「私は君を買っているのだよ。君の望みにはブレがない」

窓の外に目を向けたまま松永が言った。

「いつの世でも君が願うのは、“竹中半兵衛が生き長らえて幸せになること”だ。一貫したその信念は賛美に値するよ」

どれだけ年月を重ねようとも、真に価値のあるものの良さは変わらない。
松永がゆっくりと天音へ向き直る。
骨董品を愛でるのと同じ目で見られ、背筋をゾッと寒気が走った。

「まったく、君は面白い。そこまで彼を大切に想っていながら、媚びて擦り寄るどころか極力関わらないように努めているのだからな。聞けば、生徒会への勧誘も断り続けているそうじゃないか」

瞳を細めた松永が猫撫で声で殊更優しげに囁く。

「君は彼を救えなかったことを悔いているようだが、たとえ記憶があったとしても、彼は君を役立たずなどとは思っていないはずだよ……きっとね」

「…ちょっと聞いた感じじゃ慰めてるみたいに聞こえますけど、実は追撃してますよね」

「ハハハハハ!そういう聡いところも嫌いではないよ」

心底おかしそうに笑う松永に天音はため息をついた。
無駄にイイ声なのがまた嫌だ。
この男はこうして人の心の弱い部分、一番触れて欲しくない部分を抉っては、苦悩する姿を見て楽しむのである。

「恐れる必要などないだろう。悩むだけ無駄だ。もっと気楽に今の生を楽しみたまえ」

天音の心の葛藤を見透かしたように松永が告げる。

「そもそも我々がいる今この時間が現実であるという根拠は何もないのだよ。胡蝶の夢…邯鄲の夢……これらは全て何者かが見ている夢かもしれない」

「だから先生はやりたい放題やってるんですか」

「楽しまなければ損だろう」

呆れた。
いずれ覚める夢ならば真面目にルールを守って生きるだけ無駄だとでも言いたいのだろうか。
それでも最低限の倫理は守るべきだと訴えたとしても、この男は、「欺瞞、欺瞞」と笑って終わりに違いない。

「まあ、好きにするといい。君の人生だ」

ぽん、と投げるような物言いでそう言った松永が、不意に顔を寄せてきた。
身を退こうとした天音の腰に腕を回し、頬にもう片方の手を這わせて間近で笑う。

「な、──」

何のマネですか、と口にしようとした瞬間、教室のドアがガラッと乱暴に引き開けられた。
足早に近寄ってきた誰かが、天音の腕を掴んで引っ張り、松永から強引に引き剥がす。

「──竹中君……」

まだ自分の腕を掴んだままの相手を確認して、天音は呆然とその名を呟いた。
走ってきたらしい半兵衛は少し息を切らせている。
彼は天音を自分の後ろに庇うようにして、松永を苛烈な眼差しで睨みつけた。

「彼女に何をした…!」

「なに、ただの悩み相談だよ。卿が想像しているようなコトは何もないから安心したまえ」

松永は余裕たっぷりの表情でしれっと答えた。

「王子様のお迎えが来たようだ、天音。名残惜しいが、私はこれで失敬するとしよう」

半兵衛の横を通り過ぎて教室を出て行く寸前、松永と天音の目が合った。
自分が仕掛けた悪戯が成功したのを喜んでいる目だ。こうなるのを見越していたとしか思えない反応だった。
まったく、元・戦国の梟雄の破廉恥教師はロクなことをしない。



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