しっそう
新学期を迎えた楓は、今日も元気よく駆けていく。もうすぐ進級でクラス替えもあるので、最近の口癖は「寂しい!」だ。「来年も菅原先生が良いなー」
「どうだろうね。こればかりは、菅原は決められないからねー」
私は、複雑な気持ちだった。来年も菅原だったなら、安心して楓のことを任せられる。けれど、と過ぎった思いに頭を横に振った。
「いってらっしゃい」
「行ってきまーす!」
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その日の夕方。私はとある喫茶店へと向かった。
「ごめん、お待たせ!」
「志木先輩、お久しぶりです」
集まっていたのは縁下とビデオ電話で参加している谷地ちゃんだった。谷地ちゃんは大学が忙しいようで、こっちに来るのが難しいらしい。
『す、すみません!そちらに行くことが出来ず!!』
申し訳なさそうに勢いよく頭を下げる谷地ちゃん。相変わらずである。
「それにしても、志木先輩。お元気そうで良かったです」
『本当です!心配していたんですよ』
「ごめんね。色々と大変でね」
そんな話は置いておいて、パンと手を叩く。本日集まったのは、数ヶ月先に迫っている潔子と田中の結婚式についてだ。バレー部全体で贈り物をしようという話になったのだ。
「プレゼントで、ビデオメッセージをつくろうかなって思ってるんですけど」
「うん、とても良いと思うよ。学年で担当を分けようか?あ、先輩達の方は私に任せて」
「あ、俺達の2個上の先輩は、俺がやりますよ?」
『では、私たちの1個下の子達は、私に任せてください』
私たちの代と、私たちの2つ上の代は私が担当することになった。縁下の代と私たちよりも1つ上の代は縁下。谷地ちゃんたちの代と、その1つ下の子達は、谷地ちゃんが対応することで決まる。
「そう言えば、日向は来れるの?あと、西谷も」
「西谷は無理そうですね」
「今、どこにいるんだっけ?」
「今は、えっと……忘れました」
まあ、元気にしてるなら良いけど、と思った。日向はブラジルで武者修行に出てるし、西谷は世界を飛び回っている。そして、それから話は学生時代に遡っていく。
「それにしても、よく戻ってきたよね」
1度部活から離れた縁下たちの姿は、忘れがたいものだ。その分、戻ってきたときの喜びは、とても大きなものだったけれど。
「あはは。志木先輩、その話は…」
縁下が気まずそうに目を逸らす。そうだ、谷地ちゃんも聞いているんだったと慌てて閉口した。違う話にしなければ!と話題を探していると、
「そ!そういえば!志木先輩、妹さんの担任が菅原さんになったんですよね?」
縁下がそう言った。
「?うん。でも、もうすぐクラス替えだから変わる可能性が高いと思うけどね」
『ど!どうですか!!?』
その言葉を聞いた谷地ちゃんが、食い気味に私に問う。
「どうって?良い担任で安心してるよ?」
その返答に肩を落とす後輩2人。その様子を見て、1つの仮説が浮かんだ。私も菅原も気づかれてないと思っていたけれど、
「?もしかして、私と菅原のこと知ってた?」
「『…!』」
「菅原が言ってたの?」
私は、部内を変な空気にさせたくなかったので、潔子にしか言っていない。菅原の方は、澤村と東峰には話しても良いか?と言っていたけれど、後輩に話す気はなかったように記憶している。漏れたとしたなら田中だろうか?だけど、いくら旦那になったからと言えど、潔子が田中に私たちの話をしているとは思えない。そんな私の心の中を読んだのか、再度、縁下が口を開いた。
「……すみません、付き合ってたんですか?」
「え、うん。それを聞きたかったんじゃないの?」
「いえ、俺は…その、てっきり菅原さんの片想いだと思っていたので」
「……え、」
どうやら私は今、墓穴を掘ってしまったらしい。
「……なんかすみません。その、お似合いだなと思っていたのです。上手く言えないんですけど、お互いのことをよく理解して支え合っているように見えていたので、その関係に憧れていたと言いますか、」
その言葉に疑問に思った。確かに菅原は私のことを支えてくれていたし、仲違いした後も、修復しようと躍起になってくれていた。ずっと、心配そうな眼差しを向けてくれていた。だけど、全て突き放したのは私だし、菅原が辛い時に、私は菅原のことを支えられていないと思う。
「菅原は、確かに私のことをよく助けてくれたけど、私は別に…」
「そんなことないですよ。志木先輩の優しさに救われていたと思います。後輩の俺が言えることでは無いかもしれませんが…」
『そうですよ!あの、菅原さんに限らずなんですけど、私だって桜先輩の優しさに何度も助けられてますし!私、桜先輩のそういう所大好きです!少しだけしか関わってない私がそう思うんです!みんなが、桜先輩に支えられていたと思います!!』
__桜は、菅原のこと過大評価しすぎで自分のことを過小評価しすぎ
少し前に潔子に言われた言葉が、思い浮かんだ。
「志木先輩の優しさって、自分でそう思っていない所が更に良いですよね」
『分かります!看護師になったって聞いたとき、天職だと思ったんですよ』
口々に降ってくる言葉に、だんだん気恥ずかしさがこみ上げてくる。私って、後輩にそんな風に思われていたんだ。私なんかいなくても、誰も困らないと思っていたのに。今更、春高前に引退したことが申し訳なく思えてきてしまう。
「もうやめてよ。ほら、作業しよう!」
▼
そんなこんなで家に戻ったのは19時前だった。
「ただいま」
静寂とした家の中に、私の声だけが響く。
「楓ー?」
寝ているのだろうか?と楓の部屋を覗き込むけれど、姿はない。ひやり、と背筋に汗が流れる。部屋中探し回っても、家の中に楓の姿は無かった。
「何処、行ったの?」
ぽつりと零れた声は、誰にも拾われることはなかった。
20210224