世界のすべてを愛するということ
何かを返さなければと口を開いたところで、おかかと静止される。それに不満を抱いたのは私だけではなかったようで、一連の流れを見ていた真希ちゃんとパンダくんが狗巻くんの言葉を咎めた。

「何だよ棘、返事貰わないのか?」
「しゃけ」
「えー…」

なぜ貰わないのか。なぜ言わせてくれないのか。熱帯びた視線を向けておきながら、私の心を突っぱねる意味が理解出来なかった。無意識に唇を噛みしめていると、狗巻くんの視線が私の後ろへと移動する。

「……いくら」

__2人にして欲しい

その意味を理解した真希ちゃんとパンダくんは、「後で話を聞かせろよ!」と言いながら、その場を後にした。2人が立ち去った後、長い長い沈黙が訪れる。狗巻くんは、私に目を向けず、窓の方へと歩みを進めた。そして、乱雑に窓を開けると新鮮な空気が部屋の中に入ってくる。床埃が舞って、数回くしゃみをした。目が痒くなってきて耐えられず、私も狗巻くんの横に並ぶ。

「ねえ、狗巻くん…」

少し赤くなった頬が、先程の出来事がリアルだと主張した。名前を呼んでも、私の方を全く見ずに、青い空を見つめている。

「言い逃げ、は、ズルくない…?」
「おかか」

__逃げてない。

確かに逃げずに私の横に立ってはいるけれど、返事はいらないというのは、そういうことではないのだろうか。こういうとき、なんて言えば良いのかが分からない。分からないから、要らないのだろうか。

「……私が、分かってないから?」

愛情をあまり知らずに育ったから、人に対する情というものが、よく分からない。狗巻くんのことは好きだ。苦しいときや、悲しいとき、いつも助けてくれる。自分自身のことを嫌いになりそうなとき、私という存在を肯定してくれる。誰よりも優しいところが好きだ。だけど、この好きは、果たして同じ好きなのだろうか。

「私が、こわいって言ったから?私が、同じ気持ちじゃないから?だから、突き放すの?」
「おかか!」
「狗巻くんに、嫌われるのは嫌だよ…」
「おかかおかか!」

慌てたように此方を向いた狗巻くん。ようやく私たちの視線が混ざり合った。

「狗巻くんが、なに考えてるか分からない…」

言いたいことだけ言って。やりたい放題やっておいて。それを受け取った後の私は、どうすれば良いのだろうか。

「いくら、おかか」

__今すぐじゃなくて良い

「ツナマヨ」

__知ってて欲しかっただけだ

「そんなの…此処に来る前に知ってた…」
「!こんぶ」
「気づかれてないと思ってたの?待ってって言ったのに?」
「おかか…めんたいこぉ…」

__あの時は、聞きたくなかったのかと思って…

恋情というものが存在することは知っている。小説を読むことが好きな私は、フィクションの中の世界で、それに触れてきたから。でも、自分がヒロインの立場になる日が訪れることは予感していなかった。否、そこから目を逸らし続けた私が悪い。

「答えを見つけるまで待ってってことだったのに…口下手でごめんね」
「おかか」
「だから、その…待って、ください」
「しゃけ!……あー、」

にっこり優しい眼差しを向けた狗巻くんが、再び私の手に触れる。私は、拒むことなく受け入れた。先程のことを思い出して、身体が熱くなっていくのが分かる。だけど、逃げてはいけないと思った。どくん、どくんと高鳴る鼓動。落ち着け、と心の中で何度も唱える。再び現れた口元が、すごく艶めいて見えた。羞恥心に覆われてどうにかなってしまいそうになる。露わになった口元から、音が奏でられることは無かった。

「狗巻くん?」

パクパクと動く口元は終始無言だけれど、口の形は全く異なる。その意味を読み解くことが出来ないまま、繋がれていた手が引かれて、狗巻くんの胸の中に閉じ込められた。いつだって、この中に入るときの私は泣いていた気がするけれど、今日の私の瞳から雫が落ちることはない。

「……しらす。ツナマヨ?」

__好きにさせる。覚悟してて?

「なっ…」

思わず離れようとした身体を、強い力で封じられる。ダイレクトに伝わる熱、耳元を掠める息、これでもかと高鳴りを主張する鼓動。その全てが、あつかった。あつすぎて、甘くとけていきそうだった。







それからのことは、また、記憶が曖昧になった。

高専へと帰る車内で、狗巻くんとは1度も目が合わなかった。真希ちゃんとパンダくんに散々イジられた狗巻くんは、かなり不機嫌そうだ。だけど、イジりの対象が私に向かないように、とても気を遣ってくれていたような気がする。学校に着くと、自然と女子と男子で別れてバラバラになった。私の横を去り、パンダくんと歩いて行く狗巻くんの後ろ姿を見つめていると、ツンツンと真希ちゃんに肩を突かれる。

「おーい、大丈夫か?」
「大丈夫じゃない…」

こんなことになるのなら、真希ちゃんと2人で実家に行けば良かったと頭を抱え地面にしゃがみ込む。今日の出来事を思い出しただけで、容量オーバーで頭はパンク寸前である。それ以外にも考えなきゃいけないことがいっぱいなのに。

「どうせ、マジで返事してねえんだろ?」

車内で何度か狗巻くんを問い詰めていた言葉が、私に向けられる。こくん、と首を縦に動かした。

「知ってて欲しかっただけなんだって」
「へえ……」
「私が、そういうの分からないの分かってるって言ってた」

私に合わせて、真希ちゃんが私の横にしゃがみ込んだ。そして、優しく背中をポンポンと叩かれる。

「ま、棘がそう言うんなら、それに甘えとけば良いんじゃねーの?」
「……優しいね、狗巻くん」
「あ?そんなの梓にだけだろ」
「え?」
「そう言うもんなんだよ。好きな奴のことは、何よりも優先したくなるんだろ」
「そうなのか…」

自分1人が分からないそれを知っている彼らが、羨ましいと思う。

「それにしても、悪い女だなー。めちゃくちゃ焦らすじゃねえか」
「う……。好きにさせるからとも言われて、明日からが少し怖い」
「なに、アイツそんなことも言ったのか?モテる女は辛いねえ?」

ニヤニヤと愉しそうな笑みを浮かべる真希ちゃんが、立ち上がる。そして、視線を私へと落として、手を差し出した。

「とりあえず、考えてやれよ。今日、棘にされた行動、嫌じゃなかったんだろ?」
「嫌ではなかったけど…」

差し出された手を取ると、グイっと引かれて立ち上がらせてくれる。

「棘のあんな顔はじめて見たこっちの身にもなれ。甘すぎて吐きそうだったんだからな」
「ええ」
「まあ、嫌じゃなかった時点で、」
「……?真希ちゃん?」
「なんでもねえ。風呂行くか」

並んで歩く帰り道を照らす夕日と、私の頬が同じ色になっていることは、誰も知らない。






20210126

目次


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -