寝たな」
「だよね。帰ってても良かったのに。明日早いんじゃないの?」
「おいおーい。久しぶりに会えた恋人に向かってツンツンだなー?」
「……うん、」

時刻は0時前。孝支だって、仕事で疲れているだろうに。そう思って言ったのに、ついつい冷たい反応をしてしまった。仕事のことをプライベートにまで引きずり込んでしまっている。

「なんかあっただろ?」
「……!な、んで」
「顔見たら分かるべ」

ん!そう言って両手を広げた孝支。おいで、ってやさしい声で言われる。ずるずると足を引きずりながら、胸元へと顔を埋めた。温かな体温が冷え切った身体を包み込んでくれる。とくん、とくんと刻む鼓動が、大丈夫だよって言ってくれているような気がした。

「守秘義務があるから、詳しく言えないけど、」
「うん」
「思い入れの深い患者さんが、亡くなったの。わたしに、手紙のこして、くれてて…わたしに、ケアしてもらえて、よかったって、」
「そっか」
「わたし、」
「桜、」

孝支の両手が私の頬を包み込む。そして、ゆっくり顔を上げさせられると瞳から雫が伝い落ちていった。それを指先で、何度も拭ってくれる。

「桜にお世話してもらえて、きっと幸せだったべ」

ポンポン、とやさしく頭を撫でられる。

「でも、切り替えが上手く出来なくて、」
「あー…」
「何があっても笑顔で他の患者さんのお世話をしないといけないのに、」
「うん」
「そういうのが、苦手、で…」

孝支が何度も雫を拭ってくれるのに、とめどなく流れ落ちていくそれ。だけど、いつだって呆れたりせず、私が落ち着くまで、こうしてくれるのを知っている。

"志木さん。最期の入院生活に、あなたに出会えて良かった。空から、あなたが幸せになることを願っています。大丈夫よ。素敵なあなたに甘えられて、迷惑なんて思う人はいないわ。私だって、そのひとりだったもの。短い間だったけれど、ありがとうございました。更に素敵な看護師さんになって、私みたいな人を助けてあげてくださいね"

「ごめ、上手に言えない…上手に、甘えられな「桜ー?ほい、深呼吸!」、こうし…」
「こうやって感情を剥き出しにしてくれるだけで、桜は上手に俺に甘えられてる。桜の悪いとこだぞー。何でも上手にしようって思わなくていいべ。少なくとも俺には、」
「う、ん」
「説明が下手でも上手く弱音が吐けなくても。俺は傍に居る。だから、俺の前では切り替えなくていいんだよ。俺の前では、ありのままの感情を出せよ。変に取り繕わなくて良いからさ」

嗚咽を漏らしながら、必死に背中にしがみつく。強く強く抱きしめてくれるこの腕が好きだ。いつだって、私を支えてくれるのは日だまりのような君。

「こうし、」
「ん?」
「ありがとう…だいすき…」

触れ合った唇と唇から、また1つ強さをもらった気がする。





20210526


・キーパーソン
鍵となる人物。緊急連絡先の1番最初の人だったり、主の介護者、手術などの同意書を書いてもらう人。


・エンゼルケア
亡くなった患者さんに行う処置。死化粧や、髪を整えてあげたり身体を拭いたりしてあげること。


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