暗い坑道。
廃墟と化した孤島の地下に拡がる、広大な空間。
本来ならば真っ暗闇のはずのそこは、所々にライトが設置されていたお陰で、かろうじて足元が見える程度には目が効くようになっていた。

──だからと言って、事態が好転する訳では無いけれど。

走り続けているせいで呼吸が荒い。肺が痛い。
さっきから頭痛も激しくなり始めていた。
気のせいではなく酸素が薄いせいだ。
それでも立ち止まる訳にはいかなかった。

「───クス…」

薄暗い空間を震わせて響いてきた笑い声に汗ばんだ肌がゾクリと泡立つ。
近付く革靴の音。
わざと気配を知らしめてこちらを追い詰めようとでも言うのか。
背後からゆっくりと、そして確実に迫りくる存在との距離を嫌でも意識してしまう。
ゾクゾクと寒気が走る身体を叱咤し、精一杯早く足を動かすのだが、思うようにスピードが出ない。
限界の近い身体は重く、まるで分厚いゼリーの湖の中を泳いでいるようだ。

木枠の組まれた坑道は、もう何処へ向かっているのかわからないほど入り組んでおり、地下迷宮と呼ぶに相応しいその暗いはらわたの中になまえを閉じ込めていた。

出られない。

足がもつれて半ば転ぶように崩れ落ちた身体を、腰に回された腕が支えた。

「鬼ごっこはもうおしまいですか?なまえさん」

場違いなほど甘美な響きのテノールに囁きかけられ、泣きそうになりながら振り向く。
坑道の薄闇に浮かび上がる白皙の美貌。

──悪魔──死神──そんな禍々しい呼び名が頭を駆け巡る、暗黒の美だった。
唇の両端を綺麗に吊り上げて男が笑う。

「では、諦めて食べられてしまいなさい」

悲鳴を上げた気がした。
しかし、実際に声にはなっていなかったらしい。

目が覚めて、そのことに気がついた。
そして、うんざりした顔で枕の横に置いてあったスマホを確認する。

「嘘でしょ…」

起きて支度を始めるには早すぎる時間だ。
かと言って、二度寝するには遅すぎる微妙な時間だった。

「昨日、あんな話を聞いたから…」

だから悪夢を見たのだと、思わず文句の言葉が口をついて出る。

昨日友人が話してくれたのは、明日なまえが行くことになっている軍艦島ミステリーツアーに関する噂だった。

錆びた展望台の柵の向こうにひしめく無数の白い人影を見た。
あるいは、血塗れの歩く死人を見ただとか。

いわゆる心霊スポットになっているらしいのだ。
だからこそミステリーツアーの舞台に選ばれたのだろうが、今から憂鬱だった。

「やっぱり行くのやめようかな」

そう呟いてみるものの、既に代金は支払い済みであるため、行かないという選択肢はないのである。

なまえは溜め息をついて寝返りをうった。


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