行く時と同じようにバネ猫にお姫様抱っこをされて赤い海を越えて戻って来たアリスが目にしたのは、無惨に引き裂かれた帽子屋とネムリネズミの死体だった。 シロウサギの仕業だと猫は言ったが、どうにも腑に落ちない。 そんなアリスに芋虫が告げる。 「気をおつけ。猫は甘い言葉で欺くよ」 その時頭に浮かんだのは、鋭い刃物で引き裂いたかのような傷痕。 ──鋭い……メス…? ブチュッ。 何かが潰れる音が耳に届いて、はっとする。 いつの間に戻って来たのか、水を汲みに行っていたはずのバネ猫が直ぐそこに立っていた。 黒いローブの足元にじわりと血が広がっていく。 …彼が踏み潰した、芋虫の血が。 「どうしました、アリス」 目深に被ったフードから覗く、相変わらずの薄笑い。 信じたいと思う気持ちとどうしようもない不安が同時にこみ上げてくる。 「バネ…猫…」 「何を吹き込まれたか知りませんが、芋虫の言葉を信じてはいけませんよ」 嘘つきですからね、と猫は笑った。 無意識の内に後退るアリスを見て、フードの中で切れ長の瞳が細められる。 「アリス」 甘いテノールで囁き、猫は両の腕を伸ばす。 愛しい少女を引き寄せ、ふわりと優しく抱擁した。 「私の、アリス」 アリスの柔らかい肉。 それが今、彼の腕の中にある。 「私のアリス。さあ、選んで下さい」 甘い甘い香りを吸い込みながら、猫は優しく少女の髪を撫でてやった。 「私を受け入れ、私に抱かれて私だけのモノになるか……私に食われて私のモノになるか──どちらが良いですか?」 |