ビルの谷間につつましく構えられた屋台の暖簾をくぐると、「へい、いらっしゃい!」と大将が笑顔で迎えてくれた。
木製の屋台の横には『年越し中華そば』と書かれた旗がはためいている。つまり年越しラーメンだ。
私も勿論それを注文する。

「年越し中華そば一つ」

「はい、毎度あり」

カウンターの前は白いもやに包まれたようになっていた。
茹でた麺の匂いと濃厚なスープの匂いがする湯気だ。
屋台の周囲に漂うそれに釣られて、誘惑にあらがえずに注文してしまう客も多い。
私のお腹もその匂いに反応してさっきから鳴きっぱなしだ。

大将が手際よくラーメンを作る間に、先に食べていた二人組のサラリーマンが席を立った。
常連客らしく、「よいお年を」「来年もよろしく」と声をかけて去っていく。
直ぐに出来上がったラーメンの丼を大将から受け取った所で、ふと横に影がさした。

「隣、よろしいですか?」

「あ、はい、どうぞ」

木製の長椅子の上でお尻を動かして少し詰める。
そうして出来たスペースにしなやかに身体を滑りこませた人物に何気なく視線を向け──思わず二度見してしまった。

めちゃくちゃカッコいい。
こんな(と言ったら失礼だが)小さな屋台にはおよそにつかわしくない凄い美形だ。
黒いスーツの上に同じ色のコートを着て、ネクタイをきっちり締め、女の人がリゾートで被る帽子みたいに縁の部分が大きく広がった黒い帽子を膝に置いて静かに座っている。

ラーメンの屋台なのだから当然なのだが、その男性はラーメンを注文した。

(何のお仕事をしてる人だろう…)

いつもは気にせずズルズル音をたてて食べているけど、何となく恥ずかしくて、なるべく音をたてないようにしてラーメンを啜る。
間もなく男性が注文した分のラーメンも出来上がり、彼は白い手袋を填めた手で綺麗に割り箸を割ってそれを食べはじめた。
綺麗な人は食べ方までもが優雅だ。

「こんな日までお仕事とは大変ですね」

「えっ、あ、そ、そうですねっ」

いきなり話しかけられた事に驚いて、少しキョドってしまったが、何とか笑顔を返した。

「そちらもお仕事ですか?」

「ええ。遠方で仕事をした帰りでしてね。普段はあまり屋台には入らないのですが、年越し中華そばの文字に誘われて、つい」

「あはは、私もです」

屋台のラーメンって何となく食べたくなるときってありますよねと言うと、そうですねと微笑まれた。
その後も話が弾み、楽しくお話出来た。
でも、ラーメンを食べ終わってしまえば、いつまでも居座るわけにはいかない。

「あの、有難うございました。お話出来て嬉しかったです」

「こちらこそ。思いがけず楽しい時間が過ごせました」

席を立った私に、カウンターの上に置いておいたハンドタオルを「忘れ物ですよ」と渡してくれる。危なく置いて帰るところだった。

「それでは、良いお年を」

美しい微笑とともに贈られた言葉に同じ言葉を返して、私は屋台を立ち去った。

「……ん?」

歩きながらハンドタオルを仕舞おうとしてふと気付く。
折り畳まれたハンドタオルの隙間に小さな紙が挟まっていた。名刺のようなものらしく、そこには名前と携帯電話の番号とメールアドレスが書かれている。

「 赤屍蔵人 」

それがあの人の名前。

名前と電話番号が書かれた紙をそっとしまい、冷たい夜風が吹く中、心だけはあたたかく家路についた。



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