「東京の学校に行く?」

「うん。来週にはもう出発する予定。一緒の学校に行けなくてごめんね」

千切豹馬は自分がこれほどまでにショックを受けていることに驚いていた。
何となくではあるが、なまえとはこのままこの先もずっと一緒にいて、いずれは結婚するんだろうなという奇妙な確信めいたものがあったからだ。

「……マジかよ」

嘘だろ、と天を仰ぐ。
幼馴染みであるなまえとは赤ん坊の頃からの付き合いだ。
二人の家は隣同士だったためお互いの両親も仲が良く、家族ぐるみで交流があった。
人生設計というと大袈裟かもしれないが、彼のこの先の人生には常に隣になまえの存在があるものだと信じていた。何の約束もないのに勝手にそう思い込んでいた。
常に自然に隣に寄り添っていてくれる彼女の存在は彼にとってそれほど必要不可欠なものだったのだ。

「なんて学校?」

「東京都立呪術高等専門学校。豹馬くんは羅古捨実業高校に行くんだよね」

「ああ。サッカーやりにな」

東京都立呪術高等専門学校?胡散くせー名前の学校だなと思いながら答える。

「なんでその学校なんだよ。何か理由があるんだろ?」

話してみろと促すと、なまえは「うーん」と悩む素振りをみせた後に口を開いた。

「豹馬くんは知ってるでしょ、私の力のこと」

なまえには他の誰にも見えないものが見える。そして、傷を治す不思議な力がある。
それは幼い頃に知った二人だけの秘密だった。

「その学校の校医さんも私と同じなんだって。だから、その人に色々教えて貰うためにそこに行くの」

「騙されてるわけじゃねえよな?」

「それはないよ。五条先生は私を一目見ただけで私の力のことを言い当てたから」

それこそ胡散臭い話だと千切は思った。
なまえの力を利用しようとしているのではないかと。

「そいつ信用出来んの?」

「うん。私は五条先生のことを信じてる」

迷いもなく頷いた幼馴染みに、これはもう何を言っても無駄だと悟った千切はため息をついた。

「わかった。その代わり、ちゃんと連絡はしろよな。少しでも危ないと感じたらすぐ電話しろ。迎えに行くから」

「ふふ、豹馬くんは心配性だね」

こっちの気も知らずに可愛い顔で笑いやがって。複雑な胸のうちを悟られないようにわしゃわしゃとわざと乱暴に頭を撫でる。

「もうっ!豹馬くん!」

「あー、やっぱ無理。心配過ぎて行かせたくねぇわ。お前みたいなやつ、絶対すぐに食われるだろ」

「それはないよ。心配しすぎ」


だが、その心配は現実のものとなった。

なまえが東京へ出発する日。千切は家族と一緒に彼女の見送りに来ていた。彼の母や姉の悲しみ様は物凄く、彼女の実の親よりも激しく泣いて別れを惜しんでいる。
千切はというと、なまえの両親に挨拶をしている『五条先生』を観察していた。
目元はサングラスで隠れているが、それでも並外れた美貌の持ち主だということがわかる。長身でスタイルも良く、しかも鍛え抜かれた身体だということもわかった。
こいつが教師?ほんとかよ。

「なまえ」

千切の姉と抱擁を交わしていたなまえの腕を引いてその耳に小声で囁きかける。

「あいつ、すげえイケメンだけど、やっぱり胡散くせーじゃん。まさかあのツラに騙されてついて行くわけじゃないよな?」

「ちょ、失礼だよ豹馬くん!」

ぷりぷり怒ってみせる幼馴染みを見下ろして千切は「はいはい」と笑った。

「五条先生はいい人だよ」

「イケメンだから?」

「そここだわるね」

「俺とあいつ、どっちの顔が好き?」

「えっ」

「悪い。変なこと聞いた」

そう誤魔化せば、なまえは不思議そうに可愛らしく首を傾げた。あー、ヤバい。キスしてえ。千切は襲いくる衝動を必死で抑える。姉だけは何かを察したように物言いたげな目で千切を見ていた。

「時間だよ」

五条に呼ばれたなまえが彼のもとへと駆け寄っていく。
驚いたことに、空港までこの黒塗りの高級車で送ってくれるのだそうだ。

「じゃあ行って来ます」

最後にもう一度皆に挨拶をしてからなまえは車に乗り込んだ。窓ガラス越しに千切に手を振ってくれたので千切も片手をあげてそれに応えた。

「!」

なまえに五条が何やら耳打ちしている。
なまえが笑い、五条も優しい眼差しを彼女へと向ける。
ただの教師と生徒というには甘すぎる雰囲気だった。
二人の間に漂う親密な空気が千切のところにまで伝わってくるくらいに。
思わず握りしめた拳にギリと爪が食い込む。
そんな千切に五条がちらりと視線を寄越した。その口元には笑みが浮かんでいる。


──クソ、やっぱりキスだけでもしておけばよかった。

今更ながらに気づかされた自分のなまえに対するエゴイスティックな執着と重い愛情が激しく胸のうちを焦がすのを感じて悔やんだが、もう遅い。

後悔先に立たずとはこのことだった。


「……ぜってぇ負けねえ」


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