黒曜ランド。
今は廃虚と化したその建物の、天井一面に広がる桜の花の幻。

やはり情報は真実であったらしいと笑って、骸は足下に這いつくばる雲雀を見下ろした。
一人で乗り込んで来るぐらいだから余程腕に自信があったのだろうが、こうなってしまっては手も足も出せまい。

「何故桜に弱いことを知っているのか?って顔ですね」

薄く笑んで、掴んでいた雲雀の黒髪から手を離す。
支えを失った雲雀の身体は前のめりに倒れかけたが、咄嗟に床についた腕でかろうじて倒れ伏すのだけは免れた。

ここまで痛めつけられて尚苦痛の呻き声すらあげない根性は見上げたものだ。
さすがは不良の頂点に君臨する男。腕っぷしが強いばかりの乱暴者というわけではないらしい。

「教えてあげましょう。真奈さんが教えてくれたんですよ。ベッドの中で……ね。従順ないい子だ」

そう挑発してやれば、射殺さんばかりに苛烈な視線が骸を突き刺す。
真奈の事は信じている。だからこそ、彼女を汚すような下劣な嘘が許せないのだと、その視線が物語っていた。

──気に入らない。

心の奧底からドス黒いモノがじわじわと込み上げてくる。骸は冷えた笑みを雲雀に向けると、踵を返してソファへ歩み寄った。

クッションを枕にして、何も知らない少女がすやすやと眠っている。
ふっと眼差しを和らげた骸は、先ほどまで侵入者を容赦なく痛めつけていた同じ手で、優しく真奈の髪を撫でてやった。
蜂蜜色のそれを指に絡めて、恋人にそうするような手つきで愛撫する。

万人が見蕩れる美少女ではないものの、愛らしい少女だ。
その華奢な身体からは幼げな容貌に相応しい甘く優しい香りがしていた。
およそ官能とは程遠いはずのそれが何故か骸の神経を刺激して止まない。

妙に庇護欲を掻き立てられる娘だ。
優しくしてやりたいと思うと同時に、男の欲をそそる何かを持っている。
こんな生き物が今まで手つかずでいたなんて信じられない。
しかし、その疑問は黒曜ランドに乗り込んできた雲雀恭弥と相対したことで融解した。
彼が真奈を見た目で解ったのだ。
──同時に、その目つきに不快な思いにもさせられたが。

この子は云わば、ある特殊な性質を持つ人間を惹き寄せる誘蛾灯なのだ。
自分や雲雀のような男が惹かれてやまないのに対し、他の人間には彼女はずば抜けて魅力的な存在というわけではなく、ただ闇夜を照らす柔らかな光でしかないのだろう。

「…触るな…ッ」

背後から怒りに満ちた声が上がった。

血の塊を吐き出し、肺が破裂しそうな痛みに襲われながらも、雲雀が身を起こして骸を睨みつけている。
その姿に骸は昏い愉悦を感じた。

「おや。まだ動けるんですか」

禍々しい微笑を浮かべて、雲雀のもとへと足を進める。

「その根性だけは認めてあげますよ。ですが……無理はいけませんね。大人しく寝ていなさい」

ことさら優しげな声音で囁くと、骸は雲雀にとどめの一撃を与えた。

「この子は僕のものだ」

今度こそ完全に意識を失った雲雀を見下ろす骸の顔は、冷たく凍てつき、いつもの笑みは消え失せていた。



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