初めて戦国時代で迎えた正月は、それはもうとんでもなく忙しかった。

元旦は重臣を集めての祝宴。
身内ばかりでの宴ということで、秀吉や半兵衛の勧めもあり、この日は天音も同席して和やかに過ごした。
天音が女中に手伝って貰って用意した御節料理も大変好評だった。

問題は翌日以降だ。
天下統一を果たしたことで日ノ本で一番の権力者となった豊臣秀吉の居城、この大阪城には、全国各地から様々な人間が新年の挨拶という名目のご機嫌伺いをするために大挙して押し寄せてきたのである。

大将である秀吉は大広間の一段高い場所にドンと構えていて、客からの祝辞に二言三言答えるだけだが、その取り次ぎや目通りの順番など、細かい部分を取り仕切っていたのはやはり半兵衛だった。

ただ、そんな忙しさの中にあっても、彼は決して城内を慌ただしく奔走していたわけではない。
類い稀なる頭脳と先を読む能力に優れた天才軍師にとって、これらは全て予測済みの事態だったからである。

半兵衛は予め計画していた通りに冷静に指示を出し、自らは効率を考えた最小限の行動だけで手際よく仕事を片付けていた。
さすがと言うよりほかない。

天音も慣れないながらに膳の支度や貢ぎ物として持ち込まれた荷の整理などを手伝ったのだが、夜になる頃にはすっかりくたびれてしまっていた。
身体的な疲労と言うよりも、気疲れというほうが正しいかもしれない。

(最初からこれじゃ先が思いやられるなぁ…)

立場上、あまりバタバタ動き回ってもみっともないし、かといって働かずに高見の見物なんて事は出来ない。

半兵衛は、君は参謀の奥方らしくのんびり構えていればいいと言うが、覚えたいことは山ほどあるし、何より彼が一番忙しい立場にあるのだ。
とてもじゃないが自分だけのんびり高見の見物などしていられない。

明日はもっと上手く動けるように頑張ろう。
心の中で一人反省会を開きつつ、天音は廊下を歩いていく。
今は風呂から上がったばかりなのでそれほどでもないが、ここの寒さは半端じゃない。
冷えきった廊下を出来るだけ早足で歩いて部屋に戻った。


「お帰り」

自室の障子を開くと、半兵衛の柔らかな声が天音を迎えた。

天音は風呂に行く前、布団を敷いてその上に炬燵を乗せておいた。
元親に作って貰った電気炬燵である。
こうしておけば布団も一緒に暖めることが出来るため、暖かいまま眠れるという寸法だ。
半兵衛はその炬燵に入って、何やら書状らしきものを広げていた。
既に書き終えていたようで、半兵衛は書状を手に取ると、墨が乾いているのを確認してからくるりと巻いて紐で綴じ、傍らの盆の上にそれを置いた。

「おいで、天音」

「はい」

促されて部屋に入り、半兵衛の傍らに座る。
すると、腕を引かれて、微笑を浮かべた半兵衛の前に引き入れられ、彼の身体と炬燵布団に挟まれる位置へと収まった。


「髪が冷えてしまっているね」

半兵衛の手が優しく頭を撫でる。
触れ合った場所から感じる彼の身体は、炬燵で温まっていたお陰でぬくぬくとして温かい。

「今日は寒いから、ここまで歩いてくる間に冷たくなっちゃったみたいです」

「湯冷めしないといいけれど。寒くはないかい?」

「はい平気です。半兵衛さんは大丈夫ですか?」

「ああ、炬燵で充分温まったし、こうして湯たんぽを抱えているからね」

くすりと笑った半兵衛の吐息を髪に感じる。
腹の辺りに回された手に手を取られ、指を絡められた。

「今日はお疲れ様でした」

「うん。疲れたよ」

二人きりの時にしか聞けない甘えた声音で言って、半兵衛は天音の頭に頬擦りした。
柔らかい唇が耳に触れる。
吐息がくすぐったい。

「だから、癒して欲しいな」

一段と艶と甘さを増した声で囁かれて、腰が砕けそうになる。

「そ、それは……もっと疲れちゃうんじゃないでしょうか…」

「問題ないよ。むしろ活力が湧くんじゃないかな」

「えっと…蜜柑!お蜜柑剥きましょう!」

「僕は蜜柑より君が食べたい」

君が疲れているなら無理強いはしないけど。

言いながら、ゆるゆると太ももを撫でられて背筋が震えた。
勿論寒さのせいではない。

「じゃあ、あの、炬燵片付けますね」

「その必要はないよ。このままでいい」

その夜、炬燵は本来の用途以外にも使えるものなのだと天音は初めて知った。



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